第42話「激闘の結果」
統一暦一二〇三年八月十一日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
城壁を攻めていた黒鳳騎士団が撤退したという連絡が、グレーフェンベルク子爵から入った。
『城壁は取り戻した! 敵は完全に戦意を失っているぞ! この後、どうすべきか助言を頼む! 以上!』
子爵の声は大勝利に弾んでいた。私はその問いに冷静な声で即座に答える。
「まずは城門を閉じて、黒鳳騎士団の再侵入を阻止することが重要です。その上で城内の敵の掃討を実施すべきでしょう。以上」
私の言葉に子爵が驚いたような声音で聞き返してきた。
『あのリーツが再度攻撃してくると考えているのか?……以上』
「可能性は低いですが、リーツ団長が法国軍を救出するために、再び攻撃を仕掛けてくることがないとは言えません。既に城門から出てくる敵兵はほとんどいませんから、城壁ではなく、城門を使ってくるでしょう。そうなった場合、優秀な指揮官に率いられた三千の精鋭が城内に一気に侵入してくることになるのです。我々が行った各個撃破をやり返されないとも限りません。以上」
そう答えたものの、この可能性は限りなく低いと考えている。この助言の目的は早期に城門を閉めさせ、逸った王国軍の無謀な出撃を防ぐことだ。
今は私の言葉を聞いてくれているが、大勝利に酔って追撃戦を命じる指揮官がいないとも限らない。
城外に潜む
そんなところに策もなく勢いだけで出撃すれば、この勝利を台無しにするような損害を受ける可能性がある。そのため、総司令官である子爵に冷や水を浴びせ、冷静さを取り戻させたのだ。
『君がそこまで危険だと思っているなら、それに従った方がよいな。では、城門にいる義勇兵に門を閉めるように指示を出してくれ。掃討作戦についても具体的な指示を頼む。以上』
思惑通りに子爵は冷静さを取り戻してくれた。
「第二騎士団はこのまま城壁を守った方がよいでしょう。東側の掃討作戦はジーゲル閣下が指揮を執っていますから問題はありません。西側はエッフェンベルク閣下から既にほとんどの敵を倒すか捕らえるかしたと連絡を受けております。以上」
『了解した。では、第二騎士団は城壁を守るが、治癒魔導師の派遣を頼む。黒鳳騎士団との戦いで弓兵たちの多くが傷付いているからな。以上』
「了解しました。直ちに治癒魔導師を派遣します。以上」
子爵の命令に従い、治癒魔導師を派遣するよう指示を出す。
指示を出し終えると、あとは各指揮官に任せればよく、やることがなくなった。
同時に守り抜いたことで気が抜け、それに伴って大きく息を吐き出す。
「お疲れさま」
イリスが労ってくれる。
「そちらこそ、お疲れさま。
イリスは斥候に出ている
「ユーダさんもお疲れさまでした。通信兵の方々にはまだ仕事がありますが、人数はそれほどいりません。他の
「過分なお言葉、ありがとうございます。我々にとって疲れるほどの仕事はしておりませんが、マティアス様のお言葉通り、必要な人数だけを残して休ませていただきます」
疲れるほどの仕事をしていないと言っているが、城内に残っている通信兵は五名しかおらず、そのうち四人は城内を駆け回っていたはずだ。また、城外にいる五人も敵に見つからないように隠れつつ、いろいろな角度から動きを探るため、動き続けていたのだ。
他の
彼らにとっては疲れるほどではないという意味なのだろうが、前線で戦っていた兵士以上にハードな仕事だと思っている。
「この後どうするの? まだここに残っている必要があることは分かるのだけど」
イリスの疑問はもっともだ。
総司令官であるグレーフェンベルク子爵は城壁の上で指揮を執っているが、既に組織的な戦闘は集結しており、現地指揮官の判断でも問題ない。
