第10話「大賢者の憂鬱」

 統一暦一一九六年五月十五日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔。


 大賢者マグダは小人族ツヴェルクの鍛冶師ヨルクの工房から戻ると、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの大導師シドニウスを呼び出した。


 シドニウスは普段普人メンシュの老人に偽装しているが、今は本来の姿、森人エルフェの若い男性の姿に戻していた。彼も千二百歳を超えているが、魔導によって若々しい姿を保っている。


 マグダとは千年以上の付き合いがあり、彼女にとって気兼ねなく話せる数少ない存在だ。


「何とか魔導具ヴェルクツォイクの開発は中止させたが、儂は間違ったのかもしれぬの」


 珍しくマグダが弱音を吐く。


「マティアス君に知識を与えることは我々の目的に沿ったことでは? 実際、彼の洞察力は私の想像を遥かに超えていますよ。彼ならば、今後現れるであろう、候補者を管理者ヘルシャーにまで引き上げてくれるのではないかと期待しているのですが」


 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの目的は神である管理者ヘルシャーの復活だ。そのために管理者となり得る者、“候補者”を見つけ、導くために様々な方策を練っていた。

 その一つが候補者の側近の育成であり、マティアスはその有力な候補であった。


「儂も坊に知識を与えれば、我らの目的に大いなる利益があると思っておった……」


 そこで“ふぅぅ”と大きなため息を吐く。


「しかしの。あの者は我らが与えられる知識をすべて吸収し、その先に行こうとしたのじゃ。まさかこれほど早く禁忌に手を出すとは思っておらなんだ。どうすればよいかの……」


 マグダもマティアスがいずれ禁忌である魔導機関マギモートルの開発に着手することは想定していた。そのため、過去に存在した文明、特に魔導工学と呼ばれる魔素プノイマを利用した技術に関する情報だけは密かに制限していたのだ。


「確かに彼の発想力は群を抜いています。私もマグダ様から話を聞くまでは魔導マギを使った動力など想像もできませんでした。しかし彼は動力に利用するというアイデアを思いつくだけでなく、ここに来てわずか四年で、実現可能な原理まで発明してしまったのです。あれほどの発想力を持っているなど想像できる方がおかしいでしょう」


 マティアスは前世の知識に基づいてスターリングエンジンを開発したが、熱機関という概念を知らない者が一足飛びに思いつくものではない。この事実を知らない二人はマティアスの天才性が発揮されたのだと勘違いし、驚愕したのだ。


「確かにそうじゃ。坊の考えた仕組みは大昔の物とは全く違うものじゃ。過去の知識を偶然知ったのであれば、まだ分からぬでもないが、一から作り出したあの能力は、異才という言葉で表現できるレベルではない。そう考えると、今後もこう言ったことが起こり得るのではないかの……」


「ご懸念は分かりますが、具体的にどうすればよいか思いつきませんね……」


 シドニウスも困惑の表情を浮かべていた。


ここに置いておいたことが間違いかもしれぬの」


 マグダはポツリと呟く。


「ですが、彼のことを考えれば、ここにいることが最善ではありませんか? 最近はずいぶん健康になりましたが、ここなら何かあってもすぐに治療が受けられますし、彼が望む知識もここ以外にはありませんから」


「そうなのじゃが、坊はまだ十二歳の子供なのじゃ。同世代がおらぬここがよい環境とは言えぬ気がするの」


「おっしゃる通りですね。彼の周りには世話をする者を含め、ほとんどが五十年以上生きた者たちです。塔の外に出ても、小人族ツヴェルクの工房にしか足を運びませんから、同世代の子供と接する機会はほとんどなかったでしょう」


 マティアスには世話係が付いているが、闇の監視者シャッテンヴァッヘから派遣された護衛でもあった。見た目こそ二十代前半の若い普人メンシュの女性だが、本当の姿は七百年近く生きている闇森人ドゥンケルエルフェの凄腕の暗殺者だった。


「王都に戻すかの。来年には十三歳になる。ちょうど王立学院の初等部の入学の年齢じゃ。学院に入れば友もできる。そうなれば、今のような歪な状況が改善する気がするのじゃが……」


 マグダはそう言ったものの、自分の発言に自信がなく、語尾が弱かった。


「おっしゃることは理解しますが、マティアス君ほどの天才が同世代の子供と普通に交流できるでしょうか? それに学院の初等部で学ぶことがあるとは思えません。いえ、彼の知識と知性は学院の研究科の教授ですら既に凌駕していると思いますよ」


 王都シュヴェーレンブルクはエンデラント大陸で最も有名な学術都市であり、私塾を含め、多くの教育機関がある。


 その都市の名を冠した“シュヴェーレンブルク王立学院”はエリート校として友好国からの留学生が来るほどの有名校だ。


 王立学院には十二、三歳から三年間学ぶ“初等部”、十五、六歳から三年間学ぶ“高等部”、研究者や教員を育成する“研究科”がある。


「儂もそのことを懸念しておる。それに学院では競争が激しいと聞く。高等部を優秀な成績で卒業すれば、騎士階級や平民でも出世が可能じゃからの。優秀な坊が目障りと思う者は必ずおるはずじゃ。となれば、友を作ることも容易ではないの」


「友人もできず、学ぶこともないとなれば、向上心のある子ですから不満を持ちましょう」


「それもあるが、坊は聡い。不満を持っても、それをもって何かを起こすことは考えられぬ。それよりも暇を持て余す方が問題じゃ。あの坊のことじゃから暇があれば何かをやろうとする。それが不安なのじゃ」


 その後も二人は話し合ったが、結論が出なかった。


 翌日、二人はマティアスを呼び出した。

 マグダが単刀直入に切り出した。


「坊は学院に行きたいとは思わぬか? まあ、学ぶという観点で言えば、今の坊にはあまり意味はないが、人との付き合いは大事じゃと思うのじゃ」


 マティアスは突然のことで目を見開くが、すぐに頷いた。


「学ぶことがないとは思いません。いえ、ここでは学べないことが学べるのではないかと思っています」


 その言葉にシドニウスが疑問を口にした。


「具体的にはどういったことが学べると思っているのかな?」


 マティアスは微笑みながら答える。


「人間関係ですね。ここにいても王国貴族の情報は入ってきますが、家族が知っているだけのような機微な情報までは伝わってきませんから」


 その言葉にマグダも微笑む。


「うむ。確かに近しい者の言葉は重要じゃの」


「それに今後私が何をするにしても、人間関係は重要だと思います。自分の選択肢を増やす意味でも学院には入ってみたいなと前から考えていました」


 マティアスの言葉にマグダとシドニウスは安堵の表情を浮かべながら小さく頷き合う。


「では、子爵にはマルティンから連絡を入れておくことにしようかの。準備もあるじゃろうしの」


 マグダは王都における叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの責任者、マルティン・ネッツァー上級魔導師を通じて、マティアスの父親リヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ子爵に連絡を入れることを決めた。


 マティアスが退出した後、マグダはシドニウスに話しかけた。


「やはり聡いの。儂らが不安に思っておることを悟っておったわ」


「ええ。不安も不満も一切見せませんでした。恐らく、人間関係云々という話も我々を安心させるための方便でしょう。彼ならば、直接話をしなくとも問題はないでしょうから」


「そうじゃの。じゃが、交友関係を広げることは良いことじゃ。坊にとっても儂らにとってもな」


 マグダの言葉にシドニウスが頷く。


「マティアス君を中心にヘルシャー候補を支えてくれる者たちが集まってくれれば……そのことも彼は考えているのでしょうね」


 彼の言葉にマグダは大きく頷いた。

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