第15話「フェアラート会戦:その三」
統一暦一一九六年九月十七日。
リヒトロット皇国西部フェアラートの南の草原。第一皇子ゴットフリート・クルーガー上級騎士
俺たちは今、フェアラートの南西三キロメートルほどにある丘陵地帯の森の中に潜んでいる。
夜明けと共にグライフトゥルム王国軍とグランツフート共和国軍に奇襲を掛け、敵を殲滅するためだ。
昨日、王国と共和国の連合軍が渡河を決行したと聞いた時、俺は耳を疑った。
(偵察隊がフェアラートの城壁にある軍旗を見たはずだ。俺が敵の指揮官なら、一度仕切り直す。それともフェアラートに入った兵の数が少ないことを既に知っているというのか? だが、どうやって知ったのだ?……)
第三軍団長ローデリヒ・マウラー元帥は麾下の三万の兵のうち、一万だけを直接フェアラートに向かわせ、残りの二万は丘が連なる草原地帯を隠れるようにして進ませた。
これは連合軍が既にフェアラートを占領し、更に
北公路で一万の部隊が敵を足止めし、その間に敵の後方に回って奇襲を行うという作戦で、一気に連合軍を葬り去るつもりだった。
しかし、フェアラートに近づくと、連合軍がまだ渡河を完了しておらず、簡単にフェアラートを手中に収めることができた。
正確な情報は届いていないが、敵の行軍中にトラブルがあったことと、半月前の嵐でシュヴァーン河が増水したため、渡河できなかったらしい。
そして、この状況を利用するために作戦会議が開かれた。
俺は大隊を指揮する上級騎士に過ぎないため、作戦会議に参加していないが、マウラー元帥はフェアラートを囮にして連合軍を叩く作戦を立てた。
具体的にはフェアラートには五千ほどの兵しかいないという情報を流し、連合軍の渡河を促す。そして、一部が渡河を終えたところで、草原を進んできた本隊がヴィークの渡しと呼ばれる渡河地点を強襲し、こちらに渡った敵を殲滅するというものだ。
元帥と参謀たちはどうやって連合軍にその情報を流すかで頭を悩ませ、フェアラートにいるであろう間者が脱出することを故意に許すことにした。
しかし、敵の間者は既に報告に向かっていたのか、それともまだ様子を見ているのか分からないが、城門を開けていてもそれらしき者が出ていくことはなかった。
敵は既に情報を得ていたかのように、渡河を強行する。
大胆というにはあまりに無謀な行動に、マウラー元帥は罠を疑った。ヴィーク以外に確認できていない渡河地点があり、そこから別動隊が来るのではないかと考えたのだ。
もし別動隊がいるなら、ヴィークでの渡河中の敵は囮であり、攻撃中に側面ないし背面から奇襲を受ける。そのため、斥候隊を広範囲に送り出しつつ、渡河している敵への攻撃を手控えた。そして、敵が放った偵察隊を捕らえて情報収集を行った。
そこで分かったことは連合軍の指揮官、ワイゲルト伯爵なる人物がとんでもなく無能だということだ。
当初の作戦に拘って皇都リヒトロットに向かうため、こちらの戦力を確認することなく、邪魔になる城塞都市フェアラートに無謀な攻撃を行おうとしていることが分かったのだ。
当然、罠など考えてもおらず、それどころかフェアラートとその周辺に間者を送り込んですらいない。
この事実に俺たちは呆れ返った。
帝国軍では戦場となり得る地域での事前の情報収集は常識以前のことであり、情報もなく敵地に入るなど自殺行為にしか見えない。
こんなことならフェアラートを掌握した際に兵を隠しておいて、油断し無防備な状況の敵を攻撃した方が良かった。しかし、いくら敵が情報を軽視するといっても、ここまで酷いと想像できる方がおかしいから仕方ないだろう。
元帥と参謀たちもあまりの非常識さに半ば呆れながらも、この絶好の機会を逃すことなく、連合軍を完膚なきまでに叩くことを決めた。
