第3話「ヴェストエッケ城」
統一暦一二〇三年七月十八日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
夏の日差しに焼かれ、セミの声をうるさく感じながら、王国第二騎士団は王国西部の要衝ヴェストエッケ城に到着した。
私は馬車での移動だが、比較的涼しかった山間部から海が近い平野に降りてきたため、ばて気味だ。それでも体調自体は悪くない。
ヴェストエッケは東西二キロメートル、南北一・五キロメートル、高さ二十メートルという巨大な城壁を持つ城塞都市で、人口五万人を誇る王国西部で一二を争う大都市でもある。
ここは、東は
常備兵は約三千人。それに加え、五千人にも及ぶ義勇兵が召集できる。但し、義勇兵は退役した兵士や訓練を始めたばかりの若者が主体であり、常備兵より能力は劣る。
最大八千名しかいないが、過去には三万人以上の大軍に攻撃を受け、王都からの援軍が遅れるという事態が起きても、三ヶ月以上持ちこたえた実績もあり、王国はこの地での防衛に絶対の自信を持っている。
城の南側には三キロメートル四方ほどの平原が広がり、更に南にはカムラウ河が流れている。その南岸にレヒト法国の拠点、クロイツホーフ城がある。
クロイツホーフ城は一辺五百メートル、高さ五メートルほどの城壁に囲まれた城で、防御施設というより補給物資の集積場所という性格が強い。
また、クロイツホーフ城の周りに村や町はなく、森が点在しているだけだ。これはヴァイスホルン山脈から絶えず降りてくる魔獣の脅威が大きいことに加え、クロイツホーフ城にいる特権階級の騎士たちが無理難題を言ってくることが予想できたため、開拓が進まなかったのだ。
ヴェストエッケに入った後、私は第二騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵、参謀長のベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵、副官二名と共に、城の南側にある司令官室に入った。
イリスは私の護衛という扱いのため、同じく護衛の
部屋の中には豊かな白髪と見事な白い髭が特徴的な人物が、副官らしき若者と一緒に待っていた。
名前はハインツ・ハラルド・ジーゲル。年齢的には六十歳ほどだが、鍛え上げられた体躯と鋭い目付き、日に焼けた肌から老将という印象はなく、歴戦の将軍という印象を受ける。
実際、平民からの叩き上げで王国騎士団長と同格の将軍にまで上り詰めている。その豊富な実戦経験に加え、冷静さと豪快さを併せ持つ名将という話は有名だ。
ちなみに将軍という役職だが、グライフトゥルム王国では貴族領騎士団や兵団など、複数の部隊を統括指揮する役職をいう。この定義で言えば、王国騎士団長も将軍と言えるのだが、騎士団長という役職の方が、馴染みがあるため、将軍と呼ばれることは稀だ。
「久しいな、ジーゲル将軍」
笑顔のグレーフェンベルク子爵がそう言って右手を差し出した。子爵もここヴェストエッケで何度も戦っており、ジーゲル将軍のことはよく知っている。
「これほど早く増援に来ていただき感謝します。今回はいつもより敵が多く、苦戦は免れぬと考えておりましたので」
その体躯と同様に声にも張りがあった。
年齢も戦歴もジーゲル将軍の方が上だが、王国騎士団団長の方が地方兵団をまとめる将軍より上位とされていることから、将軍は敬語を使っている。
「シャイデマン参謀長とラウシェンバッハ参謀長代理だ。シャイデマンは知っていると思うが、ラウシェンバッハのことはどうかな?」
ジーゲル将軍は私を一瞥すると首を横に振る。
「存じませんな。シャイデマン殿の下で見習いをしているということですかな」
そこでシャイデマン男爵が優雅に首を振る。
男爵はすらりとした長身でカイゼル髭が特徴的な紳士だ。燕尾服を着ていたら優秀な執事と間違えそうなほど所作が美しい。
「逆ですな。小職の方がラウシェンバッハ殿に戦術を学んでおります」
「ほう。シャイデマン殿がこの若者から……」
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します。王立学院で教鞭を取っておりますが、この度はグレーフェンベルク子爵閣下の要請を受け、臨時の参謀として従軍しております」
そう言って右手を差し出すと、厳しい表情を変えることなく、私の手を取った。
「ハインツ・ハラルド・ジーゲルだ。よろしく頼む」
私のことは子爵が連れてきたから実戦経験のなさそうな若造であっても、一応いることだけは認めてやろうという感じが伝わってくる。
