第12話「打開策」
統一暦一一九六年六月一日。
グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
グライフトゥルム王国がゾルダート帝国の侵略に喘ぐリヒトロット皇国の支援のため、南の隣国グランツフート共和国と共に援軍を送り込むという情報を得た。
得た情報を見る限り、成功する可能性は皆無で、その懸念を大賢者マグダに伝える。
大賢者は私の話を聞いた後、帝国に勝利する方法はないかと尋ねてきた。
その問いに対し、前提条件から説明していく。
「まず前提条件ですが、帝国はグライフトゥルム・グランツフート連合軍に対して、現在皇国西部域に展開している第三軍団三万人を当ててくると思われます」
現在帝国はローデリヒ・マウラー元帥率いる第三軍団が、エーデルシュタインから西に向けて勢力圏を拡大すべく侵攻していた。
第三軍団は二千から三千人規模の部隊に軍を分けて進軍しているが、皇国は皇都に戦力を集中しているため、ほとんどの都市が抵抗することなく降伏している。
「帝国軍は連合軍が進軍してくることを想定していますから、
リヒトプレリエ大平原は東西四百キロ、南北三百キロほどの草原地帯で、大河川はないものの、日本の一級河川相当の川が何本も南から北に流れており、渡河が必要となる。
一応、橋は架かっているそうだが、六万もの大軍が通行するには、補給の面からも主要街道である
渡河が容易な上流部を通るという案もあるが、大平原の南部は自治権を有する半独立した存在である遊牧民の勢力圏内だ。
都市がないため物資の補給は困難であり、更に好戦的な遊牧民たちの勢力圏内を大軍が通過することでトラブルが想定される。
そのため、連合軍が北公路を通ることはほぼ確実だ。
「二倍の数を揃えているとはいえ、平地で帝国軍と戦えば、連合軍の敗北は必至です。二年半前の皇国軍と同じ運命をたどることは容易に想像できます」
統一暦一一九三年十一月に起きたヒルシュフェルト会戦では、八万人の皇国軍が六万人の帝国軍に完膚なきまでに叩きのめされ、皇国の重要地域である南部鉱山地帯を奪われている。
二倍の戦力を持つとはいえ、共和国とは大規模な共同軍事作戦を行ったことはなく、机上演習すら碌に行われていない状況で勝利を得ることは不可能だ。
大賢者も同じ認識を持っているため、即座に頷く。
「そうじゃな。ではどうするのじゃ?」
一応、問われると思い、作戦は考えてあった。
「帝国軍に偽情報を流して混乱させます。具体的には連合軍が
「うむ。確かに商人たちを使って情報を流せば、帝国はそれに対応するじゃろう。しかしじゃ、それでは帝国軍は鉱山地帯を守るために動かぬのではないか?」
ベーゼシュトック山地から南部鉱山地帯に向かう道は整備されておらず、途中に数十人程度の村があるくらいで補給が可能な都市がなく、これまで大軍が移動した実績はない。
放っておいても勝手に自滅してくれると帝国側が考える可能性は高い。
「その可能性は否定できません。ですが、帝国軍も突然方針が変わったことに疑念を持つはずです。皇帝としても今回の作戦で一気に片を付けようと考えているでしょうから、情報収集を行うはずです」
「そうじゃな」
大賢者はそう言って頷き、先を促す。
「その上でフェアラートに大量の物資を送り込むのです。そして、この情報はできる限り秘匿するようにします。ですが、王国軍には情報管理の観念がほとんどありません。必ず敵の情報網に引っ掛かるはずです。そして、その情報を得た皇帝はベーゼシュトック山地迂回を偽情報と考えるでしょう」
情報を重視する帝国に対し、王国は防諜や情報管理が必要という考えをほとんど持たない。このことは皇帝も当然知っている。
「うむ……」
大賢者は眉を寄せて考え込む。
それに構わず説明を続ける。
「そして、あの皇帝ならその情報を逆手に取り、当初予定していた第三軍団をそのまま西に向かわせます。そして、帝国軍は偽情報に引っかかって南部鉱山地帯にいると油断している連合軍を、シュヴァーン河を越えたところで迎え撃とうとするはずです」
