第65話「失敗と開き直り」

 統一暦一二一一年六月二十二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵


 姉の王都帰還を公表するタイミングで、私がラウシェンバッハを暗殺しようとしているという噂が流れた。

 流したのはラウシェンバッハの手の者だろう。


 その噂では、我がマルクトホーフェン家が暗殺者に金を出し、依頼したという話になっていた。実際、姉が我が家の金を使っているので嘘ではないが、そのお陰で私は暗殺も厭わない非情な男、先代ルドルフの血を色濃く受け継いでいるという話が広まった。


 この噂を払拭するため、私は“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者を大量に投入し、暗殺者集団“毒蜘蛛ギフティヒシュピネ”を壊滅させた。


「暗殺者十五名を抹殺することに成功しました」


 腹心のエルンスト・フォン・ヴィージンガーが報告する。


「このことを大々的に発表しろ。我がマルクトホーフェン侯爵家は政敵に対する暗殺であっても、正義のために認めないのだと世間に知らしめるのだ」


 ヴィージンガーは私の命令通りにその旨を公表した。

 しかし、ラウシェンバッハはそのことを逆手に取ってきた。


 翌日の六月二十三日、王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が御前会議を招集し、私に対して越権行為であると抗議してきたのだ。


「王都の治安を守るのは王国騎士団である。宮廷書記官長はどのような権限をもって、暗殺者を殺害したのか。以前、ラウシェンバッハ子爵が私兵を使ってならず者を捕縛した際、宮廷書記官長は越権行為であると抗議されましたな。今回の件はどう考えているのか、はっきりと聞かせていただきたい」


 それに対し、宰相のメンゲヴァインが大きく頷いた。


「小職も聞きたいですな。あの時、ラウシェンバッハ子爵は第一騎士団長から正式な文書で許可を得ていたはず。宮廷書記官長殿はどのような手続きを取ったのかな」


 軍務卿のレベンスブルクもそれに賛同するように大きく頷いている。

 私は手抜かりがあったことに内心で歯噛みした。


「ラウシェンバッハ子爵とは意見が合わないことも多いですが、同じ王国貴族として、彼が暗殺されることを防がねばならないと考えました。そのために早急に手を打つ必要があり、手続きを行っている時間がなかったのです」


 それに対し、レベンスブルクが反論する。


「それはおかしいのではないですかな。早急に手を打つ必要があったとしても、王国騎士団に連絡すべきだ。しかし、今回は事後の報告すらないと聞く。巷ではマルクトホーフェン侯爵家が証拠隠滅を図ったという噂が出ているそうだ。小職はそのようなことはないと思っているが、事後にすら報告せぬのは証拠隠滅と言われても仕方がないのではないか」


 証拠隠滅を図ったという噂が流れていることは知らなかった。

 ラウシェンバッハにしてやられたようだ。


「そのようなことはない。手続きを無視したことと報告を失念したことは小職のミスだが、暗殺者から王国の重職を担う貴族を守ったことも事実。非難されるようなことではない」


 そこで国王フォルクマーク十世陛下が発言した。


「マルクトホーフェンよ。今回のことは卿の落ち度であることは明白。その上でどのように責任を取るのか、はっきりと聞かせてくれぬか」


 国王は姉のことで私に対し怒りを覚えている。そのため、いつものやる気のない雰囲気は微塵もなく、強い視線で私を見つめていた。


「責任と言っても犯罪者を取り締まっただけのこと。何に対する責任を取ればよいのか、小職には理解できません」


 そこでホイジンガーが再び発言する。


「王国の秩序を乱したことは明らかでしょう。権限もなく、暗殺者である可能性がある者を証拠もなく殺害したのですから。本来であれば、捕縛した上で背後関係を洗い出す必要があったのだが、それすらできなくなったのです。宮廷書記官長が自ら関与していないことを示さねば、証拠隠滅を図ったと考えざるを得ませんな」


「私が暗殺者を使ってラウシェンバッハ子爵を殺そうとしたと言いたいのか!」


「関与していない証拠を示してもらいたいと言っているのです。重要な証人を殺してしまったのですから」


 ホイジンガーはいつもより饒舌だった。恐らくラウシェンバッハが書いたシナリオに沿って発言しているのだろう。


 いずれにしても私は追い詰められた。

 そこで私は開き直った。


「証拠を示せねばどうするというのだ? この私を捕縛するとでも? 暗殺者であることは明らかだったのだ。正義を行った者を処罰するというのであれば、我がマルクトホーフェン家の総力をもって受けて立つ。それでもよいのだな」


 私の言葉を聞き、国王と宰相の顔色が一気に蒼褪める。

 ここが正念場と考え、更に強気に出た。


「あれは緊急避難的なことだった。手続き云々といって手遅れになったら、卿らはそれをもって私を攻撃したのではないか? このような茶番には付き合い切れぬ。陛下、我が言葉に異論がおありですか。陛下のお言葉如何によっては我が家の対応が変わってきますぞ」


