第44話「捕虜の処遇」

 統一暦一二〇三年八月十一日。

 レヒト法国北部、クロイツホーフ城内、黒鳳騎士団団長フィデリオ・リーツ


 真夏の太陽が中天に差し掛かった。ヴェストエッケから全軍をここクロイツホーフ城に帰還させてから八時間ほど経っている。


 兵士たちには休養を命じたが、私自身は身体を横たえるどころか、食事を摂る暇もなく、命令を出し続けている。

 それでもこの絶望的な気持ちを紛らわすことはできない。


 現在、各騎士団の損害状況を把握させているが、八時間経った今でも正確な情報が揃わないほど混乱している。

 最大の理由は核となる指揮官の減少だ。


 グライフトゥルム王国軍はヴェストエッケ城内での戦闘において、隊長たちを集中的に攻撃してきた。


 そのため、我が黒鳳騎士団はそれほどでもないが、他の騎士団では千人長や百人長といった上級指揮官だけでなく、十人長までもが多く失われている。


 指揮官不在の部隊は一箇所に集まることすらできず、知り合い数人で固まっているため、所属部隊を確認するところから始めなくてはならず、情報が集まらないのだ。


 また、総司令官である白鳳騎士団団長、ギーナ・ロズゴニー殿が使い物にならないことも影響している。


 白鳳騎士団の隊長たちはロズゴニー殿に報告しようとしたらしいのだが、顔を見ることすらできなかった。しかし、直属の団長が健在なのに、指揮権がない私に報告するわけにもいかず、彼らも困惑しているようだ。


 副官には早急に指揮を執るようロズゴニー殿に伝えてほしいと言っているが、声を掛けるだけで怒鳴り散らされ、手に負えないと零していた。

 私が直接声を掛けに行ければいいのだが、そんな時間はなく、放置している状況だ。


 そんな中、城門に配置した部下が慌てた様子でやってきた。


「捕虜となった者たちの代表者と称する者たちが城門に現れました。数は十二名。自分たちの解放条件について、王国軍の考えを伝えたいとのことです」


 捕虜の解放条件と聞き、思わず首を傾げる。


「条件だと……どういうことだ?」


「その者たちが言うには、王国第二騎士団長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵が二千名の捕虜の解放条件をロズゴニー閣下か、リーツ閣下にお伝えするよう命じたとのことです」


 二千人も生きていてくれたのかと神に感謝する。しかし、すぐに気を引き締めた。


「分かった。ロズゴニー殿には私から話す。その者たちを会議室に案内しておいてくれ」


 それだけ命じると、ロズゴニー殿の部屋に向かった。

 ドアをノックしても開けてもらえず、外から叫ぶしかない。


「王国軍より捕虜の解放条件について話をしたいと言ってきました。ロズゴニー殿にも来ていただきたいのだが」


 それでもロズゴニー殿は答えない。二度同じことを繰り返すと、ゆっくりとドアが開いた。

 ロズゴニー殿は憔悴し切った表情で、未だに鎧を纏ったままだ。


「私は体調がすぐれぬ。貴殿に我が軍の指揮権すべてを委譲する」


 この状態の彼に来てもらっても意味がないと思うが、ロズゴニー殿が責任者であることは法王聖下によって定められており、簡単には首肯できない。


「全権を委任した証をいただきたい。あとで揉めたくありませんからな」


 ロズゴニー殿は面倒だという顔をするが、すぐに部屋の中に戻る。そして、一枚の紙を手に戻ってきた。


「委任状だ。これで問題なかろう」


 それだけ言うと、私が口を開く前にドアが閉じられた。


 これで白鳳騎士団を含め、すべての指揮権を得たため、今までよりスムーズにことが進むと思うが、責任もすべて私が負うことになり、気が重くなる。

 それでも二千名の同胞を救うべく、会議室に向かった。


 会議室に入ると、すぐに本題を切り出した。


「捕虜となった兵の解放条件を伝えるとのことだが、まずは捕虜の状況を教えてくれ」


 白鳳騎士団の百人長が「はっ!」と言い、説明を始めた。


「捕らえられた者は白鳳騎士団と赤鳳騎士団でそれぞれ約一千名。最高位は我ら百人長で、千人長はおりません。応急処置を受け、簡単な食事を与えられた後、兵たちは兵舎らしき建物に収容されました。我々指揮官は別の建物に収監され、簡単な尋問を受けておりますが、拷問などは行われておりません」


