第13話「フェアラート会戦:その一」

 統一暦一一九六年九月十五日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城。カスパル・フォン・ノルトハウゼン伯爵


 ヴェヒターミュンデ城に到着して約十日。

 私は城壁の上から眼下を流れる大河、シュヴァーン河を見つめている。


(ようやく皇国領に入ることができる。長かった……)


 私の視線の先には濁った川に架けられた浮橋を渡る兵士たちの姿があった。



 今回のリヒトロット皇国救援作戦を知ったのは、三ヶ月ほど前の六月の上旬のことだ。


 最初に話を聞いたのは王国軍の主力、シュヴェーレンブルク騎士団に属する知り合いの騎士からだったが、その時は私には関係ない話だと思って聞き流していた。


 騎士は王国軍三万に加え、同盟国であるグランツフート共和国軍三万の計六万という大軍が動員されると興奮気味に話していたが、私の胸の中には漠然とした不安が渦巻き、彼のように無邪気に興奮することはなかった。


 その後、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの魔導師、マルティン・ネッツァーがこの作戦について話がしたいと私の屋敷を訪れた。


 ネッツァーは叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの王都支部長であり、何度か顔を合わせたことがあった。


 普段は魔導師とは思えないほど明るい表情が印象的な人物だが、今回は大賢者マグダ様の名代として訪問したため、いつになく真面目な表情をしていたことを覚えている。


 作戦の概要を説明した後、ネッツァーは僅かに前のめりになった。


「……以上が作戦の概要ですが、ここからがマグダ様より仰せつかった本題となります」


 大賢者様が彼にどのような言葉を託したのか聞き逃さないように居住まいを正す。


「マグダ様は今回の作戦が失敗に終わるとみておられます。懸念されている点ですが、まず王国、皇国、共和国の指導者が楽観的過ぎることです。皇帝コルネリウス二世はマグダ様が高く評価する為政者であり、武人です。また、軍団を率いる元帥たちは皆優秀ですし、兵士の質も王国軍を大きく凌駕しています。ですので、二倍程度の戦力差では勝機はないとお考えです……」


 更に問題を指摘していった。

 各国の連携の問題、特に共同作戦を行う共和国軍とは机上演習すらしておらず、戦場での連携は望むべくもないと断言する。


 他にも総司令官にワイゲルト伯爵がなる可能性が高く、現地での臨機応変の対応に問題があること、帝国に関する情報収集をほとんど行っておらず後手に回る可能性が高いこと、未曽有の大軍を運用するのに兵站を軽視していることなどを指摘していった。


「……以上より、今回の作戦で連合軍が大敗北を喫し、野心家である皇帝コルネリウス二世に大きな力を与えることになるのではないかと懸念しておられます」


 説明が終わった後、私は大きく頷いた。


「大賢者様のお考えを伺い、スッキリした。私が漠然と不安に思っていたことを見事に整理されておられた。さすがは大賢者様だな」


 最初に聞いた時に漠然と不安を感じた。

 その時はワイゲルト伯が総司令官になることに対する不安だと思っていたが、ネッツァーの説明を聞き、ようやく腑に落ちたのだ。


 ネッツァーは僅かに苦笑したように見えたが、すぐに表情を戻した。


「マグダ様は国王陛下に今の説明を行い、作戦の中止を進言されることになっていますが、マルクトホーフェン侯爵が反対するでしょうから陛下が受け入れる可能性は低いとも見ておられます」


 私も同じ考えであり、即座に頷く。


「確かに」


 私が理解していると確信したのか、ネッツァーは私の目をしっかりと見てから口を開く。


「そこで伯爵にお願いがあります」


「私に?」


 ヘルシャーにも等しい力を持つ大賢者が、一介の武人に過ぎない私に何を頼むのか想像もできなかった。


「マグダ様は陛下に伯爵を遠征軍に加えるよう提案されるおつもりです。敗戦時の損害を少しでも減らすために」


 先ほどの話から敗戦を前提とすることは理解するが、損害を減らすために私に何をさせたいのかが全く分からない。


「大賢者様は私に何を望まれるのかな?」


「伯爵には将の一人として遠征軍に加わっていただき、共和国軍のケンプフェルト将軍とともにワイゲルト伯爵に働きかけてほしいのです。ワイゲルト伯は前例に拘る方のようですが、お二人が説得すれば考えを変える可能性も残されておりますので」


