第7話「内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト」

 統一暦一二〇四年七月十五日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト


 モーリス商会の商会長ライナルト・モーリスからの情報収集を終え、ソファに深く座って彼との会話を思い出していた。


魔獣ウンティーアの話は事実だろう。偽りを言っている徴候が全く見えなかった……まあ、あれほどの大商人なら欺く術は持っているだろうが、偽りならどこかで言葉を濁す。言質を取られて困らぬように……)


 穀物の供給が止まることが事実であると認識するが、そのことで頭が痛くなる。


(あの野心的なモーリスですら、二度目はないと断言するほどだ。他の商人なら安全を考えて船は出さんだろう。どの程度の期間この状態が続くのか……今でも小麦の価格は五割増しにまで跳ね上がっている。モーリスの話が広まれば、帝都の商人たちは一斉に値上げを行うはずだ。いや、値が上がるだけならいい。民たちが食糧供給に不安を持てば……)


 帝都は外部からの食糧に依存しているが、当然備蓄も行っている。軍の備蓄まで考慮すれば、半年は余裕で供給できる。


(帝都にある食品問屋が供給不安を理由に、小売店に卸す量を絞ることは確実だ。既にその兆候は出ている。本格的に船が到着するまでは言い値で売れるのだから、彼らが売り渋るのは当然だろう……)


 この状況を何とかしなければならないが、抜本的な対策がない。


(それにしてもモーリスという男は侮れんな。あの胆力もそうだが、私の問いに迷うところがほとんどなかった。特に商人を呼び寄せるための策については流れるように出してきた。恐らく具体的な方策も考えているのだろう。それにこの機を利用して更に我が国に食い込もうとしている……今は彼のことを考えている場合ではないな。陛下に報告に行かねば……)


 そこでゆっくりと立ち上がり、コルネリウス二世陛下の執務室に向かった。


 執務室に入ると、軍務尚書のシルヴィオ・バルツァー殿と話をされていた。


「どうしたのだ? 今日は面会の予定は入っていなかったと思うが」


「至急報告したい儀が出来しゅったいいたしました」


 私の言葉にバルツァー殿が「それでは」と言って退出しようとした。


「軍務尚書殿にも聞いていただきたい案件です」


 そう言って留め、陛下に向き直る。


「帝都への食糧輸送に関することで最新情報が入りました。軍務尚書殿にも聞いていただきたいと考えますが、いかがでしょうか」


「構わぬ。シルヴィオも同席せよ」


 私とバルツァー殿は同時に頭を下げて、会議用のテーブルに着く。


「本日、ヴィントムントより商船が到着いたしました。その商船の船主からの情報ですが、ヴィントムントが面するシュトルムゴルフ湾において、大型魔獣ウンティーアが活発化し、多くの船が出港を見合わせているとのこと。また、魔獣ウンティーアの鎮静化については見通しが立たず、当面の間、帝都に到着する商船の数は激減するだろうとのことでした」


魔獣ウンティーアだと……それは真のことなのだな、ヴァルデマール」


 そこで私は軽く頭を下げる。


「はっ。その船主はヴィントムントの大商人、モーリス商会の商会長ライナルト・モーリスという者です。先ほど直接話を聞きましたが、偽りを申している可能性は低いと考えております」


「モーリス商会か……ここ十年ほどで商人組合ヘンドラーツンフトでも一二を争う大商人に伸し上がった男であったな」


 陛下の言葉に大きく頷く。


「その通りでございます。モーリス商会はヴィントムント及び帝国西部から穀物を輸送し、その規模は他の追随を許さぬほどです。そのモーリス商会が輸送を滞らせるだけでも小麦の価格が変動すると言われておりますが、その商会長自らがこの重要な情報を伝えるべく、命懸けでここまで来たと言っております」


「殊勝なことだが、何が目的だ? 一代で富を築いた商人が善意で動くとは思えぬが」


 陛下の懸念は理解できる。


「我々に恩を売り、その恩を使って自分たちに有利な交渉を行うことでしょう。また、我が国におけるモーリス商会の地位を向上させ、更に商売を拡げようと考えているようです。実際、軍の補給業務に参入させてほしいと言ってきました」


