第41話「月夜の死闘:その十」

 統一暦一二〇三年八月十一日。

 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城外。黒鳳騎士団団長フィデリオ・リーツ


 城内に誘い込まれた味方の脱出を助けるため、私はヴェストエッケの城壁に上がった。

 敵の弓兵の攻撃は激しかったが、数で圧倒し、城壁の上に上がることに成功する。しかし、時間を掛け過ぎたことから、登り切ったところで敵の増援が到着してしまう。


 更に悪いことに、異常に強い二人の若い剣士が率いた部隊であり、我が黒鳳騎士団の兵たちは次々と駆逐されていった。


 この状況を打開するため、その二人の前に躍り出たが、“ハルト”と呼ばれている小柄な剣士に足止めされ、“ラズ”と呼ばれた長身の剣士と彼の部下たちを逃してしまった。


(まあいい。目的はこちらに敵の主力を引き付けることだ。第二中隊と言っているから、彼らが王国第二騎士団なのだろう。この間に少しでも脱出してくれれば……)


 既に思惑通りに城内に誘い込まれた味方の兵が脱出を始めている。先ほどまでは城壁の上から矢で射かけられて多くの者が命を落としていたが、我々が弓兵部隊を抑え込んでいるため、安全圏に脱出できている。


 そんなことをチラリと考えたが、ハルトと呼ばれる剣士が鋭い攻撃を繰り出してくるため、受け流すことに集中しなくてはならなくなってきた。


 彼は二本の剣を使う珍しい剣士だ。双剣使いは法国にほとんどいないため、その変則的な動きに付いていくのがやっとだ。

 それでも地力の差は明らかで、油断さえしなければ、このまま押し切ることができるだろう。


「なんて強さだ……ラズに任せた方がよかったかもしれんな……」


 ハルトが愚痴を零している。

 命懸けの戦いで軽口が叩ける精神力と動き続けられる体力に賞賛の念が湧くが、この男を生かしておけば、必ず祖国に牙を剥く。この機に葬っておくべきだと気合を入れる。


「そろそろ遊びは終わりにさせてもらうぞ!」


 そう言ってから攻勢を掛けていく。

 ハルトは二本の剣を巧みに使って私の斬撃を捌いていくが、スピードはともかく、膂力が足りない。


 数合打ち合うと、徐々に後退していき、城壁の端に追い込むことに成功した。

 ハルトも後ろがないと気づき、焦りの表情を見せる。


「これは本格的にヤバいな……」


「最後に貴殿の名を聞いておこう。黒鳳騎士団団長フィデリオ・リーツと対等に渡り合った勇者の名を知らずに殺すのは忍びないからな」


「余裕だな……俺の名はハルトムート・イスターツ! こんなところで死んでたまるか!」


 ハルトムートはそう叫ぶと右手の剣を私に投げつけてきた。


「無駄な……」


 “無駄なことをするな”と言おうとしたが、予想外の行動に言葉を失う。

 彼はそのまま城壁の外に向けてトンボ切るように後ろに飛んだのだ。そして、そのまま暗闇に消えていった。


 二十メートルの高さがあるから身体強化が使えても無事では済まない。しかし、ここで私に斬り殺されるより、助かる可能性は高いと判断したのだろう。

 恐ろしいまでの生への執着心と果断な決断力に感嘆の念が湧く。


「「隊長!」」


 彼の部下たちの悲鳴が響く。

 “隊長の仇を取れ!”、“怯むな!”という悲壮感溢れる声に、彼が慕われていたことが窺えた。


 しかし、今は戦いに集中すべきだと頭を切り替える。

 ハルトムートを排除したことで周囲を見る余裕ができた。城壁の下では白鳳騎士団や赤鳳騎士団の兵士が脱出してくるが、その数は最初に比べ随分と減っている。


 また、我が黒鳳騎士団の兵も敵の増援に押されていた。更に東側で戦っていた黒狼騎士団と我が騎士団の弓兵も城壁の下に脱出を始めている。


(そろそろ潮時か……殿しんがりで敵を引き付ければ、まだ多くが撤退できるな……)


 そう考え、大声で叫んだ。


「我が精鋭たちよ! 私に続け!」


 そう言って敵に斬り込んでいこうとした。


「待てよ! まだ俺との勝負が残っているぜ!」


 その声に振り返ると、城壁から落ちていったはずのハルトムートが立っていた。

 一瞬何があったのかと驚くが、彼の足元には我々が使ったロープがあった。落ちていくと見せかけてそれに掴まったのだと気づくが、その驚異的な身体能力に驚きを隠せない。


「後ろから斬りかかれば、勝てたものを」


 正直な思いを口にする。

 実際、城壁側に注意を払っておらず、彼ほどの腕の剣士に斬りかかられたら危うかったはずだ。


「それは惜しいことをしたな。てっきり誘っているんだと思っていたよ」


 口調は軽いが、心底悔しそうな顔をしている。

 私は一瞬命拾いしたと思ったが、すぐに脱出が難しいことに気づいた。彼ほどの使い手を抑え込みながら、城壁の下に逃げることの困難さが容易に想像できたからだ。


 ここで殿となって死ぬことは容易い。しかし、私がここで死ぬことは法国軍の全滅を意味する。あのロズゴニー殿では指揮命令系統がズタズタになっている軍を再編し、追撃してくる王国軍の精鋭を防ぐことはできないからだ。


