第14話「フェアラート会戦:その二」
統一暦一一九六年九月十五日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城。カスパル・フォン・ノルトハウゼン伯爵
王都シュヴェーレンブルクを出発してから約二ヶ月。
リヒトロット皇国との国境シュヴァーン河の増水により渡河できなかったが、ようやく開始できる状況になった。
川幅は通常より広い、七百メートルほどある。渡河には二本の浮橋と百隻ほどの小型船が使われるが、六万人という大軍を送り込むには順調にいっても明日十六日の昼頃まで掛かると予想されている。
ようやく渡河が可能となったが、計画通りにいっていないことに不安を感じている。
私はグランツフート共和国の将軍、ゲルハルト・ケンプフェルト氏と共に先行部隊からの報告を待っていたが、とんでもない情報が飛び込んできた。
「先行した偵察隊からの報告です! フェアラートの町に帝国軍の旗が翻っているとのこと!」
「フェアラートが占領されているだと……」
私が絶句していると、ケンプフェルト将軍は小さく首を横に振る。
「充分に考えられたことですな。恐らくマウラー元帥率いる第三軍団でしょう。我々が出陣したという情報を受けて急行したのであればおかしなことはありますまい」
将軍の言うことは理解できる。
ゾルダート帝国は情報を重視している。当然、我が国の王都シュヴェーレンブルクや共和国の首都ゲドゥルトにも間者を送り込んでいるはずだ。
王国軍が出発したのが七月十日だ。帝国の帝都ヘルシャーホルストまでは約二千キロメートルあるが、船を使えば八月の初旬には皇帝の下にその情報が届く。
それからエーデルシュタインに命令を送り、軍を急行させれば最速で九月の半ば、すなわち今くらいには到着できる計算だ。フェアラートの町には警備兵が二百名程度駐在していただけなので、抵抗することなく占領されてもおかしくはない。
伝令から情報を受け取った後、ロタール・フォン・ワイゲルト伯爵の副官が現れた。
「今後の方針について、伯爵閣下より軍議を開くため、司令官室に至急集まっていただきたいとのことです」
私たちは急ぎ、司令官室に向かった。
ワイゲルト伯は苛立った感じで会議用のテーブルをコツコツと叩きながら我々を待っていた。私たちが座るとすぐに話し始める。
「既に聞いていると思うが、帝国がフェアラートを抑えている。直ちに渡河を決行し、フェアラートを奪還する。そしてその後、計画通り皇都に向かうことにする」
その非現実的な言葉に、私は一瞬言葉を失った。
そのため、私より先にケンプフェルト将軍が異議を唱える。
「我々には攻城兵器がありませんぞ。いや、そんなことより帝国軍がどの程度の兵力をフェアラートに入れたのか判明しておりません! 闇雲に攻撃してもこちらの損害が増すだけ! ご再考を!」
その言葉に私も乗る。
「将軍のおっしゃる通りです。フェアラートは攻城兵器があっても容易には攻め落とせません。仮に帝国軍の一個軍団が占領したのなら、闇雲に攻撃しても我が方が一方的に損害を被るだけです」
「そのようなことは分かっておる! だが、敵は移動を優先したのだ! よって敵の兵力はそれほど多くないはずじゃ!」
私たちの主張に対し、ワイゲルト伯は苛立ちを隠そうともせず、都合のいい主張をする。
「兵力が少ないと確認したのですか! 憶測で方針を決めるわけにはいかないでしょう!」
私が異議を唱えると、将軍も大きく頷く。
「兵が多いという情報もない! 第一、ここで指を咥えて見ておれというのか、卿らは!」
ワイゲルト伯は不機嫌そうにそう言うと、立ち上がった。
「小職が総司令官である! 諸君らは我が命に従えばよい! 直ちに渡河を決行し、フェアラートを包囲するのじゃ!」
ワイゲルト伯は完全に逆上しており、目が血走っていた。恐らくこのような事態になるとは思っておらず、パニックに陥っているのだろう。
「この状況で渡河を行うことは自殺行為です! 帝国軍が攻撃してこなくとも不安定な浮橋しか退路がない状況で戦うことなどできません」
「逃げられぬ状況であることは理解しておるよ。この状況なら兵たちも必死に戦わざるを得ぬ。勝機が増したと考えればよい。これ以上議論は無用!」
更に言い募ろうとしたが、全く聞く耳を持たず、伯爵は司令官室を出ていった。
「申し訳ございません」
私は将軍に頭を下げることしかできなかった。
「カスパル殿はどうされるおつもりか」
将軍とはワイゲルト伯への憤懣という共通の思いがあるため、意気投合しており、ファーストネームで呼び合う仲になっていた。
「命令に従うしかありませんな。同胞を見捨てるわけにはいきませんから」