「コルネリウスの性格なら充分にあり得るの。で、それに対してどうするのじゃ?」
皇帝コルネリウス二世は即位前から優秀な軍人であり、大胆な用兵に定評があった。
「まず、帝国軍がシュヴァーン河に到着する前に迅速に移動し、防御能力が高いフェアラートに入ります」
フェアラートの町はリヒトロット皇国の最西端の町で、グライフトゥルム王国との国境、シュヴァーン河に近い城塞都市だ。
人口は三万人ほどだが、リヒトロット皇国が最盛期には三万人近い兵士が常駐していた軍事拠点でもある。一辺約一・五キロメートル、高さ五メートルほどの城壁に守られており、防御力が高い。
現在は戦力を皇都に集中させるため、皇国軍の兵士はほとんど残っていないが、共同作戦ということでフェアラートを使うことはできるはずだ。
「うむ。フェアラートに篭って敵を迎え撃つのじゃな。さすれば、王国軍に損害が出ることはほとんどあるまい」
「その通りです。それにフェアラートに引き寄せられれば、帝国の外征軍の三分の一を無効化できます。それも安全に」
帝国軍の外征軍は三個軍団九万人だ。一個軍団を引き付けるだけで皇国軍に対する圧力は一気に減る。
「なるほどの……」
「その上で皇国軍の一部、大体三万人くらいを、グリューン河を利用してフェアラートに向かわせます。川を下る形ですから、帝国軍が動きを掴んでも第三軍団に情報が届く前に奇襲を掛けることは難しくありません」
グリューン河は皇都リヒトロットからシュトルムゴルフ湾に流れ込む大河だ。
皇都からグライフトゥルム王国やグランツフート共和国に物資を運ぶ大動脈であり、船舶をかき集めれば、三万人を輸送することはそれほど難しくない。
また、海と違い、大型の
「川を利用しての奇襲……なかなか面白い策を考えるの、坊は」
「皇国軍が近づけば、王国が持つ通信の魔導具を使うことで、時間差なしで情報のやり取りが可能となります。その上で挟撃すれば、三倍の兵力ですから一個軍団を殲滅することは充分に可能だと思います」
グライフトゥルム王国には
一方、帝国を含む他国の通信の魔導具は条件の良い平地でも一キロほどしか届かない。
「要は帝国がやろうとしておる各個撃破を、こちらがやるということじゃな。なるほどの……」
大賢者の言う通り、私が狙っているのは各個撃破だ。
共和国軍の能力は未知数だが、グライフトゥルム王国軍とリヒトロット皇国軍の能力は帝国軍の五割程度しかないと評価している。まして俄作りの連合軍ではまともに戦うことすら難しい。
圧倒的な数で圧し潰す以外に、連合軍に勝機はないだろう。確実な勝利のためには倍ではなく、三倍以上は必要だと思っている。
大賢者には言っていないが、川を使った奇襲に失敗し皇国軍が敗北したとしても、フェアラートに篭っている限り、王国軍に損害は出ない。この場合、皇国の敗北が確定することになるが、今のままでもジリ貧なのだから大勢に影響はないと思っている。
「各個撃破するとしても、フェアラートで戦っている間に皇都が攻撃されたらどうするのじゃ? 三万もの兵をフェアラートに回せば、皇都には二万しか残らぬ。二個軍団六万の帝国軍の攻撃に耐えられるとは思えぬが」
「皇都リヒトロットはグリューン河という天然の要害に守られた、非常に堅牢な城塞都市だと聞いています。それに人口も多く、義勇兵を募れば、戦力は充分に確保できます。皇国は元々食料が豊富ですから物資も潤沢にあるはずです……」
リヒトロット皇国は食糧輸出国であることから十分な食料を確保しているはずだ。実際、ここ十数年、皇都を攻撃されることも多く、その都度籠城で凌いでいる。満足な攻城兵器を持たない帝国軍が相手であれば、防御に徹する限り攻略される可能性は低い。
「これらの条件から考えると最低三ヶ月、恐らく半年は耐えられるでしょう。その間にフェアラートで勝利し、九万の兵力が皇都救援に向かうとともに、南からシュッツェハーゲン王国軍が国境を窺えば、帝国軍といえども決戦を避ける可能性が高いと思います」
