第2話「ハルトの故郷」
統一暦一二〇三年六月二十四日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村、イスターツ邸。ハルトムート・イスターツ
俺は半年ぶりに故郷ノイムル村に帰ってきた。
ノイムル村はヴェストエッケに向かう西方街道の宿場町であり、王国第二騎士団の移動で立ち寄ったに過ぎない。
親父が村長ということで、うちが騎士団長と司令部の宿に指定された。そのため、司令部要員であるマティアスとイリスは当然だが、俺も同行する。本来であれば、部下と共に村の外で野営になるのだが、実家ということで特別に宿泊を許されたのだ。
中隊を第一小隊長と中隊軍曹に任せると、実家の門をくぐる。
既に司令部の者たちは母屋に入っており、父ブレージ、母ペトラ、兄デトレフがグレーフェンベルク子爵閣下の相手をしていた。
この家に取り立てて思い入れはないが、やはり懐かしさは感じる。
裏口に回ると使用人たちが俺に気づき、声を掛けてきた。俺はこのノイムル村のちょっとした英雄らしく、それが誇らしいようなのだ。
彼らの気持ちは分からないでもない。
今までうちの村からエリート校であるシュヴェーレンブルク王立学院高等部に入った者はいない。更に兵学部で第三席という優秀な成績で卒業し、王国騎士団の中隊長にまでなっているからだ。
夕食は団長閣下たちと同じテーブルで摂ることになったが、親父たちが舞い上がっているのがよく分かった。
この村にはヴェストエッケに向かう騎士団がよく宿泊するが、団長などのお偉いさんは村で一番いい宿に泊まり、うちのような民家は隊長クラスの分宿先に指定されているだけだからだ。
「団長様をお迎えできたこと、我がイスターツ家始まって以来の誉れにございます! みすぼらしい家ではございますが、行軍の疲れをいやし、英気を養っていただければ幸いでございます!」
代々村長をやっているだけあってうちの食堂は結構広い。騎士団側だけで二十名ほどいるが、全員がテーブルに着くことができる。
料理も奮発したのか、肉や魚など普段あまり食卓に並ばない食材がふんだんにあった。また、酒も秘蔵のワインや蒸留酒が並べられており、親父の気合のほどがよく分かる。
「歓迎に感謝する。ハルトムートは私が最も期待している者の一人だ。此度の戦いでも武勲を挙げてくれると確信している」
閣下の言葉に親父は驚きの表情を見せる。まだ騎士団に入って半年しか経っていない若造を王国騎士団一の名将が褒めたからだ。
夕食は和やかな雰囲気で進んだが、行軍中ということもあり、閣下も酒はほとんど飲まずに終わった。
閣下たちが寝室に向かった後、俺はマティアスとイリスと共に家族と話をしている。
これはマティアスが希望したことだ。
親父は俺がラウシェンバッハ子爵家の嫡男とエッフェンベルク伯爵家の令嬢の友人であるということをあまり信じていない。そのため、それを払拭するためにわざわざ相手をしてくれるらしい。
「ハルトにはいつも助けられています。閣下がおっしゃったように、今回の戦いでも活躍してくれるでしょう」
マティアスが俺のことを愛称で呼んだことに親父は驚いている。
「天才と名高いラウシェンバッハ様が、愚息のことをそこまで評価してくださるとは……」
元々、帰郷するたびにマティアスやラザファムのことを家族に話しているから、学院で首席を争う天才ということは親父たちも知っていたが、彼が今回の遠征では閣下から直々に声が掛かって参謀長代理に就任した話を教えた時には驚きのあまり声にならなかった。
「ハルトの師匠という方に会いたかったのだけど、今はいらっしゃらないのね」
「ああ。師匠は団長がうちに泊まると聞いて森に魔獣を狩りに行ったよ。お偉いさんと顔を合わせるのは苦手なのだそうだ」
俺の師匠ゲルト・レトガーは東のオストインゼル公国から流れてきた人で、親父が気に入り、うちの食客として十年近くここに住んでいる。
「それは残念だわ。稽古をつけてもらいたかったのに」
「あのお嬢様も剣術を……本当のことだったんだな、ハルト」
兄貴のデトレフが俺に小声で話しかける。
兄のデトレフは次男だったが、長兄がフェアラート会戦で戦死したため、イスターツ家を継ぐことが決まっている。
子供の頃は結構仲が良かったのだが、俺が学院に入ると、俺がイスターツ家を継ぐ可能性を考えたのか、少し疎遠になった。しかし、俺が騎士団に入り中隊長になったことから今後騎士に叙任され、田舎に戻ってくることはないと思ったからか、子供の頃と同じような感じに戻っている。
「イリスは強いぜ。俺でも五本に一本は取られるくらいだからな」
