第11話「王国を覆う影」

 統一暦一一九六年六月一日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 魔導式スターリングエンジンの開発を取りやめてから半月ほど経った。


 大賢者マグダから魔導マギの危険性を教えられ、私は魔導機関マギモートルの開発を断念した。手元にあった資料はすべて廃棄し、小人族ツヴェルクの鍛冶師、ヨルク親方の工房にもほとんど顔を出していない。


 魔導機関の開発を断念したことで時間に余裕ができたため、再び情報分析室に行くことが多くなった。


 情報分析室には叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの優秀な魔導師が二十人ほど働いており、闇の監視者シャッテンヴァッヘを使って積極的に情報収集を行っている。情報の整理に関してコツを掴み、今では私が指示を出すことはほとんどない。


 彼らが整理した情報を精査する時間ができたため、改めて自分なりに読み解いてみた。その結果、王国が悪い方向に突き進んでいると確信する。


 最も危険だと思ったのは、我が国と南の隣国グランツフート共和国がゾルダート帝国の侵攻に喘ぐリヒトロット皇国を救援するため、大規模な軍事作戦を計画しているという情報だった。


 現在のリヒトロット皇国はゾルダート帝国の侵攻を受け、皇都リヒトロットを防衛することで手一杯であり、皇国西部域、すなわちグライフトゥルム王国側のリヒトプレリエ大平原を手放しつつある。


 このリヒトプレリエ大平原だが、グリューン河流域と共に大陸屈指の穀倉地帯であり、ここを完全に奪われるということは皇国にとって国力の大半を失うことに等しい。


 そのため、皇国はグライフトゥルム王国とグランツフート共和国、更には東の大国シュッツェハーゲン王国の三国に対し、帝国に対する一斉攻撃を要請した。


 元々ゾルダート帝国から攻撃を受けていたシュッツェハーゲン王国はもちろん、グライフトゥルム王国とグランツフート共和国もその要請を受諾する。


 帝国との関係がまだ完全に破綻していないグライフトゥルム王国とグランツフート共和国だが、帝国は大陸制覇の野心を隠しておらず、リヒトロット皇国が滅ぶと次の標的となることに危機感を持っている。


 また、四ヶ国の国力を合わせれば、ゾルダート帝国の三倍近くになること、帝国の北部、南部、西部の三ヶ所から同時に侵攻することにより、帝国軍は戦力を集中できず、各個撃破が可能で、充分に勝機があると考えたようだ。


 その結果、グライフトゥルム王国軍三万、グランツフート共和国三万の計六万が西部から侵攻し、シュッツェハーゲン王国軍五万が南部から牽制する。


 帝国軍がそれらに対応している間隙を突き、リヒトロット皇国軍五万が皇都を発し、南部鉱山地帯を奪還するという作戦が立案された。


 ちなみにグライフトゥルム王国とグランツフート共和国が三万しか出せないのは、共通の敵であるレヒト法国があるためだ。両国とも全面戦争には至っていないが、法国とは常に国境で睨み合っており、全軍をリヒトロット皇国に向かわせることができなかった。


 この情報を見た時、私は壮大だが成功率が皆無の杜撰な作戦だと直感した。


 帝国は国民皆兵制の近代国家であり、その軍事力は外征軍である三個軍団九万人に加え、各総督府軍一万、各防衛拠点駐在部隊計一万の十一万もの規模を誇っている。予備役を招集すれば更に数万の軍の編成が可能だ。


 また、リヒトロット皇国やシュッツェハーゲン王国との戦争により、将兵の実戦経験は豊富だし、新兵であっても厳しい訓練によって練度は充分だ。


 確かに国力的には三倍だが、兵数は三割増し程度、兵士の質を考えると実質的な戦力は四ヶ国軍側の方が劣っていると言えるだろう。


 懸念は更にあった。それは距離の問題だ。

 グライフトゥルム王国の王都シュヴェーレンブルクから皇都リヒトロットまでも約千キロメートルという距離がある。


 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘが誇る通信の魔導具ヴェルクツォイクだが、王国内では通信網が整備されているものの、他国とは通信網が構築されておらず、他国内では一日当たりの情報伝達速度は最大でも百キロメートル程度にしかならない。


 特に帝国の支配地域を挟むことになるリヒトロットとの連絡は時間だけでなく、確実性に問題があった。帝国は情報の重要性を理解しており、伝令や間諜に対して充分に警戒しているためだ。


 また、近代的な編成の帝国軍に比べ、連合軍側は共和国軍が帝国の軍制を取り入れつつあるが、他の三ヶ国は騎士と傭兵、その都度徴兵される農民を中心とした前近代的な軍だ。


 更に共同での机上演習どころか、相互の情報共有すら明確なルールがなく、兵站に対する考え方もあいまいだ。半分敵国になっている地域を数百キロメートルにわたって進軍できるのか、甚だ疑問だ。