 一人でも多くの兵を故郷に帰還させるためには、私が指揮する黒鳳騎士団が敵の追撃を抑える必要がある。城壁への無理な攻撃で多くの兵を失っているだろうが、それでも三千程度は残っているだろう。それだけいれば、クロイツホーフ城までなら何とか撤退できる。


 それにもう一つやることがある。

 今回の戦いで個々の兵士の能力がいかに高かろうと、優秀な将が指揮する軍には勝てないということが分かった。


 この反省を生かし、鳳凰騎士団を立て直すことが私に課せられた使命だ。

 もっとも領都に帰還した途端、そのまま処刑場に連行される可能性は充分にある。


 しかし、帰還するまでの間に、部下たちに私の思いを伝えておけば、彼らなら私に代わって成し遂げてくれるはずだ。


 そのためにもこの戦いを切り抜け、何としてでも生き残らねばならない。

 その覚悟を決め、ハルトムートに向き直る。


「牙が一本折れた双剣使いに倒されるほど、油断はしていなかったがな」


 負け惜しみを言いつつ、先ほど離れていったラズという剣士の部隊が気になり、周囲を再度確認する。

 まだこちらに戻ってくる余裕はなさそうで、これなら何とかなると笑みを浮かべた。


「黒鳳騎士団よ! 味方の撤退は完了した! 敵を押し戻しつつ、城壁の下に向けて転進せよ!」


「閣下からの命令だ! 転進! 転進せよ!」


「敵を押し戻せ! その後に転進せよ!」


 私の命令は兵士たちによって、次々と別の部隊に伝達されていく。


「逃がすな! 敵を殲滅せよ!」


 王国軍の指揮官の怒号が我が兵の声を掻き消していく。


「さて、貴様を逃がすわけにはいかない。何といっても法国軍で一番危険な将だからな」


 そう言ってニヤリと笑い、剣を構えた。


「評価してくれるのは嬉しいが、やれもしないことは言わぬ方がよいぞ! 口だけの男と言われたくないならな!」


 それだけ言うと、ハルトムートに向かって斬撃を繰り出す。

 剣が打ち合わされると、激しい火花が上がる。それを何合か繰り返すが、先ほどより隙がない。


「牙は一本あれば充分なのさ。そろそろ味方も増えてくるだろうしな」


 その言葉で視線を動かしそうになるが、彼の誘いであると考え、攻撃に集中する。


「やっぱり騙されないか。本当に厄介だな」


 私はその軽口に付き合うことなく、激しく剣を振っていく。更に何度も身体を入れ替え、周囲の状況も確認していた。


 既に私の直属も少なくなっており、この辺りが潮時と考え、撤退に移る。


「逃がさないぜ」


 ハルトムートは私の考えを読んだかのように、攻勢に出てきた。

 一本の剣だが、先ほどの双剣と同じくらいの手数が私に襲い掛かってくる。それを捌きながらも勝機を見出すまで我慢を重ねる。


 先に焦れたのは若いハルトムートだった。

 手数で圧倒できないと考え、強引な斬撃を繰り出してきたのだ。


 私はその斬撃を滑らせるようにして受け流し、たたらを踏むハルトムートの足を引っかける。決定的な攻撃のチャンスだが、この隙を利用して、先ほどハルトムートが使ったロープを掴んだ。


 そして、外に飛び出すと、ロープを片手で軽く掴み、滑るように降りていく。革手袋が熱を帯びて手を放したくなるが、我慢するしかない。


 下に降りたところで、その勢いを殺すためと矢を防ぐため、数度転がる。この動きが功を奏したのか、私がいたところに矢が数本刺さっていたが、無傷で切り抜けられた。

 私はしつこく狙ってくる矢を剣で打ち払いながら命令を出す。


「黒鳳騎士団よ! 我が周囲に集まれ! 味方の撤退を支援するぞ!」


 私の命令を受け、近くにいた兵たちが集まってくる。

 所属はバラバラだが、すぐに落ちていた盾や槍を拾って、戦列を組んでいく。列は歪だが、やる気に満ちており、ところどころで「「オオ!」」という声が上がっていた。


「白鳳騎士団、赤鳳騎士団、黒狼騎士団の兵士諸君はクロイツホーフ城に向かえ! 後ろは我ら黒鳳騎士団に任せろ!」


 私の声に再び部下たちが雄叫びを上げる。その声は草原に響き渡り、まだまだ戦えると私自身も大声で叫んでいた。

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