第14話「堕ちた捕虜たち」

 統一暦一二〇五年十二月五日。

 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、捕虜収容所。第三軍団兵士ペーター・クンチェ


 捕虜収容所で生活を始めて二ヶ月。

 今月中に帰国できるという話を聞かされた。


 俺としてはあまり嬉しいという感覚がない。

 なぜなら、ここは思った以上に居心地がいいからだ。


 確かに王国軍の兵士に監視されながら、草原を切り開いて整地したり、兵舎のような建物を建てたりといった作業をさせられている。


 しかし、作業といっても、軍でやらされた陣地の設営のように、隊長や軍曹から怒鳴られることもない。監督役の王国軍の兵士も遠巻きに見ているだけで何も言わず、一日にやらなければならない仕事も大した量ではない。


 この作業をやれば、一日当たり五十マルク(日本円で約五千円)もの金が支払われる。

 五十マルクという金は、戦地に出ない時の軍の手当より多い。俺のような入隊から三年程度の若い兵士にとっては大金だ。


 それに食事にも金が掛からないから、そのすべてが使える。

 非番の日にしか外に出られなかった帝都の兵営に比べれば、すぐ横に酒場も娼館も賭博場もあって、いくらでも遊べるところがいい。


 この待遇が最初は信じられなかった。

 王国軍の連中は俺たちが逃げ出すのを警戒し、懐柔しようとしているのかと思ったが、見張りに立っている獣人兵は軍曹たちが見ても凄腕らしく、それが理由でもなさそうだ。

 実際、脱走しようとした奴は収容所の境界から出た瞬間に捕らえられたそうだ。


 理由は分からないが、王国が楽しませてくれると言うなら、楽しまないと損だと思うようになった。


 もちろん、最初の頃は軍での規律を叩きこまれていたから、簡単には手が出なかった。それでも仲間が一人、また一人と酒場に行くようになっても、怒鳴りつける上官はおらず、ここでは自由にしていいのだと思うようになった。


「あと十日でこことおさらばだ。明日から作業への参加は自由だそうだぜ。どうする、ペーター?」


 親友のマリクが聞いてきた。

 こいつは同じ帝都の生まれで入隊時期も同じで、第三軍団で長く一緒にいるからよくつるんでいる。


「もちろん賭博場にいくさ。結構溜まっているから一発当てて、最上級の娼婦を一晩借り切ってやる」


 最上級の娼婦は一時間で二千マルクもする。一番安い娼婦の十倍だ。

 帝都にいる時なら考えもしなかったが、あれほどの美人を抱くことができるのはここだけだ。それに今持っている金はここでしか使えないから、散財しても全く惜しくない。


「なら、いつもあれか?」


「ああ、あの“大小グロスウントクライン”っていうやつだ。あれが一番面白いと思っているからな」


 大小というのはサイコロを三つ使う賭博だ。

 大きいか小さいかを当てるだけじゃなく、組み合わせで賭けることもできる。最高百五十倍にもなる大博打もできるし、堅実に二倍ずつで増やしていくこともできる。

 こんな面白い遊びがあるのかと思ったほどだ。


「確かにあれは面白いな。まあ、俺はカードゲームの方が好きだがな」


 マリクは“二十一”というゲームに嵌っている。一から十三までのカードで二十一に近づけるゲームだ。俺も割と好きだが、すぐに結果が出る大小の方が気に入っている。


 賭博場にやってきたが、俺たちと同じ考えの奴が多く、いつも以上に大盛況だ。


「出遅れたな。これで入れるのか?」


 マリクが心配そうに呟いているが、賭博場の若い従業員がすぐに対応してくれた。


「ちょっと寒いですが、あちらの天幕でもできますよ。まあ、皆さんの熱気で寒さなんてすぐに気にならなくなりますがね。酒が必要なら俺たちに言ってください。金を渡してくれたら、酒場から運んできますんで」