 応急処置を受けたと聞き、王国軍が処刑を考えていないことに安堵する。しかし、それを表情に出すことなく、質問を続けていく。


「では、今すぐ処刑されるようなことはないと考えてよいのだな」


「恐らくは。反抗的な兵は乱暴に拘束されましたが、殺されたという報告は聞いておりません」


 捕虜の扱いも問題なく、本題に入る。


「分かった。では、解放の条件を聞かせてくれんか」


「グレーフェンベルク子爵からは、捕虜一名につき、馬具を完全に装備した軍馬二頭で引き渡すと言われております」


「軍馬二頭、全部で四千か……総主教猊下は認めぬだろうな……」


 優秀な軍馬は貴重であり、鳳凰騎士団全体でも七千頭を保有するのみだ。現在、ここには四千五百頭ほどいるが、そのうち一千頭は黒狼騎士団所有のものになる。四千頭を用意しようと思うと、黒狼騎士団から徴発しなければならないが、後々問題になることは間違いない。


 また、軍馬は各騎士団、すなわちそれぞれの教会の資産でもある。南方教会のトップであるヘルミン・シェーラー総主教猊下は金銭に細かい方であり、これほど膨大な資産を勝手に処分することを認めることはないだろう。


 それでも同胞を故郷に連れ帰らないという選択肢はない。私の首で何とかするしかないだろう。


「他に条件は言われていないか?」


「もう一つございます。捕虜は一括で解放せず、最初に千五百名、三日後に五百名と分割で引き渡すとも言われました」


「それはなぜだ?」


 理由が分からず聞き返すと、百人長は理由を聞いていたらしく、すぐに答えた。


「軍馬に細工するのを防ぐためだそうです。飼葉に何か仕込まれても、三日もあれば異常が見つかるだろうからと言われました」


 言っていることは合理的だが、私がそんなことをさせるはずがない。そのことを聞くと、それについてもすぐに答えていく。


「リーツ閣下が命じないことは疑っておりませんでした。ですが、黒狼騎士団の兵士が意趣返ししてくることを確実に防げるのか疑問だと言っていました」


「なるほど……」


 確かに黒狼騎士団が暴走する可能性は高い。リートミュラー殿を失い、更に愛馬まで奪われるのだ。隙を見て細工する可能性は否定できないだろう。


 それにしてもグレーフェンベルク子爵は噂以上に切れ者だ。戦闘が終わってまだ半日も経っていないのに、ここまでのことを考えられるのだから。


「分かった。では、こちらから使者を出せばいいのだな」


「いいえ。我々がヴェストエッケに戻って伝えることになっております。その後に、王国軍から正式な使者がこちらに来るとのことでした」


「向こうから出向いてくるというのか? なぜだ?」


「分かりません。ですが、我々が戻る理由は聞かされております」


「それは何だ?」


「誰に伝えたのか、交渉が成功しそうなのかを、捕らえられている同胞たちに伝えてほしいと言われているからです。我々から伝えた方が、皆が納得するだろうと」


 やはりグレーフェンベルクは侮れぬ。

 王国軍から伝えられても真偽のほどは分からないし、百人長だけなら何か言い含められたと兵たちが思うかもしれない。


 しかし、百人長の他に末端の兵士が聞いているから、伝えられた情報は素直に信じられる。

 ロズゴニー殿が出てきた場合、話すら聞かない可能性があったが、その情報が捕虜となった兵たちに伝われば、殺されるよりは祖国を捨てた方がよいと考えてもおかしくはない。


「ならば皆に伝えてくれ。私はロズゴニー殿から全権を委任されている。今回の王国軍の提案に反対することはない。一刻も早く、祖国に帰ることができるよう尽力する。だから、軽挙妄動は控えるようにと言ってくれ」


 私の言葉で百人長たちは安堵の表情を浮かべた。

 彼らが去った後、ロズゴニー殿に報告するため、彼の部屋に向かった。全権を任されているが、報告ぐらいはしておくべきだろう。


 部屋の前には副官がいたため、取次を頼むが、首を横に振るだけだ。


「何度声を掛けてもお応えいただけないのです」


 仕方がないのでドアをノックして要件を伝えるが、先ほどと違い何度声を掛けても返事がない。


「入らせていただきますぞ」


 そう言って、鍵が掛かっているドアを、身体強化を使って強引に押し開ける。

 ロズゴニー殿の叱責を覚悟しながら中に入るが、執務室に彼の姿はなかった。そのため、奥に向かう。


 寝室に近づくと、微かに血の匂いがした。

 慌ててドアを開けると、首から血を流して倒れているロズゴニー殿が見えた。


「治癒魔導師を呼べ!」


 後ろにいた副官が慌てて走り出す。

 確認すると、既にこと切れており、サイドテーブルの上には遺書があった。


(耐えられなかったようだな。しかし、これで私が全責任を負うことになった……)


 ロズゴニー殿については、心労のため床に就いていると説明したが、特に混乱は起きなかった。兵たちも彼の心が壊れていることに気づいていたようだ。


 後処理のためにバタバタとしていたが、そこにグライフトゥルム王国軍の使者が到着したという連絡がきた。

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