斥候隊も法国軍がクロイツホーフ城に撤退するのを見届ければ、引き揚げさせるつもりだから、この総司令部でやることは後始末の段取りとなる。
ただ、後始末の段取りといっても、味方の戦死者や負傷者や捕虜にした敵の数の把握には時間が掛かるため、当初ざっくりと決めていた方針通りに進めるしかない。
やることはないが、勝手に寝るわけにもいかないし、手持ち無沙汰の状態なのだ。
「不測の事態に備えるだけなんだけど、この時間を利用して今のうちから報告書の一部を作っておこうと思っているよ。できれば、今後の方針の素案も作れればいいかなと思っているけどね」
これまでも戦闘報告書は作られていたが、あまりにいい加減なものばかりだったため、やり方を大幅に変えている。
そのためのマニュアルも作ってあるが、大規模な会戦は初めてのことであり、報告書を作る参謀たちも戸惑うはずだ。
そのため、素案だけでも作っておき、そこに
また、戦後処理の方針についてもいくつかのパターンは考えていたが、当初の想定とは大きく異なる結果となっており、改めて作る必要があった。特に大量の捕虜を得たことと、思った以上に守備兵団に損害が出ているため、その点をどうするかも考えなくてはならない。
「そうね。報告書の方は私がやるから、あなたは戦後処理の方を考えて。そっちは私にできそうにはないから」
「助かるよ」
イリスは武術の腕もあり、戦術眼もあるが、事務的な仕事も得意としている。ある意味、ラザファム以上に万能と言っていい。
二人でテーブルに並び、書類を作っていく。
何となく学生時代を思い出し、戦闘でささくれだった心が癒される。
二時間ほどすると、窓の外の空が白み始めてきた。
既に法国軍はクロイツホーフ城に入っており、城内の残敵の掃討もどこかに潜んでいないかのチェックだけになっている。
念のため、第二騎士団は城壁の上で待機しているが、騎士団長であるグレーフェンベルク子爵は状況を確認するために戻ってきた。
状況を確認するといっても、通信兵を通じて概要は説明してある。
「君の助言にずいぶん助けられた。改めて礼を言わせてもらう」
そう言って軽く頭を下げる。私が何か言う前にすぐに本題に入った。
「ある程度聞いているが、今後の方針を決めねばならん。君の口から正確な情報を確認したい」
私はその言葉に頷くと、説明を始めた。
「まず敵の状況ですが、クロイツホーフ城に撤退した兵士の数はおよそ一万。攻撃開始時は二万弱でしたので、ほぼ半減しております。また、撤退した兵の半数程度は自力で歩くことが難しいほど傷ついているようです。この状況で敵が再度攻撃してくる可能性は限りなく低いと考えます」
「うむ」
子爵は頷いて先を促す。
「王国軍の損害ですが、戦死者が約八百名。内訳は第二騎士団約二百、エッフェンベルク騎士団約百、義勇兵を含む守備兵団が約五百。負傷者もほぼ同数ですが、治癒魔導師による治療により、ほとんどが今日中に復帰可能とのことです」
「圧勝だな」
子爵は満足げにもう一度頷く。
戦闘が始まる前、法国軍二万弱に対し、王国軍の総数は義勇兵四千八百を加えても一万四千四百五十と敵の四分の三ほどしかなかった。ヴェストエッケの巨大な城壁に守られていたとはいえ、味方の損害の十倍以上の戦果を挙げており、子爵の言う通り圧倒的な勝利だ。
「捕虜ですが、全部で二千名ほどです。内訳は白鳳騎士団と赤鳳騎士団がそれぞれ約一千です。現在武装を解除し、兵舎の一部に監禁しております。そのほとんどが負傷しておりますが、応急処置程度しかしておりません」
より多く城内に進入してきた赤鳳騎士団と白鳳騎士団の捕虜がほぼ同数なのは、城内の奥深くに入った赤鳳騎士団の兵士の多くが第二騎士団の待ち伏せ攻撃によって命を落としているからだ。
また、黒狼騎士団の兵士がいないのは、騎士団長に対する忠誠心が強く、敵討ちのために捕虜になりすまし、破壊活動を行う可能性があったためだ。そのため、黒い鎧の敵兵には降伏を呼びかけないように命じてあった。