「早速だが現状について情報を共有したい」
総司令官に当たるグレーフェンベルク子爵が切り出した。
その言葉を受け、ジーゲル将軍が小さく頷き、説明を始める。
「既に伝令で伝えている通り、去る七月十日に黒狼騎士団約五千がクロイツホーフ城に入りました。鳳凰騎士団はまだ姿を見せておりませんが、黒狼騎士団は到着の二日後、十二日に夜襲を仕掛けてきました。幸い我が方に損害なく、撃退しております。その翌日以降も四夜連続で夜襲を仕掛けてきましたが、いずれも問題なく対処しております。敵も無駄だと分かったようですな。一昨日の十六日からは大人しく城に篭っております」
黒狼騎士団は北方教会に属し、通常は領都クライスボルンに駐留している。クライスボルンからクロイツホーフ城までは約三百五十キロメートルであり、予想通り我々より早く到着していた。
「四日続けて夜襲を仕掛けた後、一昨日からやめているのですか……」
私がそう呟くと、グレーフェンベルク子爵が確認してきた。
「何か気になることがあるのかな?」
私はその問いに頷いた後、ジーゲル将軍に視線を向ける。
「将軍にお尋ねしますが、黒狼騎士団の襲撃は本気だったのでしょうか? あっさりと引き下がることはありませんでしたか?」
「初日は肝を冷やしたが、それからは思ったより淡白な攻撃であったな。それがどうしたのだ?」
「黒狼騎士団の将はエーリッヒ・リートミュラーという方です。北方教会の神狼騎士団の中でも猛将と言われている人物ですから、あっさりと引き下がったことに違和感があったのです」
私の言葉に、将軍は考えながらゆっくりと頷く。
「そう言われればそうだな。リートミュラーのことは儂もよく知っておるが、このような戦い方をする者ではない。どこかおかしいと思っておったが、このことであったか……」
ジーゲル将軍はここヴェストエッケを四十年近く守っており、神狼騎士団とは何度も剣を交えている。そのため、敵にも詳しく、違和感を抱いていたようだ。
「リートミュラー団長が自ら策を弄するとは思えません。恐らく何らかの策を授けられているのでしょう」
「なるほど。で、ラウシェンバッハ殿はどのような策だと考えているのかね」
シャイデマン男爵が聞いてきた。
「確信はありませんが、明日か明後日の夜に少人数で潜入してくる可能性があります。恐らく潜入部隊が陽動として城内に混乱を与えている間に、本隊が城壁に取り付こうとするはずです」
「なぜ明日か明後日なのだ?」
ジーゲル将軍が鋭い視線を私に向けて聞いてきた。
「鳳凰騎士団が到着するのは最短で三日後の二十一日。それまでに戦果を挙げようと抜け駆けをしたのでしょう。ですので、二十日までに奇襲を仕掛けてくるはずです」
「それならば、今夜でもよいのではないか?」
「その可能性はありますが、リートミュラー団長もジーゲル将軍のことをよく知っているはずです。将軍の油断を誘うには二日空けるだけでは足りないと考えると思います。三日、ないし四日続けば、夜襲を諦めたと将軍もお考えになるのではないでしょうか」
「確かに今夜も警戒を強める予定でいた。だが、第二騎士団が到着しているのだ。夜襲を掛けてくるとは思えぬが」
そこで将軍は大きく頷いたが、同時に疑問も口にした。
「我々は北門から入っています。クロイツホーフ城からは死角になっていますし、黒狼騎士団の夜襲から民間人の通行制限を行っていますから、敵はまだ第二騎士団が到着したことを知らないはずです」
ここヴェストエッケには法国の間者が潜入している。監視は付けており、定期的に連絡していることは掴んでいた。しかし、黒狼騎士団の夜襲により北門の通行が制限されたことから、間者も町の中に留まるしかなく、情報を送ることができない。
「なるほど」
ジーゲル将軍は重々しく頷く。
「これまで王国軍の援軍は、最初の襲撃の報を受けてから王都で軍を招集し、それから出発しています。ですから、最短でも一ヶ月ほど後、八月の下旬にならないと到着しないと思っているでしょう。そう考えれば、リートミュラー団長が守備兵団しかいないと思っていてもおかしくはありません」
私の説明にジーゲル将軍は考え込む。
彼に代わってグレーフェンベルク子爵が質問してきた。
「では、我が騎士団が到着したことを知られないようにせねばならんということだな。その上でこの状況をどう利用するのだ?」
「そうですね……」
そう言って私は頭の中で情報を整理していった。
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