「それは助かるな」


 至れり尽くせりの対応に頬が緩む。


 マリクと別れ、一人で勝負に向かう。

 相性のいいサイコロ振りディーラーを見つけた。


 二十歳くらいの若い女で、美人というほどではないが、愛嬌がある奴だ。この女のところで賭けると勝つことが多いので、ゲン担ぎでここからスタートする。


「あら、ペーターさんじゃない。また私をカモにしに来たのかしら」


 そう言いながらサイコロを振っている。


「帰国できるって話だからな。あんたならデカいのが当てられそうな気がするんだよ」


 賭けを始めるが、最初は連戦連敗だった。

 そろそろヤバいなと思った時、思い切って倍率が高い目に賭ける。


「五、六、六……十七! 五十六倍よ! 凄いわ、ペーターさん!」


「やったぜ!」


 その後はツキが完全に戻り、五百マルクの元手が百倍にまで膨らんだ。


「この金が持ち帰れたらいいんだが……」


 そう考えたものの、すぐに酒場に行き、祝杯を上げる。

 普段飲めないような高級酒を何本も空け、更に娼館に行った。


 その日は二万マルクくらい使い、翌日は見事に二日酔いだったが、これほど楽しかったことは今までになく、作業を休んで天幕の簡易寝台で休んでいた。


 そして十二月十五日、ここを離れる日がやってきた。

 軍票はきれいに使い切った。最後は皆同じ思いだったので、酒場では大いに盛り上がり、今もまだ酔っている感じだ。


 朝早くに叩き起こされ、隊列を組まされる。

 久しぶりに隊長を見た。隊長たちは少し離れた場所にある兵舎にいたから、顔を合わせることはなかったのだ。


 その隊長だが、以前と比べると随分と太っている。

 隊長たちは王国軍の兵士と共に俺たちの作業を見ているだけだし、食事も俺たちよりいいものだという噂だ。


 素振りなんかをして身体を動かせばよかったのだろうが、怠けていたのだろう。

 その隊長も俺たちと同じように酔っているようで、声に張りがない。


「これからヴェヒターミュンデ城まで移動する。今日はヴィントムントまで船で移動だ。我が隊の出発は三時間後。それまでに準備を終わらせろ。以上だ」


 準備といっても装備は没収されているし、大したものはない。

 ここで支給された下着や手拭いなどの細々とした物以外は、昨夜賭博場でもらったカードやサイコロくらいしかない。


 ヴィントムントまでは船で移動するが、二日酔いに船酔いが加わり、大変だった。

 翌日からは徒歩での行軍になるが、ここ二ヶ月まともに歩いていないため、帝国軍の精鋭とは思えないほどノロノロとした歩みだった。


 本来なら怒鳴り散らす軍曹たちも俺たち兵隊と同じだったし、隊長たちは更に身体を動かしていないから、予定の三分の二くらいしか進めなかった。


 噂ではオラフ・リップマン将軍が不満を口にしていたそうだが、将軍の指揮が拙くて俺たちは捕らえられたのだから、文句があるなら自分に言えと言いたい。


 十二月三十日にようやくヴェヒターミュンデ城に辿り着いた。

 この二週間で気づいたことは、俺たちは新兵以下になり下がったということだ。

 俺たちだけじゃなく、隊長たちも完全に緩んでいる。


 俺たちが野営中に博打に講じても、注意してくる隊長はいなかった。聞いた話では、隊長には毎日酒が配給され、それを飲んでいるから、俺たちが遊んでいても気にならないのだそうだ。


 十二月三十一日、ヴェヒターミュンデ城の東を流れるシュヴァーン河を渡った。

 川には俺たちが罠に嵌った時と同じ浮橋が掛けられており、簡単に渡河できた。


 川を渡った後、王国側を見た。


「負けた時にはどうなるかと思ったが、思ったのとは違ったな」


 隣にいたマリクが俺の独り言を聞き頷いている。


「死んだ奴らには悪いと思うが、生まれてきてから一番楽しかった気がするぜ」


 その言葉に大きく頷く。


「そうだな。それにしてもまた王国軍と戦うことになるのかな」


「どうだろうな。まあ戦うとなってもヤバいと思ったら、みんなすぐに降伏するんじゃないか。少なくとも俺は本気で戦う気はないな」


 俺も同感だ。

 戦死した戦友たちには悪いが、捕虜になってもあんないい思いができるなら、さっさと降伏するだろう。


「お前は聞いているか?」


 マリクが突然聞いてきた。


「何のことだ?」


「ディーラーたちの話じゃ、俺たちが戻る頃には帝都にもあんな遊び場ができるらしいぜ」


「その話なら俺も聞いたな。ヴィントムントの商人が既に帝都で準備を始めたという話だ。できたら一発当てに行くつもりだ」


「俺も同じだ。今度は金にできるから、でっかく当てて軍を辞めてやるよ」


 マリクも同じことを考えていたようだ。


「それがいいな。俺には賭け事の才能がある。最後には使い切ったが、持ち返るつもりなら二ヶ月ちょっとで五万マルク以上は稼いでいた」


「まあ、俺の方が強かったがな」


「俺の方が大穴を当てているぞ」


 そう言いあった後、互いに顔を見合わせ大きな声で笑った。

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