「ならば我が軍も同じだな。ここで我が軍が見捨てれば、貴軍は壊滅的な状況に陥るだろう。そうなれば、敗北の責任は我が軍にあると主張する者が現れるはずだ。その結果、今後の同盟関係に必ず禍根を残す。俺一人の責任で済むならいいが、今後のことを考えれば、命令に従わざるを得ぬ。部下を死地に送り込むのは断腸の思いだがな」
確かに共和国軍が動かず、我が軍が敗北すれば、マルクトホーフェン侯爵なら共和国の責任だと主張するだろう。共和国にとっても我が国との関係悪化は対帝国だけでなく、レヒト法国との戦争にも影響するから避けたいところだ。
このような決断をさせたことに申し訳なさでいっぱいになる。
しかし、共和国軍が出撃するなら生存率を上げることは可能だと思い直す。
「ゲルハルト殿にお願いがあります。渡河地点であるヴィークの防御を共和国軍にお願いしたいのです」
将軍は私の頼みに首を傾げる。
「構わぬが……貴国が行ってもよいのではないか?」
「私がこのことを言っても、ワイゲルト伯は認めないでしょう。ですが、将軍がご自身の判断で指揮下の部隊を防衛に回すのであれば拒む理由がありません。
連合軍が敗れ撤退する場合、浮橋を守っておけば全滅を防ぐことができるかもしれない。しかし、防御する部隊は最後まで留まる必要があるため、結果的に殿となり、全滅する危険性が高い。
「うむ。杞憂であってくれればよいが、これまで悪いことはすべて起きてきた。これも起きる可能性が高いな」
最後はニヤリと不敵に笑う。
将軍と別れた後、自分にできることは何かと考えるが、三ヶ月前に
(さすがは大賢者ということか。情報と補給の軽視、当初の計画に固執する柔軟性のなさ、国の行く末より自分の立場だけを考える身勝手さ……すべて大賢者の予言通りだ。今更だが、ここに来るまでもう少し真剣に対応を考えておけばよかったな……さて、生きて帰るためにできることをやるか……)
私はそこで開き直り、話が通じそうな騎士たちに最悪の場合を想定するよう伝えていく。
それだけでは不安なので更にもう一つ、ネッツァー経由で大賢者が伝えてきた策を実行することにした。
九月十六日の正午過ぎ、渡河は予定通り問題なく完了した。
帝国軍もこちらの状況は分かっているはずだが、一切手を出してこなかったのだ。
そのことをケンプフェルト将軍に話すと、彼は豪快に笑った。
「ガハハハッ! 帝国軍は我々を生きて返さぬつもりなのだ。渡河中に攻撃すれば、全滅させることはできんからな」
将軍も私と同様に開き直ったらしい。
渡河を終えたところで、ワイゲルト伯が命令を出した。
「フェアラートを包囲する! 敵は渡河中にも手を出してこなかった! すなわち少数しかおらぬということじゃ! 攻城兵器がなくとも攻略できる! 王国軍は南門と東門、共和国軍は北門と西門から激しく攻め立てよ!」
フェアラートは一辺が一・五キロメートル、高さ五メートルの城壁に囲まれた城塞都市だ。
城門は
ヴェヒターミュンデ城やヴェストエッケ城に比べれば城壁の高さは低く、ワイゲルト伯の言う通り兵士の数が少なければ全長六キロメートルにも及ぶ城壁を守ることは難しい。
私は東門の担当となり、攻撃を命じた。
「矢を射かけて敵を射竦ませろ! その隙に城壁にロープを掛けて登るのだ! 城壁に最初に上がった者には金貨百枚の褒美を与えるぞ! 敵は少ない! 一気に攻め立てるのだ!」
私の指揮下には一万の兵がいる。一方東側の城壁にいる敵兵は千名程度にしか見えない。しかし、敵兵の動きはよく、鉤付きのロープを投げ込むが、兵士が取り付く前にすべて断ち切られてしまう。
昼過ぎに攻撃を開始し、五時間ほど経った。
西の空は茜色に染まり、城壁が作る影が長く伸びている。
敵兵の疲労を誘うべく、一万の兵を二つに分け、休憩しつつ攻撃を継続した。
「夜も引き続き攻撃を継続する! かがり火を焚け! 朝までに城門を奪取するぞ!」
敵兵の動きに衰えは見えないが、夜間になれば隙もできる。このまま朝まで攻撃を続ければ、城門を奪うことは不可能ではないと思っていた。
深夜になっても攻撃を続けるが、敵は頑強に抵抗し、陥落する気配が見えない。しかし、やることは同じであると攻撃を継続させた。
この時私は前方のフェアラートだけを見ており、周囲を警戒するという初歩的なことを失念していた。
もちろん伏兵の存在を懸念し、ワイゲルト伯に斥候を出すよう進言しているし、実際に斥候が出されたことも確認していた。その後、伏兵が近くにいるという報告がなかったため、敵はフェアラートにしかいないと思い込んだのだ。
東の空が白み始めた頃、敵兵にも疲労が見え始め、ようやく城門を奪取できると思った時、伝令が走りこんできた。
「敵の騎兵部隊が本隊を強襲! 敵がワイゲルト伯爵閣下を討ち取ったと叫び、我が軍の一部が潰走し始めました!」
