第6話「帝都到着:後編」

 統一暦一二〇四年七月十五日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。ライナルト・モーリス


 帝都ヘルシャーホルストに到着し、帝都支店に入ったところで、ゾルダート帝国の内政のトップ、ヴァルデマール・シュテヒェルト内務尚書から呼び出しを受けた。


 帝国にとって、帝都への食料の輸送は非常に重要な案件だ。

 帝国はリヒトロット皇国から独立したが、傭兵団として名を馳せた初代皇帝ヴォルフガングが男爵に叙爵した際に与えられた土地が今の帝都付近だ。


 ここは下賤な傭兵上がりには相応しいとして与えられた荒れ地が広がる不毛な場所であり、当然小麦などの穀物の生産には向いていない。また、帝都近くを流れるザフィーア河の上流域が唯一の穀倉地帯だが、膨張を続ける帝国の人口を支えるほど広大ではない。


 特にリヒトロット皇国への侵攻作戦が活発化した二十年ほど前からは、帝都とザフィーア河流域に人口が集中し、大陸西部からの輸入に頼っている状況だ。


 マティアス様は十年ほど前に、帝都への食料輸送を積極的に行うように指示された。その時は食料輸送が長期にわたって一定の利潤を生み続ける商売であるから勧めて下ったのだと思っていたが、帝国への影響力を持つための策だと、最近になって気づいた。


 内務尚書室に入ると、笑顔が似合う美男子が立ち上がって私を待っていた。


「到着したばかりなのに呼び出して済まなかったね。私が内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトだ」


 そう言って右手を差し出してきた。

 グライフトゥルム王国やレヒト法国ではあり得ないが、私も笑みを浮かべてその手を取った。


「モーリス商会の商会長、ライナルト・モーリスと申します。内務尚書閣下のご尊顔を拝し、恐悦至極にございます」


「ご尊顔というほどの顔ではないよ。では、座ってくれたまえ」


 フレンドリーな感じで笑うと、ソファを指差す。

 私と尚書がソファに座るが、秘書官は尚書の後ろに立ち、話し合いには加わらないつもりのようだ。


「港湾局から連絡があったのだが、シュトルムゴルフ湾でシーサーペントゼーシュランゲ巨大蛸クラーケが暴れているらしいね。君の見立てでよいのだが、どの程度の期間影響があると考えているかな」


「正直なところ、全く見当が付かず、私も困惑しています。既に収まっているかもしれませんし、十年以上続くかもしれませんので」


 これは正直な思いだ。

 何が原因で魔獣ウンティーアの活動が活発になったのか分からない状況で、予想を立てられるはずがない。


 当初の謀略であれば、一、二年という見込みをいうつもりだったが、本当に魔獣ウンティーアが暴れ出したので嘘は言っていない。


 情報を重視する内務尚書相手に、嘘を言わずに済んでいることは正直ありがたい。察せられるとは思わないが、バレた時の報復を考えると、緊張はしただろう。


「そうか……だが、君はここまで辿り着いた。航路を上手く選べば、多少時間は掛かるが、輸送自体は可能ではないかな」


 この問いは想定しており、すぐに答える。


「今回は運がよかったと思っています。もう一度やれと言われても、私は断るでしょう」


「運が良かったというのはどういうことかな?」


シーサーペントゼーシュランゲの行動範囲は数百キロメートルと言われています。私が出港する直前、三隻の商船が被害に遭ったと聞きましたが、いずれも同じ航路ではなく、どこを通ってよいのか、運任せになるからです」


 私の説明に内務尚書は考え込む。

 そして、三十秒ほど沈黙した後、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「では、仮に今の倍の金を出すと言ったらどうかな」


 この問いも想定していたため、すぐに首を横に振る。


「閣下はご存じないかもしれませんが、穀物の輸送は元々利益率が低いのです。嵩の割に単価が安いですから。私どもの商会でも魔導具などのかさばらない物を輸送する際に、船倉を埋めるために穀物を運ぶという運用としております。ですので、私どもだけでなく、他の商会もその程度の利益では動かないでしょう」


「では、我が国で商売を行う商会に対して命令を出し、強制するしかないな」


 笑顔は崩していないが、目には鋭い光がある。


「それはあまり良い手ではないと愚考します」


「理由は?」


 内務尚書は私が反論するのを予想していたのか、笑顔は崩れていない。


「その命令が出された場合、少なくとも我が商会は帝国から完全撤退いたします。貴国は最大の取引先ですが、命には代えられません。それに自由な商売を認めてもらえぬ国に関わりたいとは思いません。これは商人組合ヘンドラーツンフトに所属している商人なら、思いは皆同じでしょう」