仮にフェアラートで大勝利を得たとしても、南部鉱山地帯を奪還することは難しい。帝国は城塞都市を抑えているため、二倍程度の兵力では攻略は不可能だからだ。
そのため、私が狙ったのは無暗に決戦を求めず、局所的に戦力を集中させて各個撃破し、帝国軍の戦力を減少させた上で戦線を縮小させ、リヒトプレリエ大平原への侵略を遅らせることだった。
「もっともこの方法では時間が掛かりますし、皇帝率いる帝国軍本隊に勝利したわけではありませんから、華々しい戦果で新たな王妃誕生を祝うという侯爵の思惑からは外れます。採用される可能性は低いでしょうね」
「そうじゃな。では、その上で儂が陛下に奏上する策は何かないかの」
その問いについても考えていたので、すぐに答える。
「一つだけあります。総司令官をワイゲルト伯爵ではなく、ノルトハウゼン伯爵にしていただくことです。ノルトハウゼン伯であれば、無駄に兵を損なうことはないでしょう」
ロタール・フォン・ワイゲルト伯爵は六十二歳のベテランの将軍だ。南の宗教国家レヒト法国との戦いで多くの功績を挙げており、名将と言われている。
しかし、記録を紐解いていくと、必ずしも名将と言えるほどの戦果を挙げていないことが分かった。確かにレヒト法国軍を退けているが、強固な防御拠点であるエッケヴァルト城塞を利用しているにもかかわらず、王国軍の損害が大きすぎるのだ。
ワイゲルト伯はマルクトホーフェン侯爵派の重鎮であり、戦果を評価する軍監に侯爵が手を回し、大勝利であったと宣伝している可能性が高い。そのため、ワイゲルト伯の能力が信用できないのだ。
一方のカスパル・フォン・ノルトハウゼン伯爵は来年四十歳になる将軍だ。
派手さはないが、レヒト法国との戦いにおいて老練で堅実な指揮を執り、兵を失うことなく確実に敵を撃退している。
特に重要なことは前線の兵士の信頼度がワイゲルト伯とは比較にならないことだ。ノルトハウゼン伯が指揮を執れば、多くの兵士が諸手を挙げて喜ぶだろう。
但し、ノルトハウゼン伯はマルクトホーフェン侯爵と政治的に距離を置いており、今回の作戦で総司令官に任命される可能性は限りなくゼロに近い。
「その顔は難しいことを分かって言っておるようじゃの」
「大賢者様が推挙すれば、総司令官が難しくとも将の一人として参加できるでしょう。ノルトハウゼン伯が一万の兵を率いることができれば、大敗しても半数程度は戻ってこられます」
「うむ。それほど厳しいということかの……じゃから、そこを落としどころにして交渉せよと……」
そこで何か気づいたのか、大賢者が私に視線を向ける。
「目的は今回の戦いだけではないのではないか? これを機にノルトハウゼン伯と
そう言って探るような目つきで私を見る。
私はその視線に頷いた。
「
「うむ。そうじゃな」
大賢者はそう言って頷き、先を促す。
「ノルトハウゼン伯爵家は代々王家に忠誠を尽くすだけでなく、優秀な軍人、政治家を輩出しています。嫡男も前途有望な優秀な少年と聞いていますし、マルクトホーフェン侯爵派を抑えるためには必要です」
管理者の候補者は人として生まれ、試練を超えることで真の管理者になるとされている。候補者が生まれる可能性が高いのが、グライフトゥルム王家であり、大賢者マグダと
私自身は
野心家なら神の側近という地位に魅力を感じるのだろうが、私としては面倒臭さが先に立ってしまうのだ。
それでも私の命の恩人でもある大賢者や
また、私の護衛であり、身の回りの世話をしてくれる
だから、彼女たちの活動の手助け程度ならしてもいいだろうと思っていた。
「坊があと二十年早く生まれておれば、国王の説得を任せたのじゃがの。儂よりも坊の方が話術に優れるからの」
その過大評価に私は苦笑することで答えるしかなかった。
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