その言葉に一瞬何が起きたか理解できなかったが、即座に頭を切り替える。
「伯爵は本当に討ち取られたのか!」
「混乱が大きく閣下の安否は不明です! ただ、本陣付近の部隊が“撤退だ”と口々に叫んでいること、ワイゲルト伯爵家の旗が倒されたことは確認しております!」
ワイゲルト伯が戦死もしくは負傷で指揮が執れなくなったと判断するしかない。
「敵の規模はどうか!」
「分かりません! ただ騎兵が主体の大軍であることは間違いありません」
騎兵が襲ってきたということは敵の本隊なのだろう。帝国軍の第三軍団には一万五千の騎兵がいると聞いている。
「攻撃中止! これより南門の本隊を救出する!」
そう命じた後、北門で戦っているグランツフート共和国軍にも伝令を送る。
「共和国軍は直ちに撤退し、渡河地点を確保していただくよう、ケンプフェルト将軍に伝えてくれ」
敵は総司令官のいる南門の王国軍を襲い、その後は逃げられないように西門の共和国軍を襲撃してから渡河地点を奪いに行くはずだ。
ならば、我々は敵の後方から攻撃し、退却路を確保する時間を稼ぐしかない。
指揮下の兵士が南門に動き始めた。
まだ敵はこちらに現れず、私の予想通りに推移しているように思えた。
しかし、敵は私より一枚も二枚も上手だった。
「城門が開きました! 敵兵が出てきます!」
我が軍が南に移動したことを確認し、城兵が追撃してきたのだ。
「数はこちらの方が多い! 第二班は敵を食い止めろ! 第一班は南に移動せよ!」
二つに分けていたため、それをそのまま利用した。
しかし、混成部隊であるため指揮命令系統が完全ではなく、第二班は敵を防ごうとする者と、南に行こうとする者で混乱する。
ここで我が国が長期間、数万の軍勢での野戦を行っていなかったことを思い出した。
(城壁での防衛戦ばかりで野戦は一個騎士団規模でしかやっていなかったな。自分の能力のなさが情けない……我が騎士団がいればもう少しなんとかできたのだが……)
この無様な状況に気が滅入るが、すぐに命令を発した。
「一旦全軍で後方の敵を迎え撃つ! 敵を排除した後、南門に向かうぞ!」
ここに至っては軍を分けることは不可能で、私の指揮下に置いて動かすしかないと腹を括った。
夜が明けてきたため、敵がうっすらと見え始めた。見た感じでは三千ほど、我が方の三分の一程度にしか見えない。
「敵は少数だ! 各隊は共同して敵を押し包め!」
しかし、帝国軍は巧妙だった。
こちらが迎え撃つ姿勢を見せると城兵は追撃を止め、陣形を整えて抵抗し始める。その堅固さに我が軍は手を焼いた。
時間だけが過ぎていく。
三十分ほど経った頃、私は決断した。
「渡河地点に全力で向かう! 後方の敵は適当に反撃するだけでいい!」
これ以上ここで戦っていてもいずれやってくる敵の本隊に蹂躙されるだけだ。多少の損害には目を瞑って全軍を逃がすことを優先した。
命令通りフェアラートの南側を通ってシュヴァーン河に向かう。
後方からはしつこく攻撃を仕掛けてくるため、ほとんど壊走に近い状況で走っている。
フェアラートの南側に入ると、蹂躙された王国軍兵士の遺体で埋め尽くされていた。どれほどの兵士が倒されたのかと暗澹たる気持ちになる。
怪我はしていないものの呆然と立ち尽くしている者や腕や足を切り落とされて泣き叫んでいる者が多く見られる。更に横たわっているがまだ息のある兵士もいたが、私は心を鬼にして救助を断念し、移動の継続を命じた。
「今は撤退することが優先だ! 動ける者は我が隊に加わって走れ!」
生きて帰ったら臆病風に吹かれたと非難されるだろうなと思ったが、生きて帰られる気がしないのであまり気にしていなかった。
南門を過ぎたところで、帝国軍の部隊が待ち受けていた。その数は五千ほど。
後方からの敵と合わせても、私の指揮下にある兵の方が多いが、こちらは指揮命令系統がずたずたにされ、組織だった攻撃はできそうになかった。
距離があるため分かりづらいが、前方の敵の向こう側では戦闘が行われているらしく、ワーワーという兵士たちの声が聞こえてきた。
「友軍が戦っているぞ! 彼らと合流すれば数的に有利に立てる! 全軍突撃せよ!」
私は無謀な突撃を命じた。
いや、突撃しか選択肢が残されていなかったといった方がいいだろう。
前方には王国軍本隊を壊滅した帝国軍がいるのだ。ここで命令を逡巡すれば、散り散りになって逃げ惑い、蹂躙されるだけだ。
「味方と合流して渡河地点に向かうんだ! 進め!」
私は兵士たちに生き残る可能性が残っていると錯覚させ、無謀な攻撃に向かわせるしかなかった。
私自身も剣を振るいながら帝国軍の隊列の中に突っ込んでいく。
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