そのため、連合軍の渡河をあえて許し、更にはフェアラートを攻撃させた。
フェアラートは一万の歩兵が守っているが、敵は六万の大軍であり、陥落の可能性はあった。もっとも攻城兵器を持たない相手にすぐにやられる可能性は低く、十分に敵を引き付けられると確信していた。
敵の司令官だけでなく斥候隊も無能なのか、我々が潜む森が見えるところまで来たにもかかわらず、数百メートル手前で引き返していく。
伏兵を探すという任務を与えられているなら、森の中を確認するはずだが、奴らは丘の上から眺めただけで戻っていった。
ここまでくると王国軍とはどんな組織なのかと逆に知りたくなるほどだ。
夜になると、その斥候隊も姿を見せなくなる。
そのため、マウラー元帥から命令が出された。
「夜明け前に南門を攻める敵を攻撃する。それまでは歩哨以外は休養し、体力の温存に努めること」
命令を受けるとそれに従い、馬を休ませ、自分たちも横になった。
数時間休んだところで、伝令が各隊に準備を開始するよう指示を出しながら部隊の間を回っていく。
森の中はまだ漆黒の闇に包まれていたが、木々の隙間から見える東の空は僅かだが群青色に変わっていた。
俺は直属の部下たちの間を回り、激励の言葉を掛けていく。
「敵は無能のようだぞ。さっさと片づけて国に帰るぞ」
この大隊を率いてまだ三ヶ月ほどだが、自惚れではなく、部下たちとの間に信頼関係は築けていると思っている。
「隊長が一番に突っ込んでいかないでくださいよ。皇子様に死なれちゃ、俺たちがどんな罰を受けるか分かったもんじゃないんで」
「て、いうか、俺たちにも獲物を残しておいてくださいよ。隊長が駆け抜けた後に立っている奴なんていないんでね」
兵士たちが軽口を叩く。俺が第一皇子であると知っていても、彼らは仲間として受け入れてくれている。
「手柄を取られたくなかったら、俺より前に出るんだな」
俺がそう言って返すと、兵士たちから笑い声が上がる。
「そりゃ無理でしょう! 隊長の馬術に適う奴なんて第三軍団どころか、帝国軍全体を見てもいませんぜ!」
その言葉に“そうだそうだ”という声が上がる。
「あんまりはしゃぐな! 騎士長から大目玉を食らうぞ!」
俺が少し大きな声でそういうと、「隊長の方が声がでかいですぜ」と返してくる。
「無駄話は終わりだ。全員騎乗! 王国と共和国の連中に本物の兵士の力を見せてやれ!」
普段なら歓声が上がるところだが、奇襲の前ということで武器を上げることで俺の声に応える。
馬に
敵はグライフトゥルム王国軍の本隊で、南側、すなわち俺たちに近い方に総指揮官ワイゲルト伯爵家の旗が翻っていた。
全く警戒していないのか、背後の丘の上にも監視の兵を置いておらず、俺たちは気づかれることなく、五百メートルほどにまで近づくことができた。
元帥がいる司令部から突撃の合図のラッパが鳴る。
ここまで近づければ、敵までは一瞬だ。
「突撃! 俺に続け!」
俺は槍を片手に馬の腹を蹴り、一気に加速する。
「狙うは敵総大将の首だ! ワイゲルトを討ち取ることだけを考えろ!」
走りながらも兵たちに命令を出していくが、奴らも俺のことをよく分かっており、馬を全力で走らせながらも陣形を崩すことはなかった。
一万五千の騎兵が馬蹄を響かせて突撃していく。
更に俺たちは敵の恐怖を煽るために、大声で叫びながら馬を駆っていった。
あっという間に敵の本陣に肉薄する。
本陣を守っていた五百人ほどの部隊が間に入ろうとしたが、俺たちの勢いに負けたのか、一度も剣を交えることなく逃げ出した。
「敵は大軍だ! 撤退せよ!」
「このままでは全滅する! トゥムラー男爵隊は西に向かうぞ!」
あろうことか、自分たちで混乱を招くようなことを叫んでいる。