「なるほど。我が軍は膨大な量の物資を扱う。今は帝国の商人だけに認めているが、そこに食い込めば大きな利益が得られると考えたわけだな。そのために余を含め、帝国の主要な地位の者たちに伝手を作ろうと、命懸けで船を出した。商人にしておくには惜しい決断力だな」


 陛下の言葉に軍務尚書殿が頷く。


「陛下のおっしゃる通りかと。一軍を任せられるほどの豪胆さですな」


 陛下もバルツァー殿も私と同様に、モーリスの豪胆さを評価する。


「話を戻しますが、モーリスの言っていることは恐らく真実。つまり、帝都の食糧が不足する恐れがあるということです。そしてそれが原因で民が暴動を起こす恐れも……」


 そこで陛下が私の言葉を遮った。


「待て。帝都には充分な備蓄があると言っていたのではないか? ならば、暴動が起きるようなことにはならぬはずだ」


「備蓄につきましては、軍が保有しているものも合わせれば、半年は充分に賄えます。ですが、商船が到着しなくなってから三週間ほど経ち、小麦の価格は五割増しになっております。モーリスの話が広がれば、穀物問屋が出し渋り、価格は天井知らずで上がることでしょう」


「では、備蓄を放出すればよい。これまでもそれで対応していたはずだ」


 陛下のお考えは常識的なものだが、経済についての理解がいささか足りない。


「一時的にはそれでよろしいかと思いますが、問題はいつ供給が再開するか分からないということです。食糧の供給は民の生活に直結いたします。民の動揺を抑えるには別の手段で穀物を供給する術があることを広めねばなりません」


「具体的にはどうするのだ?」


 その問いに私は頭を下げることしかできない。


「申し訳ございません。まだ即効性のある対策を立案できておりません」


「シュテヒェルト殿にしては珍しい。貴殿ほどの知恵者が解決策もなく、報告のみに来られたとは」


 バルツァー殿と敵対関係にはないが、友誼を結んでいるわけでもないので嫌味を言われてしまう。元々、軍部でも一言多いと言われ、常に軋轢を生んでいる人物であるため、この程度で済んだのは陛下の御前だったからだろう。


「控えよ、シルヴィオ。ヴァルデマールも全くの無策で来たわけではなかろう」


「はい。商人のことは商人に聞くのが一番ではないかと思い、モーリスに対策を聞いております……」


 そこでモーリスとの話し合いで出た補助金のことなどを説明していく。


「……但し、いずれも即効性に欠けます。モーリスがヴィントムントに戻るにしても陸路を使えば二ヶ月ほど掛かりますし、すぐに説得できたとしても食糧が届くには更に一ヶ月半は掛かります。その間に小麦を含む穀物価格がどの程度上昇するのか、全く想像できません。それに穀物の不足は他の経済活動にも大きく影響します」


 陛下はピンとこないのか首を傾げている。


「それは何だ?」


「穀物はパンなどの主食に使われますが、エールなどの酒の原料でもあります。当然、酒の価格も上昇しますから、酒場や料理屋が困窮することは火を見るよりも明らかです。他にも帝都付近の家畜の餌にも穀物は使われます。畜産業への影響も出てくるでしょうし、それに伴って加工品へも影響するはずです」


 私の説明に陛下も沈痛な表情を浮かべられた。


「確かにそうだな。民の生活が無茶苦茶になれば、不満は余と帝国政府に向かう。すぐに暴動を起こすようなことはなかろうが、民の不満を和らげる策を考えねばならんということか」


「ご賢察の通りです。内務府にて早急に対策を講じるつもりですが、短期的に厳しい状況に陥る可能性があることをご承知おきいただきたいと思います」


「うむ」


 陛下は表情を消して大きく頷かれた。

 私は自分の執務室に戻り、部下たちに対策を検討するよう命じた。

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