ちなみに黒鳳騎士団はそもそも城内に入った者がほとんどおらず、捕虜にする必要がなかった。
手当をしていないのは暴動を起こされると困るからということもあるが、王国軍にも多くの負傷者がいるため、治癒魔導師の手が回っていないという理由もある。
「捕虜についてはどうするのだ? 何か策があったようだが」
「法国軍に身代金を払ってもらおうと思っています」
笑みを浮かべた私に子爵は首を傾げる。
「ある程度軍資金は持ってきているだろうが、二千人もの捕虜の身代金になるほどの金はなかろう。そもそも法国はこれまで兵士のために身代金を払ったことがない。素直にこちらの要求を呑むとは思えんのだが」
捕虜に対する身代金の相場だが、明確な基準はない。ゾルダート帝国とリヒトロット皇国の戦いでは捕虜交換が行われているが、その都度条件が違うため、参考にならない。
戦死者の遺族への補償や兵士の補充を考えると、総額で一億マルク、日本円で約百億円は欲しいところだ。
子爵が言うように、法国は捕虜に対して身代金を払うどころか、交渉すら受け付けたことがなかった。故郷では英霊として褒め称えているらしいが、権力者たちに使い捨てにされているだけだ。
子爵の問いは想定しており、即座に答える。
「現金ならそうでしょう。ですが、現在クロイツホーフ城には多くの軍馬がいます。その数は五千ほど。捕虜一人と軍馬二頭を交換するという条件なら、飲めるのではないでしょうか」
「軍馬か……なるほど。確かに充分な価値はあるな」
軍馬だが、この世界の標準的なもので一頭十万マルク、日本円で一千万円ほどと言われている。仮に要求通りに四千頭が手に入るなら、四百億円分となり、賠償金としては充分な金額だ。
それに現在の王国が保有する軍馬は、貴族領騎士団を含めても五千頭ほどしかいない。軍備増強を目指すためにも軍馬を得ることは王国にとってメリットが大きい。もし維持費が掛かりすぎると判断したら、同盟国であるグランツフート共和国に売ればいい。
「面白い案だが、騎士団の象徴である馬を手放すか疑問だ。その点はどう考えているのだ?」
「ロズゴニー団長なら兵士の命より馬を選ぶでしょう。ですが、リーツ団長なら馬よりも兵士を選ぶはずです。ですので、ロズゴニー団長が自ら命を絶った後に交渉すべきだと思っています」
白鳳騎士団のギーナ・ロズゴニー団長は選民意識が強い人物だが、黒鳳騎士団のフィデリオ・リーツ団長はレヒト法国軍の将では珍しく、兵のことを考える仁将と言われている。
また、ここで交渉しなければ、聖都に戻ってから外交交渉となる。そうなれば、数ヶ月という時間が掛かるし、トゥテラリィ教団の上層部が一介の兵士のために金を出す可能性は限りなく低い。
当然、そのことはリーツ団長も理解しているだろうから、自分の権限で兵士を救えるなら、決断しないはずがない。
ロズゴニー団長だが、この敗北に耐えられるとは思えない。聖都レヒトシュテットに戻り、弾劾されるよりは前線であるクロイツホーフ城で自害し、戦死扱いになることを望むはずだ。
それらのことを説明すると、子爵は納得したように頷いた。
「ロズゴニーが自裁すると確信しているのだな……ならば、言うことはない。だが、このことは王都に報告せずに私の権限で処理した方がよいな。宰相辺りが我々の足を引っ張るために何か仕掛けてくるとも限らんから」
「おっしゃる通りです。王国軍の損害を減らすために止む無く捕虜としたものの、ヴェストエッケの安全を考え、早期に捕虜を解放する必要があり、王国にとって最も有利な条件で解放したと説明すればよいでしょう」
子爵はもう一度頷き、これで方針が決まった。
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