「見ろ! 勝手に崩れているぞ! 一気に踏みつぶせ!」
トゥムラー男爵隊という本陣にいた部隊が逃げ出したことで、一度も戦うことなく、逃げ出す兵が続出する。
敵陣はまだ攻撃を受けていないのに大混乱に陥り、こちらに槍を構える兵士はほとんどいない。
そんな混乱した敵陣に、俺は一番槍として突入する。
まだ空は暗いが、本陣の中は篝火が焚かれており、混乱する敵兵の影法師が慌ただしく動く。しかしその動きに統一性はなく。右往左往しているだけだ。
運がいいのか、突入してすぐに豪華な全身鎧を身にまとった老将の姿を見つける。周囲には護衛の騎士が十名ほどおり、老将を守ろうと前に出ようとした。
「ワイゲルト伯爵閣下をお守りせよ!」
騎士が叫んだことで目標が確定した。
「壁を作るのだ! 盾を構えろ!」
指揮官らしき騎士が叫ぶが、護衛たちの動きは鈍く、驚きのあまり目を見開いている老将に肉薄する。
「ワイゲルト伯、覚悟!」
そう叫ぶと、馬に拍車を当てて更に加速し、槍を繰り出した。
ワイゲルト伯は慌てて剣を構えるが、既に遅い。
「グハァッ!」
槍は見事にワイゲルトの首を貫き、悲鳴ともつかぬ声を上げて倒れていく。
振り向くと首から血飛沫を上げており、致命傷であることは間違いなかった。
「ゴットフリート・クルーガーが敵将ワイゲルト伯を討ち取った! 帝国軍の猛者たちよ! 敵を掃討せよ!」
俺は吠えるように叫ぶと、混乱する敵兵の中に馬を突入させる。
後ろには部下たちが付いてきており、俺がこじ開けた穴を更に大きくしていった。
それから逃げ惑う敵兵を葬りながら敵陣の中を縦横無尽に突き進んだ。
気づくと空はオレンジ色に変わっており、無数に転がる敵兵の死体が見えるようになった。
部下たちが周囲にいることを確認した後、更に敵を探そうとした時、戦闘中止の合図が聞こえてきた。
「戦闘中止だ! 隊列を組め!」
血に染まった槍を持った部下たちが、凄惨ともいえる笑みを浮かべながら集まってくる。
「みんなよくやった!」
俺が叫ぶと、部下たちが槍を上げて応える。
「「「オオ!」」」
「だが、まだ敵が残っている! そいつらをまとめて倒してしまうぞ!」
俺がそう言って槍を上げると、再び雄叫びが響く。
「やってやりましょう!」
「弱すぎて準備運動にもなりませんでしたよ! 次は骨があるといいですね!」
その間にも中隊長である騎士たちが点呼を行っていた。
「戦死者なし。軽傷者が数名のみです」
副官の報告に安堵の息を吐き出す。まだ三ヶ月の付き合いしかないが、かわいい部下たちが無事だったことが嬉しかった。
隊列を整えたところで、次の命令が届いた。
「西門のグランツフート共和国軍本隊を強襲する。今度は奇襲ではないから抜け駆けはなしだ」
抜け駆けしたつもりはないが、俺の大隊が異様に速かったため、そう思われてしまったようだ。
西に移動すると、共和国軍が城壁への攻撃をやめ、待ち構えていた。
俺はある作戦を思いつき、上官である騎士長に提案する。
「敵の右翼側に一隊を回してはどうでしょうか? こちらに向きを変えつつあるとはいえ、まだ城壁を攻撃するための陣形のままです。城兵が打って出るタイミングに合えば、敵を混乱させることができると思います」
騎士長は数秒考えた後、口を開く。
「貴君の提案は考慮に値する。将軍に上申してみよう」
騎士長は師団長であるザムエル・テーリヒェン将軍に掛け合ってくれることになった。
「クルーガー上級騎士も一緒に来てくれ。君が説明した方が早い」
テーリヒェン将軍のところに行き、すぐに説明を行う。
「現在の敵右翼は元々後衛部隊です。すなわち、あの場に敵の将軍、ケンプフェルトがいるはず。そこを襲えば、敵軍は大きく混乱するでしょう。ケンプフェルトは共和国軍の支柱ともいうべき人物ですから」
