第7話「法国の動き:前編」

 統一暦一二〇六年七月二十三日。

 グライフトゥルム王国東部ヴィントムント市、モーリス商会本店。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 領地であるラウシェンバッハ子爵領に向かっている。

 途中にある商都ヴィントムント市でモーリス商会の本店に立ち寄った。


 今回は夏休み期間ということもあり、フレディとダニエルのモーリス兄弟も同行しており、彼らの里帰りも兼ねている。


 本店には珍しく商会長のライナルトがいた。常に世界中を回っており、本店にいるのは年に二、三ヶ月という状況で、今回は運よく居合わせたのだ。


「帝国ではいろいろとありがとうございました。お陰で皇帝マクシミリアンに後れを取ることもなく、対応できました」


 ライナルトには第三軍団の身代金のための融資やガウス商会が作ったカジノ建設、更には先帝コルネリウス二世崩御による混乱時の物資放出やゴットフリート皇子の家族の安全の確保など、いろいろと面倒なことを頼んでいた。


「いえいえ、マティアス様のご指示のお陰でこちらも助かっております。特にミスリル鉱山では想定を超える埋蔵量があるようで、数年以内には年に一億マルク近い儲けになりそうです」


 モーリス商会は帝国政府に十億マルク、日本円で約一千億円の融資を低利で行う代わりに、旧皇国領の南部鉱山地帯にある三つのミスリル鉱山の採掘権を得ている。また、この鉱山に関しては税を免除されることになっていた。


 帝国では年間三千万マルク分ほどの採掘しかできなかったが、商人組合ヘンドラーツンフトに属する優秀な鉱山技師を多数送り込んだことで、三倍以上になる見込みらしい。


「これもマティアス様が、帝国はミスリルの埋蔵量を把握していないからチャンスだと、教えてくださったお陰です」


 帝国が旧皇国領の鉱山を得たのは十二年前の一一九四年頃だ。しかし、皇国民であった鉱山技師たちは帝国に対して反抗的で、採掘量は以前の五分の一程度に落ちていた。


 更に皇国時代の資料は占領前にすべて破棄されていたため、帝国には正確な情報がなく、採掘量が落ちていることに気づかなかった。


 私は“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の情報分析室にいた関係で、皇国の経済情報も入手しており、サボタージュが行われていることに気づいた。


 そのため、帝国に恩を売りつつ、膨大な利益を得る方法として、ミスリル鉱山の権益を条件とするよう助言したのだ。


「あれはライナルトさんの決断が素晴らしかったからですよ。鉱山を三ヶ所とすることでリスクを分散できるとはいえ、過去の実績通りにいくとは限らないのですから」


 たとえ助言があったとしても、私が彼の立場なら、このような博打に近い条件を呑むことはためらったはずだ。即座に決断した胆力に脱帽するしかない。


「マティアス様のご助言で失敗したことはありませんから」


 ライナルトは笑いながらそう答えた。


「たまたまですよ。そのうち間違えることもありますから、安易に信じないでくださいね」


 私は苦笑するしかなかった。


「それにご指示のあった物資の放出や農業振興の策では、シュテヒルト内務尚書とのパイプが更に太くなりました。今では帝国の商人より、我が商会の方が信用されているくらいで、このお陰でずいぶん安全になったと思っていますよ」


 帝国軍御用達の商人となり、物資の輸送などにも参入している。更に帝国の大動脈ザフィーア河の優先航行権を得るなど、帝都の商会よりも優遇されている状況だ。


「それはよかったです。ライナルトさんのところに迷惑を掛けては大変ですから」


 謀略の一環でいろいろとやってもらっているので、疑われるような行為は極力避けているし、逆に帝国に貢献していると錯覚するような助言をしていた。


「それで我が愚息たちはどうですかな? ご迷惑をお掛けしていなければよいのですが」


 父親らしく二人の息子のことを心配している。

 イリスがそれに答えた。


「二人はよくやってくれているわ。二人のうち、商会を継がない方を我が家にほしいくらいよ」


「妻の言う通りですよ。彼らが望むのであれば、我がラウシェンバッハ家でそれなりの役職に就けてもよいと父も言っています。もちろん、私も同じ考えです」


 私たちの言葉に、フレディたちは顔を赤らめ、ライナルトは目を丸くする。


「過分なお言葉をいただき恐縮です」


 ライナルトと妻のマレーンの二人が嬉しそうに頭を下げていた。

 挨拶を終えたところで、本題に入る。


「既に連絡は入れていますが、ラザファムの結婚の準備の方はどうでしょうか?」


 ラザファムとレベンスブルク侯爵家の令嬢シルヴィアとの結婚準備をモーリス商会に依頼していた。ここが主体となって秘密裏に準備を進め、ある程度目途が立ったところで婚約を発表し、本格的な準備に入るためだ。