 私は即座に否定する。


「その可能性は低いと思うぞ。ヴェストエッケで何度か一緒に戦ったが、あの頑固さはヴェストエッケの城壁より堅固だ。それに私が言えば、よけい意固地になるだろう」


「やはり難しいですか……では、最悪の場合を想定して、退路を確保することだけは認めさせていただきたいと思います。特にシュヴァーン河の渡河点については確実に確保していただきたい」


 大賢者はただの敗戦ではなく、惨敗することを想定しているようだ。


「分かりました。その程度であれば、ワイゲルト伯も認めてくれるでしょう」


 ネッツァーとの面談を終えた後、自室に戻ると前途の多難さに気が重くなった。

 妻もそのことを感じたのか、不安そうな表情を浮かべていた。



 六月十日に私も出席した御前会議が謁見の間で行われた。大賢者が陛下に作戦の取りやめを進言したが、マルクトホーフェン侯爵がそれを拒否する。


「大賢者様がおっしゃる通り、私も帝国は危険だと考えます。ですので、ここで叩いておくべきなのです。四ヶ国が心を一つにすれば、帝国を叩き潰すことも不可能ではありますまい」


 侯爵は自信たっぷりの身振りで説明する。


「それができぬと言っておるのじゃ。心を一つにすると申しても、ここからリヒトロット、シュッツェハーゲンまでどれほどの距離があるのか理解しておるのか? たった一つの齟齬が生まれるだけでも失敗するのじゃ。そのことをよく考えてみるとよい」


 大賢者の言葉に侯爵は怯むことなく反論する。


「それを申せば帝国も同じ。これだけの大軍勢を前にすれば対応を誤る可能性は少なくありますまい」


 大賢者は侯爵の反論に不機嫌そうな表情を強める。


「我が問いを故意に無視するでない。距離が問題だと申したはずじゃ。帝国は国内であるから連合側より距離は近い。伝令の運用も慣れておるし、国内であるから襲撃の恐れもないのじゃ」


「確かにおっしゃる通りでしょう。ですが、我が方だけが失敗する前提というのはおかしな話でしょう。同じく失敗の可能性があるなら、兵力が多いこちらの方が有利。違いますかな?」


「そもそも有利だと考えることがおかしいと申しておるのじゃ。兵力は確かに多いが、帝国軍は指揮命令系統が統一されておる。帝国が失敗するより、こちらが失敗する可能性が高いことは明らか。その点を考慮せねばならんと言っておるのじゃ」