 国王は先ほどまでの強気の姿勢が一気に消え、目を泳がせている。

 内乱に発展することを恐れているだけでなく、姉が戻ってきた後に暗殺されるのではないかと恐れたのだろう。


「もう一度お聞きします。今回の件で私を処分すべきと本当にお考えでしょうか。お答えいただきたい」


 私は低い声でもう一度国王に確認する。

 この場にラウシェンバッハなり、グレーフェンベルクなりがいれば、私の言葉を遮ったのだろうが、ホイジンガーにしてもレベンスブルクにしてもそこまで頭が回らないらしく、国王の回答を待っている。


「マルクトホーフェンに非があったことは事実である。しかし、処分するほどのことでもない……」


「寛大なお言葉、ありがとうございます。自主的に俸給の二ヶ月分を国庫に返納いたしましょう。これでこの件は終わりでよろしいですな」


「それでよい……」


 何とか窮地は脱したようだ。


 御前会議が終わり、屋敷に戻った後、エルンストを呼び出した。


「してやられたぞ。ラウシェンバッハが逆手に取ってきたのだ」


 御前会議でのことを話すと、エルンストの顔色が一気に悪くなった。


「申し訳ございません。そこまで考えておりませんでした……」


「確かに貴様の落ち度だな」


 私の言葉にエルンストは項垂れる。


「だが、悪いことばかりではない。今回のことでラウシェンバッハを排除すれば、王国を牛耳ることができることが分かったのだ。あとはどうやって追い出すかだ。それを考えるのだ」


「はっ!」


 エルンストはやる気に満ちた顔で頷いた。


 それから五日後の六月二十八日、姉アラベラが王都に帰還した。

 本人は全く悪びれることなく、王宮に入ってきた。

 私は宮廷書記官長として姉を出迎えたが、すぐに人払いを行って抗議する。


「姉上は何を考えているのですか! ラウシェンバッハに暗殺者を送り込めば、一番に疑われるのはこの私なのですよ! 第一、あの程度の暗殺者でラウシェンバッハを殺せると思っているのですか! こちらは後始末までさせられた上、御前会議で糾弾されたのですよ!」


「うるさいわね。そもそもこの話を持ってきたのはあなたの腹心よ。それにお金は出したけど、細かいことまで私が指示するわけがないでしょう。あなたの部下が無能だっただけじゃない」


 姉は悪びれることなく、鬱陶しそうに私に言い放つ。

 しかし、姉の言葉に驚き、思わず聞き返した。


「エルンストが?」


「ヴィージンガーの部下という男よ。名前は憶えていないけど、若い男だったわね」


「まさか……」


「それにラウシェンバッハがいる限り、グレゴリウスは国王になれないのではなくて? その男はそう言っていたわよ」


 グレゴリウス殿下が玉座を得るにはラウシェンバッハが邪魔であることは紛れもない事実だ。

 奴は私とは相容れない。私の甥であるグレゴリウス殿下を認めることはないだろう。


「確かにそうですが、暗殺に失敗すれば、こちらが危うくなるのです。その点をよく……」


「うるさいわね! 陛下が私たちを処分することはできないわ。それよりもフリードリッヒがいない今のうちに、グレゴリウスの立太子まで持っていくべきよ。そのためには強引な手でもなんでも使うわ」


 姉はグレゴリウス殿下のことしか考えていない。

 これ以上姉に何を言っても無駄だと思い、執務室に戻った。そして、エルンストを問い質す。


「姉上にラウシェンバッハ暗殺を勧めたのはお前の部下だという若い男だったそうだ。これはどういうことなのだ!」


 エルンストは私の剣幕にたじろぐものの、すぐに冷静に反論してきた。


「私は命じてはおりません。第一、あの程度の暗殺者を送り込んでも意味がないことが分かっているのです。そう考えると、我々を陥れようとしている者がアラベラ殿下に吹き込んだ可能性が高いと思います」


 冷静に考えれば、エルンストがそのような愚かな指示を出すはずがない。


「我々を陥れようとする者だと……」


「はい。ラウシェンバッハならこのような手は使わないでしょう。だとすると、我が国に混乱を与えようとする国外の勢力、具体的には帝国と法国のいずれかが動いている可能性が高いと思います」


「確かにあり得るな。特に皇帝マクシミリアンならやりかねん」


 皇帝にしてやられたことが腹立たしく、テーブルをバンと叩いてしまう。


「噂を流しましょう。今回のことはグレゴリウス殿下の才能を恐れた帝国が仕組んだことであり、それにアラベラ殿下が乗せられたと。アラベラ様には申し訳ないですが、帝国に騙されたことにした方がグレゴリウス殿下のためにも侯爵家のためにもよろしいかと」


 姉の評判はこれ以上下がりようがない。ならば、愚かにも帝国に利用されたとした方が我が家とグレゴリウス殿下の評価が下がることを防ぐことができる。


「それでよい。すぐに噂を流せ」


「承知いたしました」


 エルンストは大きく頭を下げた後、執務室を出ていった。

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