「本当か? 確かに騎士の格好はしているが……」
イリスは騎士団の正式装備である武骨な鎧ではなく、銀色に輝く軽装の鎧を身に着けていた。また、腰に下げている長剣も見事なもので、その美しい容姿と青を基調とした騎士服を着ていることから劇場から飛び出してきた女優のように見えるほどだ。本当の彼女を知らない兄貴が疑うのも無理はない。
「ラウシェンバッハ様は鎧を着ておられなかったようだが?」
兄貴が言う通り、マティアスは行軍中も鎧を身につけず、学院で教えている時と同じような白を基調としたチュニック姿だ。それどころか、学院の卒業で賜った“恩賜の
「マティが戦うことはないよ。あいつがそんな策を考えるはずがないからな」
「軍師様というのはそんな感じなんだな。なるほど」
参謀という言葉は騎士団の中ですら浸透しておらず、一般の民にはどういった役職なのかピンとこないらしい。そのため、物語に出てくる“軍師”だと説明していた。
そんな話をしていたが、翌朝も夜明けと共に行動を開始するため、お開きになった。
しかし、親父たちがまだ話をしたいということで、俺だけは残っている。
「それにしても驚いたぞ、ハルト。話では聞いていたが、本当に伯爵家のご令嬢や子爵家のご嫡男と友達になっていたとは」
親父がそういうとお袋も頷いている。
「あのやんちゃなハルトが立派になったこと……本当によかったわ……」
学院時代に何度か里帰りしているが、信じてもらえないと思い、あまり詳しく話していなかった。逆に平民の友人の話がほとんど出なかったため、孤立しているのではないかと心配していたらしい。
俺自身、入学式の後の事件がなければ、彼らとこれほど親密な友人になれていたか自信がないから、両親が心配していることは分からないでもない。
「それよりも大丈夫なのか? 今回が初陣なのだろう?」
兄貴がそう言って心配げな声で聞いてくる。
「まあ戦争だからな。危険がないということはないと思う。だが、団長は王国一の名将だ。それにヴェストエッケは頑丈な城壁に囲まれている。俺自身は戦いの場に出られないんじゃないかと、そっちの方を心配しているくらいだ」
これは結構本心だ。
マティが何か策を立てるとしても、俺が率いているのは歩兵中隊でしかない。二万人以上の敵に何か仕掛けるには少なすぎる。そのため、城壁の上から敵を見ているだけで終わるのではないかと心配しているのだ。
「それならいいんだが、ラウシェンバッハ様が軍師様なのだろう。本当に大丈夫なのか……」
兄貴の言葉に両親も小さく頷いている。
「マティはあんな見た目だから不安になるかもしれないが、団長が直々に声を掛けるほどの天才なんだ。それに騎士団じゃ、誰も心配していないぜ。逆にマティが参謀になってくれたと聞いた兵士たちが歓声を上げたほどだ」
「そうなのか……戦とは一番遠い人のように見えるんだが……」
「まあ見ていてくれ。あいつの策で法国の連中を叩きのめしてやるから」
俺が自信を持って断言しても三人の不安は消えなかった。
翌朝、夜明け前に起床し隊に合流すべく、屋敷を出る。
「気を付けるんだよ。無事に帰ってくれるのが一番なんだから……」
長兄を失ったためか、見送りに来たお袋がうっすらと涙を浮かべている。
「ああ。気を付けるよ。だからお袋たちも身体には気をつけてくれよ」
明るい声でそういい、片手を上げてから中隊のいる野営地に向かった。
野営地に帰ると部下たちが準備を整えて俺を待っていた。
「昔の女に泣かれませんでしたか、隊長!」
お調子者がそんなことを言うと、兵士たちがどっと沸く。
「そんな女なんていねぇよ! 分かって言っているだろ!」
俺が強く言い返すと、更に笑いが起きる。
「隊長はラザファム様やマティアス様と違ってもてないですが、故郷なら女の一人や二人いるかもって思ったんですよ」
そんな感じで軽口を叩いてくるが、俺にとってはかけがえのない部下たちだ。
しかし、そんな素振りは見せずに命令を出す。
「うるせぇ! 無駄話している暇はないぞ! 今日も三十キロ以上歩くんだからな!」
そう言うと、軍曹が引いてきた馬に乗る。
歩兵中隊だが、中隊長は騎乗が認められている。これは指揮を執るのに視点が高い方が便利だからだ。
騎士団を見送るため、村の連中が道の両側に立って手を振っている。
そんな中、俺の中隊にも出発の指示がきた。
「出発!」
俺の中隊から先ほどまでの緩んだ感じは一切消え、精鋭らしいきびきびとした動作で行軍を開始した。
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