 大賢者はそこまで言ったところで陛下に視線を向けた。


「これ以上議論しても堂々巡りじゃ。陛下に決めていただこうと思う。で、どう考えるのじゃ、陛下は」


「そ、それは……」


 陛下は大賢者の強い視線を受けてたじろぐ。

 当然のことだ。戦場で何度も死を身近に感じた私でも、大賢者の視線をまともに受けることはできない。物理的な力と思えるほど強い意志を感じるのだ。


「お待ちください」


 侯爵がそう言って間に入る。


「何を待つのじゃ? 陛下に決めてもらえばよかろう」


「陛下にもお考えになる時間が必要でしょう。ですので、一旦休憩に入り、三十分後に再開でいかがでしょうか」


「そ、それがよい!」


 陛下は大賢者の迫力に押されていたため、侯爵の提案に即座に乗った。

 侯爵の狡猾さに私は舌打ちしたくなる気持ちを必死に抑える。


 この休憩時間を利用して陛下を説得し、恐らくだが、お言葉だけを預かって侯爵か、宰相であるクラース侯が決定を伝えるのだろう。

 大賢者もその作戦に気づいたようで不機嫌そうに陛下を見ていた。


 三十分後、私の予想が当たったことを知る。

 マルクトホーフェン侯爵と宰相が現れた。そして、宰相が陛下のお言葉として、作戦の決行を伝えたのだ。


「陛下はどうしたのじゃ? このような重大事項を代理に任せるとはどのような料簡なのじゃ」


「陛下はご気分がすぐれぬとのことです。決定は宰相である小職がはっきりと確認しており、何ら問題はございません」


 大賢者はしてやられたという表情を見せることなく、無表情だった。既に諦めていたのだろう。


「陛下が決めたのであれば致し方あるまい。じゃが、マルクトホーフェン侯よ、この決定で王国が大きな痛手を受けた場合、どう責任を取るつもりなのじゃ?」


 侯爵は大賢者の鋭い視線を受けて冷や汗を流し、立ち尽くしていた。


「侯爵よ。答えぬか」


 静かだが、圧力を持った言葉が更に侯爵を打つ。


「も、もちろん失敗すれば、責任は取るつもりですぞ」


 そう答えるので精いっぱいのようだが、大賢者はその言葉では許さなかった。


「はっきり言わぬか。王国軍が敗北したら責任を取り自らの首を差し出すと。それともその覚悟もなく、王国を存亡の危機に立たせようとしておるのか?」


「もちろん陛下がお命じになるなら斬首でも何でも受け入れましょう」


「陛下がそなたを罰するとは思えぬ。その前提で威勢の良いことを言っておるのじゃろう」


 大賢者はそう言って嘲笑する。ここにいる者たちも同じことを考え、侯爵に視線を向けた。

 侯爵もその視線に気づき、大賢者の挑発に乗ってしまう。


「陛下がお許しになっても爵位は返上いたしましょう。その上で蟄居いたします」


「蟄居だけじゃと。我が身が惜しいようじゃな……まあよいわ。それよりも出兵が決まったのじゃから将を決めねばならん。儂はノルトハウゼン伯を推すぞ。伯爵であれば、惨敗するような無様なことにはならぬからの」


 ネッツァーから話は聞いていたが、この場で私の名が出たことに驚く。このような場で司令官を決めるという話になるとは思っていなかったからだ。


「それに関してはシュヴェーレンブルク騎士団の団長らを交えて決定いたします。もちろん、大賢者様のご意見は尊重させていただきますよ」


 侯爵も余裕が戻ったのか、軽い口調で答えた。


「よかろう」


 それだけ言うと大賢者は謁見の間から出ていった。

 その後、ワイゲルト伯を主将とする編成が発表された。


 私も副将として一万の兵を預かることになったが、我がノルトハウゼン騎士団の参加は認められなかった。


 既に兵力は充分にあることと、遠方からの出征では間に合わないという理由だった。

 確かに北方のノルトハウゼン領は四百キロメートルほど離れており、すぐに連絡しても王都には一ヶ月以上先にならないと到着できない。


 しかし、王都出発は七月十日であり、ギリギリだが間に合う可能性があるし、補給のことを考えれば複数の部隊に分けて移動する方が効率的だ。そのため、大きな問題とはならないのだが、単に私に武勲を挙げさせないための処置なのだろう。


 王国軍は王家直属のシュヴェーレンブルク騎士団一万五千が主力となり、更に自ら名乗りを上げた貴族領騎士団一万五千がそれに加わる。


 貴族領騎士団はマルクトホーフェン侯爵の息が掛かったところが多い。それに多いところでも一千、少ないところでは百に満たず、装備もバラバラで戦力としては全く期待できない。その貴族領騎士団の混成部隊一万を指揮することの困難さを思い、頭が痛くなる。


 もっとも主力であるシュヴェーレンブルク騎士団も王都周辺で徴集した農民兵が多く、命令通りに動けるかすら微妙で、“雑兵”という言葉が頭に浮かぶほどだ。こちらの指揮を執れと言われても同じように頭が痛くなっただろう。


