第32話「月夜の死闘:その一」
統一暦一二〇三年八月十一日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城壁。ラザファム・フォン・エッフェンベルク
日付が変わった頃、私は大隊軍曹の野太い声によって、夢の世界から強引に現実に引き戻された。
「第一中隊、総員起床! 直ちに戦闘準備開始! 第二種装備装着後、兵舎の前に整列せよ! 但し、あまり音を立てるな! 以上だ!」
音を立てるなという割には軍曹の声はうるさいが、こういった場合に使われる鐘やラッパの音は全くない。
「全員起きているな! 他の中隊に後れを取るなよ!」
装備を身に着けながら命令を出していく。
我々第一中隊は騎兵部隊であるため、第一種装備は騎兵用の装備だが、第二種装備は歩兵用の装備となる。これはここヴェストエッケだけでなく、王都シュヴェーレンブルクや東の要衝ヴェヒターミュンデ城での防衛戦を想定しているためだ。
十分ほどで装備を身に着けると、兵舎の前に飛び出していく。同じように部下たちも飛び出し、列を作っていく。
全身に鎧を身に纏う割には時間が掛かっていないが、これは予めすぐに装着できるよう準備していたことと、二人一組で装着する訓練を行っているからだ。他の騎士団なら三十分以上掛かるだろう。
小隊長に装備の確認を命じるが、すぐに問題がないことが報告される。周りではまだ兵士たちが兵舎から出てきており、素早い行動に満足する。
しかし、第三大隊ではトップだったが、第一連隊全体ではハルトムートの中隊に僅かに後れを取った。そのことが少し悔しいが、それを表情に出すことなく、部下を褒める。
「第二大隊第二中隊に僅かに及ばなかったが、素早い対応だった!」
私の言葉に悔しげな表情を浮かべている者が多い。
ハルトムートの隊とは後方撹乱作戦で一緒だったこともあり、兵士たちも気心が知れているが、その分強いライバル心を持っている。
「戦果を挙げて見返してやろう! だが、無謀なことはするな! 千里眼のマティアスがどこから見ているか分からん。私は彼から叱られたくないからな」
私の言葉で兵士たちの表情が緩む。
マティアスは兵士たちには優しい存在だが、私たち隊長には厳しく言うことが多い。そのことを知っているため、兵士たちはニヤリと笑うのだ。
ハルトムートの隊だと、ここでからかう声が上がるのだろうが、そこまで私の隊は緩くない。それでも共に死線を潜ったことから、以前より兵たちとの間に壁はなくなっている。
全中隊の準備が完了したところで連隊長から訓示があった。
「敵が全軍で攻撃を仕掛けてくる。我が連隊は城門の東側、坂路の辺りを担当することになる。ラウシェンバッハ参謀長代理の見立てでは、鳳凰騎士団の精鋭、黒鳳騎士団を相手にする可能性が高いとのことだ。というより、黒鳳騎士団が相手だから我が連隊を指名し、団長も即座に了承されたと聞いている。我々はその信頼に応えねばならん! 諸君らの奮闘に期待する! 以上だ!」
最も警戒すべき敵と戦うことになるが、部下たちは誰も悲壮感を見せていない。それどころか、やる気に満ちている。他の中隊でも同じ感じで、マティアスは連隊長を通じて兵の士気を上げることに成功した。相変わらず凄い奴だと感心する。
その後、簡単な夜食が用意され、それを兵舎の前でかき込んでいく。
用意された夜食は真夜中ということで消化がよさそうなドロドロに煮込まれた麦粥だ。はちみつで甘みが付けてあり、眠気で回らない頭がはっきりしてくる。
その頃には城壁の東側で黒狼騎士団が攻撃を始めていた。しかし、我々には待機の命令が出されたままで、気だけが逸る。
そんな時、大隊長が各中隊を回り出した。
「敵がカムラウ河を渡ったそうだ。あと三十分ほどで城壁に到着する。第二連隊が我ら第一連隊の西側、第三連隊と第四連隊がその西側で城門を守ることになる。我々は第二連隊と連携して敵を食い止めることになる……」
我々第二騎士団は団長直属部隊を除き、すべての連隊が最前線で戦うことになった。
グレーフェンベルク騎士団長は司令官室で全軍を指揮することになっており、この場にはいない。
それでも不安は全くなかった。
それに司令官室にはマティアスがいる。
団長が彼の助言を直接聞ける方が、前線の我々は安心できる。
十分ほどで食事を終えると、城壁の上に静かに上がっていく。そして、敵に姿を見られないように姿勢を低くして敵を待ち受ける。
そんな中、伝令が小走りながら、連隊長の命令を伝えていく。
「戦闘準備。敵は城壁のすぐ下にいると報告があった。その場で待機せよ……」