「意図は理解するが、ケンプフェルトはワイゲルトと違い無能ではない。当然予想していると思うが?」
「ケンプフェルトを倒す必要はありません。攻撃を受けているという事実が重要なのです。敵将は指揮を執れなくなりますし、他の部隊からは指揮官が危うく見えるはずですから。それに騎兵隊の機動力で一撃離脱を繰り返せば、味方に大きな損失は出ないと考えます」
将軍はすぐに頷いた。
「君の提案は実行に値する。幸い、我が軍の左翼は私に指揮権がある。君の大隊で敵に混乱を生じさせてくれたまえ」
テーリヒェン将軍のことはよく知っており、当然採用してくれると思っていた。
今でこそ将軍と上級騎士という間柄だが、以前は父が皇子だった頃、父の直属の部下として何度も王宮に来ており、俺のことを高く評価してくれる人物の一人だからだ。
また、彼自身、父の下で機動力を生かした戦いで、数多くの武勲を挙げており、俺がこの策を実行すれば、どの程度の効果があるかも感覚的に分かっている。
「承りました! では!」
マントを翻して将軍の下を去ろうとした時、後ろから声が掛かった。
「武運を祈る!」
私はその言葉に振り返って敬礼で答え、部下の元に戻った。
「これより我が大隊は敵右翼に攻撃を掛ける! これは俺たちだけに与えられた任務だ!」
「面白そうですね。やってやりましょう!」
「こんな無茶は隊長くらいしかやりませんよ! でも、楽しそうだ!」
一万五千の敵に対し、僅か五百名で強襲を掛けるという作戦にも部下たちは笑顔で応えてくれた。
俺には過ぎた部下たちだと心の中が温かくなるが、今は敵に混乱を与えることだけを考えるべきだと頭を切り替えた。
グランツフート共和国軍はグライフトゥルム王国軍本隊が壊滅したことを知っているはずだが、戦意は衰えておらず、不揃いな陣形ながらも徐々に西に撤退するように動いていた。
このままでは防御を固めながらシュヴァーン河の渡河地点に撤退されてしまう。
早急に敵将であるケンプフェルト将軍の本陣を強襲し、敵に混乱を与える必要があった。
俺の持つ戦力は僅か五百騎。しかし、ゾルダート帝国軍でも随一の練度を誇る騎兵部隊だと自負しており、正面からぶつかるのでなければ、敵に混乱を与えることは充分に可能だ。
「俺たちがやることは敵を倒すことじゃない! 敵に混乱を与えることだ! 足は絶対に止めるな! 一撃離脱に徹しろ! 分かったな!」
俺の言葉に全員が武器を掲げて応える。
その間にローデリヒ・マウラー元帥が本隊に攻撃命令を出し、前衛同士が激突していた。
歩兵同士のぶつかり合いはほぼ互角に見える。しかし、元帥は側面から騎兵による攻撃を加え、ジリジリと押していく。
頃合いだと見た俺は「行くぞ!」と叫び、馬に拍車を当てた。
本隊から一旦五百メートルほど西に離れ、そこから敵の本陣を目指すべく進路を変える。
こちらの動きに気づいている者もいるようだが、僅か五百という数にどう対応しようか迷っているように感じた。
その隙を突くべく、全速力で本陣に向けて突撃していく。
敵はこの動きに危険なものを感じたのか、五百人ほどの歩兵隊が慌てた様子で本陣の前に展開しようとしたが、俺たちはその横をすり抜けていった。
目の前に空間ができ、その先に巨大な共和国軍の旗と、ひと際存在感のある偉丈夫の姿が目に映る。
「奴がケンプフェルトだ! だが忘れるな! 俺たちの仕事は奴を倒すことじゃねぇ! 足を止めずに敵軍の隙間を突き抜けろ!」
俺の命令に部下たちは忠実に従っていく。
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