 その後、ワイゲルト伯が編成に何度も口を出したため手間取ったが、何とか予定通りに出発する。

 しかし、すぐにボロが出た。


 訓練が行き届かない兵が多く、行軍初日に移動できた距離は僅かに十キロ。更に野営地では糧食の分配で揉め、死傷者が出る失態を演じる。


 ワイゲルト伯にそれらを御することができるはずもなく、私が何とか抑えたが、その後もノロノロと行軍し、二百五十キロ先のヴィントムント市に到着したのは四十五日後の八月十五日だった。一日当たりの平均移動距離は僅か五・五キロと通常の四分の一に留まった。


 これほど時間が掛かったのは訓練が行き届いていないこと、真夏の行軍ということも原因だが、補給の手配が全くできていなかったことが大きい。


 三万人もの兵士を食わせるのに必要な食料が用意されておらず、急遽補給部隊を編成するよう王都に要請し、その合流を待ったためだ。


 ヴィントムント到着までの一ヶ月の間に、私は数え切れないほど後悔した。この話を受けるのではなかったと。


 それでも待機時間を利用して訓練を施した。これにはワイゲルト伯も反対せず、何とか命令通りに動ける程度にはなった。


 ヴィントムントでグランツフート共和国軍と合流した。共和国軍は予定通り半月前の八月一日に到着しており、ケンプフェルト将軍は苛立ちを隠しきれていなかった。


「ずいぶんとゆっくりとした行軍だが、総司令官殿にはどのような考えがあるのか聞かせてもらいたい」


 武術の達人である偉丈夫のケンプフェルト将軍の迫力に、ワイゲルト伯は気圧される。


「少々予定が狂ったのだ。将軍には申し訳ないが、ヴィントムントで休養できたと思ってもらえればよい」


 その言葉に将軍は苛立ちを強める。


「この間に帝国が動かぬとは限らぬのですぞ! それに陽動を行うリヒトロット皇国軍との連携も崩れてしまうのだ!」


「そのようなことは小職も理解しておるよ。将軍は我が命に従ってくれればよい」


 その無思慮な言葉がケンプフェルト将軍の怒りの炎に油を注いだ。


「我が国は貴国と同盟関係にあるが、従属関係にはない! この状況が危険だと分からぬ司令官に従う義務もない!」


 将軍の言っていることは全面的に正しいが、戦場に着く前に連合軍が崩壊するため、私は間に入った。


「将軍のお怒りはごもっともなこと。このようなことが起きぬよう、私が責任を持って監督いたしますので」


 将軍も私が間に入ったことで冷静さを少し取り戻した。


「ノルトハウゼン殿がそうおっしゃるなら、今回だけは許そう。だが、このようなことは二度とないようにしていただきたい!」


 将軍の言うことはもっともなことで、王国軍の一員として申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 それからも進軍は順調とは言い難かった。百キロメートル東のヴェヒターミュンデ城に到着したのは九月三日。二週間も掛けているが、ワイゲルト伯とその側近たちに危機感はなく、私とケンプフェルト将軍だけが急かしている状況だった。


 ヴェヒターミュンデ城に到着後、不運に見舞われる。

 夏の嵐に襲われて足止めされ、更にシュヴァーン河が氾濫し、渡河できなかったのだ。

 水が引き、渡河可能となったのはそれから十一日後、昨日九月十四日の夜だった。


 王都を出発して二ヶ月以上。リヒトロット皇国軍の陽動作戦は一ヶ月近く前に始まっており、早急に渡河を行い皇都リヒトロットに向かわなければならなかった。


 渡河に関しては大賢者様の助言を受け、予め準備を行うよう伝令を送っていたため、夜明けと共に渡河を開始した。


 しかし、先行して渡った部隊が驚くべき情報を持って帰ってきた。

 フェアラートの町に帝国軍の旗が立っていたというのだ。

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