その命令を聞き、私も同じように姿勢を低くして歩きながら、部下たちに命令を出し、注意事項を説明していく。
「戦闘準備。最初は登ってきた敵兵に奇襲を掛ける。その後は登ってくる敵に石を落として邪魔をしろ……敵の矢には充分に注意するんだ。松明の近くで立ち止まれば標的にされるぞ……」
注意事項に関しては事前に注意は与えてあるため再周知になるのだが、こういったことはしつこいくらいに部下に伝えることが重要だと、マティアスから聞いているので実践している。
当然分かっていると思っていても、極限状態になると頭から抜けることがあるから、直前に注意を与えることは記憶が新たになってよいのだそうだ。
実際、演習でこれをやった場合とやらなかった場合を比較しており、効果があることが確認できている。こういったこともマティアスらしい周到さだ。
戦闘準備が完了し、静けさが戻ってくる。
東側から微かに戦闘音が聞こえてくるが、城壁の下に五千人の敵兵がいるとは思えないほど静かだ。
しかし、それまでと違い、殺気のようなものを感じており、敵がいることは何となく分かる。
カツンという音が城壁の上に響く。
それに引き続き、同じ音がいくつも聞こえてきた。鉤爪付きのロープが投げ込まれた音だ。
それからロープを登ってくる敵兵の息遣いが聞こえてくる。身体強化が使える法国軍兵士はあっという間に城壁を登り、黒い兜が松明の光に照らされながら姿を見せる。
「攻撃開始! 一兵たりとも城壁に上がらせるな!」
私がそう叫ぶと、部下たちは一斉に城壁の端に向かって走り出し、剣を突きだす。
敵も警戒していたのだろうが、ロープで両手が塞がった状態では抵抗のしようがなく、喉を突きさされたり、腕を切られたりして、次々と落ちていく。
「矢を放ってくるぞ! 盾兵は味方を守れ! 斧を持っている者はロープを切り落とすんだ!」
私が叫び終える前に、敵が放った矢が闇の帳の中からシュッシュッという風切り音と共に降り注いでくる。
不運な兵士が鎧の隙間に矢を受けるが、盾と鎧によってほとんど被害は出ていない。
しかし、矢に対応する隙を突き、再び敵兵が飛び込んできた。
黒い鎧を身に纏っているため、闇の中から現れる亡霊のようだが、怒号によってそれが人間であると認識させてくれる。
「登ってきたタイミングに合わせて槍で突き落とせ!」
そう命じながらも私も剣を振るって敵を斬り殺していく。
いつもより敵の士気は高く、仲間が城壁から突き落とされても怯むことなく、ロープを使って上がってくる。
私の周囲でも既に乱戦となっており、松明や灯りの魔導具で照らされた剣や槍が煌めいている。その色は赤く、乾く間もない血が光を反射していた。
城壁の際で食い止めるという当初の目論見は破綻しつつあった。
「三人一組で戦え! ケガ人はすぐに後ろに送り出せ!」
混戦となっているため、味方に当たることを恐れた弓兵の攻撃には躊躇いがあった。そのため、支援が充分ではなく、死兵と化した敵の猛攻に部下たちは徐々に押し込まれている。
これほど押し込まれているのは、敵が一斉攻撃を仕掛けてきたためだ。
我々が戦端を開く直前、西側の第三、第四連隊が赤鳳騎士団の攻撃を受けたという報告があり、第二騎士団だけで黒鳳騎士団と赤鳳騎士団を受け持っているらしい。
そのため、倍する敵に押されている。
「第三中隊、斉射準備! 第一中隊! タイミングを合わせろ!」
大隊長の命令が聞こえた。
そして、その直後にカンカンという鐘の音の後に一瞬の間が空き、カーンという高い音が響く。
私を含め、部下たちはその最後の音に合わせ、一斉にしゃがんだ。
その直後、私たちの頭上を矢が通過し、敵兵をハリネズミにする。
戦果を確認することなく、私は叫んだ。
「第一中隊、押し出せ! 敵を城壁から排除するんだ!」
兵たちが一斉に武器を突き出し、まだ生きている敵兵に止めを刺しつつ、突き落としていく。ロープから這い上がろうとしていた新たな敵兵が巻き込まれ、一時的だが敵の排除に成功した。
兵たちが歓声を上げるが、他の大隊では激しい攻防を繰り返しており、すぐに冷静さを取り戻す。
今回のような状況は予め想定されており、何度も練習を重ねていたため、本番では初めてだったが、思った以上に上手くいった。
「まだまだ敵は多い! 油断するな! 今のうちに負傷者を後退させろ! 敵兵の死体は下に投げ落としておけ!」
自分に言い聞かせるように命令を発していった。
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