「なるほど。強権を発動するのは愚策ということだな。では、君ならどうしたらよいと思っているかな」


 この問いにもマティアス様と一緒に答えを考えていた。


「商人が危険を顧みずに来たくなる方策が必要だと考えます。まず、商船を失った場合の補償制度、保険制度を整備することです。今は船を失えば大きな損失をすべて自分で被ることになります。一定の掛け金で万が一の時に補償される保険制度があれば、ある程度冒険に出ることが可能です」


「一理あると思うが、今から制度を作っていては帝都の食料不足には間に合わん」


「その点は同意いたします。そこで商人組合ヘンドラーツンフトの商人に対する優遇措置を行ってはいかがでしょうか。優遇していただけるなら、我々も貴国のために頑張ろうと考えますので」


 内務尚書は私の言葉を咀嚼するように「優遇制度か……」と呟いた後、質問を口にする。


「優遇制度とは具体的に何を考えているのかな」


「短期では食料輸送に対する補助金制度、関税の引き下げ、低利融資の実施、通貨の交換レートの見直し、長期的には商業特区の設置、港湾施設の整備、非関税障壁の撤廃、先ほどの保険制度の新設くらいでしょうか」


 私が具体策を次々と出したため、内務尚書は目を丸くしている。


「それを実施したら、君たち商人は食料の輸送を再開してくれるかね」


「それは分かりません。少なくとも補助金制度を作り、危険に見合った利益が上がると分かれば、戻ってくる可能性は高いと思います」


「君はどうだね?」


 笑みは浮かべたままだが、私の目を射貫くように見つめている。適当に言いくるめるような答えは望んでいないと理解した。


「貴国が本気で我々を求めてくださると分かれば、協力させていただきます」


「つまり、場当たり的な対策では君は動かぬということか」


 その言葉には明確に答えず、微笑むだけにしておく。これはマティアス様の真似だ。


「君はヴィントムントにどのタイミングで戻るのかね。それまでに皇帝陛下の裁可をいただくつもりなのでね」


 その言葉に私は思わず笑みを消してしまう。


「私に商人組合ヘンドラーツンフトを説得せよと」


「そうだね。君ほどの大商人が、見込みがあると考えるなら、他の者も動くだろう。君にはそれだけの力がある」


 これは想定していなかった。帝国を弱体化する策を行うつもりが、私を利用して組合ツンフトを取り込もうとしている。そのことに気づき、気を引き締め直す。


「それとも別の思惑でもあるのかな? 君はいろいろなところと繋がっているようだが」


 その言葉に背筋に冷たいものが流れる。


「そのようなものはございません。というより、別の思惑がある者がこれほど商会を大きくはできんでしょう。閣下は片手間でできることとお考えですか?」


 私の問いに内務尚書は大きく頷いた。


「世界一の商人になるには商売に集中せねば無理だろう。ライバルは数え切れぬほどいるのだから……先ほどの話だが、受けてくれると考えてもよいかな?」


「もちろんです。但し、一つだけ条件を付けさせていただきたいと思います」


 ここで条件を付けてくると思わなかったのか、尚書は首を傾げる。


「それは何かな。あまり無理は言わないでほしいが」


「簡単なお願いです。帝国軍の補給業務に参入させてほしいのです。我が商会は軍との取引が制限されておりますので」


 私の依頼に尚書は少し考えた後、頷いた。


「所管が違うから確約はできないが、可能な限り力にはなるよ」


 条件を付けたのは利を重視していることを明確に示すためだ。こうしておけば、私がマティアス様や叡智の守護者ヴァイスヴァッヘのために働いているとは思わなくなるはずだ。それにこれが上手くいけば、帝国軍の情報を手に入れやすくなり、一石二鳥だ。


 話が終わったので秘書官と共に退出する。


(やはり内務尚書は侮れないな……それにしても帝国の大物相手にほとんど緊張しなかったな。賢者様と言葉を交わしたおかげだろう。あの方の存在感を知ったら、帝国の重鎮とはいえ、恐れる気持ちにはならん。あの笑顔もマティアス様のものと比べたら底が知れている。あの方の笑みはすべてを見通しているという余裕の笑みなのだから……)


 そんなことを考えながら、白狼宮の中を歩いていた。

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