「なかなか厳しい状況ですが、何とかなりそうです。あとはグランツフート共和国から問題ないという情報が入れば報告できるのですが、今はそれ待ちですね」


 依頼してから僅か二十日で、グランツフート共和国の首都ゲドゥルトの最高級ワインの手配以外は目途が立っているらしい。


「それはよかったです。では、来月には婚約の発表ができそうですね」


 そんな話をしていた時、応接室に従業員に扮したシャッテンが入ってきた。彼は長距離通信の魔導具を担当しており、何か緊急の連絡が入ったらしい。


「ご歓談中申し訳ございません。商会長にお越しいただきたいのですが」


 ライナルトはすぐに私たちに頭を下げる。


「何やら急ぎのようです。申し訳ございませんが、中座させていただきます」


 フレディたちや後ろに立っている護衛のエレンたちは、長距離通信の魔導具の存在を知らないため、言葉を濁したようだ。


 しばらく話をしていると、ライナルトが戻ってきた。


「マティアス様とイリス様にお越しいただきたいのですが」


 私たちも聞いた方がいい話のようだ。


「分かりました。店から出ることはないから、エレンたちはここで待機していてくれ。フレディとダニエルはマレーンさんと話していてくれたらいい。それほど時間は掛からないから」


 エレンは一瞬声を挙げようとしたが、イリスが目で制したため、素直に従う。


 応接室を出たところで、ライナルトが小声で話し掛けてきた。


「聖都にいるロニー・トルンクから連絡が入りました。法王庁の枢機卿が大きく変わったようです。詳しくは本人からお聞きください」


 トルンクはモーリス商会のレヒト法国総支配人で、商売だけでなく、獣人族の救出や情報収集などを一手に取り仕切っている。


 通信の魔導具がある部屋に行き、通話機を手に取る。

 挨拶もそこそこに本題に入った。


「法王庁で動きがあったとのことですが、具体的にはどのようなことでしょうか?」


『まだ詳細までは調べきっていないのですが、法王庁に常駐している枢機卿五名が交代しました。このこと自体は定期的なもので、特におかしなことではないのですが、そのうち三名が法王アンドレアスを支持しているそうです。噂では西方教会のヴェンデル総主教と南方教会のシャンツァーラ総主教が強く推したと聞いております』


 南方教会では、一昨年のヴェストエッケ攻防戦の敗北後、前任者であるヘルミン・シェーラー総主教が責任を取って辞任し、大主教であったイェローム・シャンツァーラが昇格した。その際、法王アンドレアス八世を推した西方教会のパウロ・ヴェンデル総主教が支援したと聞いている。


 法国では法王と五名の枢機卿、更に各教会の総主教四名の計十名で、最高会議という名の最高意思決定機関を構成している。総主教二名に加え、三名の枢機卿が法王を支持することで過半数を占めることになった。


「つまり、法王は飾り物ではなくなったということですか」


 現法王アンドレアス八世は私が仕掛けた謀略によって前任者が死亡し、急遽法王となった。但し、彼が法王になれたのは、各派閥の利害関係を調整した結果に過ぎず、どの派閥も妥協できるという理由だ。そのため、権力は持っていなかった。


『その通りです。それに加えて、法王は教会の綱紀粛正に乗り出すという声明を発表しました。賄賂を要求した聖職者や聖堂騎士を徹底的に追及するそうです。我々と繋がりがある主教が怯えながら教えてくれました』


 トルンクが私たちを呼んだのはこれが理由らしい。

 ゾルダート帝国の方が一段落したと思ったら、今度はレヒト法国が動き始めた。

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