第2話「試験結果の波紋」
統一暦一一九六年十二月十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王立学院。アルノー・ベックマン主任教諭
私は騎士爵家の三男に生まれた平凡な男だが、運よくシュヴェーレンブルク王立学院の教諭に採用され、四半世紀が過ぎた。
王室や上級貴族の令息・令嬢を始めとした多くの学生を指導し、その功績で騎士爵に叙任され、更に初等部の実質的な責任者である主任教諭に任じられたことは私の誇りだ。
そんな私だが、ある受験生の答案用紙を見て困惑していた。
なぜなら最上位の教育機関である研究科への編入試験レベルの難問を含め、すべての答えが正解であったためだ。
いや、それだけならまだよかった。驚いたことに問題の不備まで指摘されており、そのことで頭を抱えている。
例えば、“シュヴァーン河の西に広がるシュティレムーア大湿原の大きさは以下のどれか”という地理の問題に対して、学院が用意した正解は“④南北約百キロメートル、東西約四十五キロメートル”というものだった。
それに対し、“選択肢のうち最も正解に近いものは④であるが、これは約五百年前の王国地理誌に記載されている情報である。シュティレムーア大湿原はシュヴァーン河の氾濫により都度変化しており、現状に即していない。最新の測量結果である一一九五年十二月における大きさは南北約百二キロメートル、東西約六十三キロメートルである”と記載されていたのだ。
更に“なお、シュティレムーア大湿原は王国の国防上、重要な地域であり、機密情報に当たる可能性が高い。よって、このような問題自体が適切ではなく、主要都市の位置やその主な産物などの誰でも知り得る情報を基にした問題を作成すべきである”とアドバイスまで追記されていたのだ。
「これはどういうことだ……」
私はそう呟くが、すぐにこの答案用紙を持ち、学院長の部屋に向かった。
学院長であるエーギンハルト・フォン・ユルゲンス伯爵はやや肥満気味の身体を椅子に預け、書類を読んでいた。
「君が血相を変えて私のところへ来たということは、入学試験で何か問題があったのかな?」
ユルゲンス学院長とは学院の同期であり、三十年近い付き合いがある。向こうは伯爵家の当主、こちらは騎士爵と身分の差は大きいが、学生時代にはファーストネームで呼び合う仲であったため気心は知れており、私が焦っていることはお見通しだった。
「おっしゃる通りですよ。この答案用紙を見てください」
そう言って立派な机の上に五枚の紙を並べる。
学院長はその答案用紙をパラパラとめくって確認すると、小さく頷いた。
「なるほど。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ君のものだね。しかし凄いものだな。私でも問題の不備までは指摘できんよ。ハハハ!」
何がおかしいのか分からないが、学院長は笑い出す。
「笑い事ではありません。不正が行われたとは思いたくありませんが、調査が必要だと思います」
「調査ね……少なくともそこに書いてあることが正しいのかは調べる必要があるね」
学院長の的を外した答えに僅かに苛立つ。
「そういうことではありません! 当日の試験会場に異常がなかったのか、特にラウシェンバッハ君の周辺に何かおかしな点がなかったのかを調べるべきだと言っているのです!」
私の強い言葉にも学院長は飄々とした表情で答えていく。
「そのことなら問題はないよ。ラウシェンバッハ君には他の受験生とは別に、二人の監視人を付けていたからね」
意味が分からず困惑する。
「どういうことなのですか? 最初からこうなることが分かっていたとでも?」
そこで学院長は真面目な表情に変えて小さく頷く。
「あまり大っぴらには言えないのだが、彼は大賢者マグダ様の弟子なのだ」
その事実に思わず口を挟んでしまう。
「大賢者マグダ様……
「その通りだよ。そのマグダ様が試験の五日前にここを訪れたのだ。そして、ラウシェンバッハ君に不正がなかったと証明できるように厳重な監視を付けるように命じられたのだよ。その時は私も何のことか分からなかったが、今になってようやく理由が分かったよ。君のように言ってくる者が現れると想定しておられたとね」
私は混乱していた。
そもそも大賢者の弟子とはどういうことなのか。大賢者の弟子なら魔導師だろうし、生ける伝説である大賢者が実力を認める人物ならそもそも初等部に入学する必要などない。
そのことが顔に出たのか、学院長は分かっているとでもいうように頷き、話し始めた。
「私もマグダ様がお認めになる者が、なぜこの学院に入ろうとするのか理解に苦しんだよ。実際この答案用紙を見ても初等部で学ぶ必要はないからね」
「では、なぜなんですか?」
「詳しいことは聞かせていただいていないが、なんでも普通の子供として生活させたいのだそうだ」
更に困惑して学院長の言葉を繰り返してしまう。
「普通の子供としてですか……」
「彼は八歳からつい最近まで
「大賢者様が自ら治療を? 王家の方々でもそのようなことがあると聞いたことはないのですが……」
「私も同じことを思ったよ」
そう言って学院長は頷く。
「ではなぜ?」
「彼はマグダ様が驚くほどの天才だそうだ。今すぐにでも研究科の教授になれるほどのね……大賢者様としても期待しているのだろう。魔導師以外で初めての弟子とおっしゃっておられたから」
その言葉に頭が痛くなる。
研究科の教授ということは既にこの国でトップクラスの頭脳と知識を有しているということだ。つまり私より遥かに優秀だということになる。そんな人物に何を教えればいいというのか。
「彼は見た目より遥かに大人だそうだ。だから、彼自身に関しては何も心配することはない。ただ、周りの子供たちの反応を懸念されているらしい。彼が孤立しないか、大貴族の子息らが何かせぬかと。その点にだけ気を配ってほしいそうだ」
それから学院長とラウシェンバッハ君への対応について話し合った。
基本的には他の学生と同じ扱いをすること、初等部にいる間は私が担任になること、大賢者の弟子という話は教員の間だけで共有し、学生には伝えないことなどが決められる。
大筋が決まったところで学院長がポンと手を打ってから話し始めた。
「そう言えば、ラウシェンバッハ君の試験中のことなんだがね。彼は最初の十分くらいで答案用紙をひっくり返し、その後は寝ていたらしいよ。監視していた部下からは試験を諦めたようだと報告があったほどだ。彼のことを見ていた受験生も多いらしいから、注意した方がいいかもしれないね」
「確かにその懸念はありますね。数十年振りに満点が出たのですから余計に問題になりそうです」
「満点? 問題の不備を指摘されているんだよ。加点してもよいのではないかな」
「加点ですか……それでは余計に悪目立ちします。それに加点については基準がありませんから不公平になります」
私としても加点してよいのではないかと思わないでもないが、ルールにないことはするべきではない。
「まあ、満点ということでクレームが来たら、この事実を突きつけるつもりです。これを見ても問題だという者は少ないでしょうから」
こうしてマティアス・フォン・ラウシェンバッハは首席で合格することが決まった。
私はこの先、どんなトラブルが舞い込んでくるのかと思うと、頭と胃が痛くなった。
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