 他にも懸念材料が見つかった。

 それはモーリス商会のライナルト・モーリスが送ってくる商人組合ヘンドラーツンフト関係の情報から食料や飼料などの物資が大量に南部鉱山地帯に送られているという情報だ。


 これが示すことは帝国軍が大規模な軍事作戦の準備をしているということであり、作戦案が漏れている可能性が高いことを示唆している。こんな状況で各個撃破の可能性が高い作戦を実行することは自殺行為でしかない。


 この他にもこの作戦には王国の大貴族の思惑も絡んでいること、王国軍が兵站を理解していないため、三万という大軍を運用できる能力を持っていないことなど、悲観的な情報しか出てこなかった。


 私自身、愛国心はあまり強くないが、帝国軍に侵攻された場合、王国貴族がどのように扱われるか分からないことが不安だ。また、帝国は武に傾倒しており、私のような剣を握ることができない者が生きにくいことは容易に想像できる。


 そのため、少なくとも王国軍が大敗する状況を回避すべく、大賢者マグダに私の分析結果を報告し、この作戦は中止すべきであると国王に進言してほしいと頼んだ。

 私の話を聞いた大賢者は眉をひそめながら唸る。


「……うむ。坊の懸念はよく分かった……じゃが、このような話を儂から陛下に持ち込むことは難しい……」


 理由は分かっている。

 大賢者は“助言者ベラーター”という中立的な存在だからだ。


 世界の存亡に関わるような状況以外で一国に加担することは、神である管理者ヘルシャーから禁じられているのだ。


 そのことは私も理解しており、別の誰かに進言してもらうことを考えていた。


叡智の守護者ヴァイスヴァッヘが王家に派遣している魔導師の方では難しいのでしょうか?」


 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘはグライフトゥルム王家に宮廷魔導師を派遣しており、一定以上の発言力があると聞いていた。


「難しかろうの……」


「では、やはり大賢者様が陛下に直接進言していただくしかありません」


「うむ……やはりそれしかないかの……」


 大賢者は自分しかできないと思っているが、千年以上にわたって守り続けてきたことを覆すことに躊躇いがあるようだ。


「帝国は思想的に危険です。あの合理的な考え方が大陸全土に浸透すれば、いずれ魔導をもっと使うべきという意見が強くなるでしょう。そうなれば、魔象界ゼーレ具象界ソーマの境があいまいになり、他の大陸と同じ状況になる可能性は否定できません」


「そうじゃの。そう考えれば、儂が直接動くこともできよう……」


 何とか割り切ってくれたようだ。

 しかし、すぐに懸念を伝えてくる。


「それはよいとして、坊の考えを陛下に伝えたとしても、作戦を中止することはなかろうの」


 その理由も分かっていた。


「陛下は乗り気ではないと聞いていますが、やはりマルクトホーフェン侯爵が問題ですか」


 マルクトホーフェン侯爵は王国内最大の貴族領を持つ有力者だ。

 但し、現当主ルドルフは自らの利益のみを追求する俗物であり、王国に大きな影を落としている。


「そうじゃ。侯爵の娘、アラベラが第二王妃として後宮に入ることが決まっておる。予定では十月の頭のはずじゃ。此度の戦で帝国に勝利し、アラベラが幸運を運んできたとして第一王妃であるマルグリットの影響力を削ごうと考えておるのじゃ」


 現国王のフォルクマーク十世は優柔不断な性格であるだけでなく、二十代半ばと若く、王位継承から三年ほどしか経っていないこともあり、君主としての力量はほとんどない。そのため、強い力を持つマルクトホーフェン侯爵の言葉に逆らうことができなかった。


 第一王妃のマルグリットは控えめな性格であり、実家であるレベンスブルク侯爵家が名門ではあるものの政治力はそれほどない家であること、国王との仲も良好で昨年第一子となる王子が生まれたことから、国王と王家にとって新たな王妃は全く望んでいなかった。


 しかし、マルクトホーフェン侯爵が強引に娘を押し込んだ。

 本来、グライフトゥルム王家では王妃以外の妃は“側室”という扱いになるが、マルグリットを“第一王妃”とし、アラベラを同格の“第二王妃”とするよう要求し、それが通った。


 美しく清楚なマルグリットは国王だけでなく、国民からも親しまれており、マルクトホーフェン侯爵はそれを払拭するために、戦争を利用しようと考えたのだ。


「愚かなことですが、今までと同じような日々が続くと思っているのでしょう。侯爵はもちろん、国王陛下も……」


 私はそう言って溜息を吐く。


「そうじゃの……坊よ、帝国に勝つ方法はないかの。そなたなら良い考えを思いついておるではないかと思っておるのじゃが」


「帝国に勝利というのが、今回の作戦の目的、エーデルシュタイン以南の鉱山地帯を皇国が取り戻すということでしたら難しいでしょう。但し、王国軍がほとんど損害を出さずに、帝国軍に一定の損害を与える方法ならあります」


「それはどのような方法じゃ?」


 そう言って身を乗り出してきた。

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