第67話「祝杯」
統一暦一二〇五年九月七日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、城主館前。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ヴェヒターミュンデの戦いの後始末にも目途が立った。
敵将ホラント・エルレバッハ将軍は物静かな紳士という印象を受ける人物で、見た目通り無駄な恫喝を行うことはなかった。
彼もそうだが、戦死したケプラー将軍も能力は高く、彼らを騙せたことは運がよかったと思っている。
「そろそろゴットフリート皇子からの伝令が到着するはずだけど、第二師団はどう動くのかしら」
イリスが聞いてきた。
ゴットフリート皇子からの伝令が第三軍団に届かないように、リヒトロット皇国軍に対応を依頼していた。その効果は切れているはずだ。
伝令の移動時間を考えると、ゴットフリート皇子が異常に気付くのは八月二十五日頃。皇子がいるゼンフート村からフェアラートまでは五百キロメートルほどあるから、いつ伝令が到着してもおかしくはない。
「すぐに戻そうと考えるとは思うけど、フェアラートの防衛体制の確立もあるし、捕虜に関する事務的な処理も必要だから、半数程度を先行させるのが精一杯だろうね」
フェアラートの守備隊三千名は既に王国軍の捕虜になっている。我が国がフェアラートを奪う可能性は低いが、それでも皇国軍支援のために帝国西部に攻め込む可能性がないとは言えない。
それに対応するためには、フェアラートを含む西部域の各都市の防衛体制を確立させ、情報伝達網を構築しなくてはならない。そのために一定程度の戦力は必要だし、代替部隊が到着するまでは第二師団から抽出するしかない。
「それにしてもこれからどうなるのかしら? ゴットフリート皇子は皇国から撤退するの? そうなったらマクシミリアン皇子は復帰するのかしら? 帝国との交渉はどうなるのかな? 考え始めたら気になることばかりだわ」
「そうだね。でもなるようにしかならないよ。特に帝国については不確定な要素が多すぎるから読みようがない。今この瞬間にゴットフリート皇子が皇国を降伏させているかもしれないんだから」
正直な思いだ。
帝都ヘルシャーホルストとは長距離通信の魔導具で繋がっているため、情報はリアルタイムで入るが、皇都周辺の情報は
ゴットフリート皇子の最新動向だが、八月の末に皇都に近いゼンフート村から占領した下流の町ナブリュックに移ったという情報は入っているが、第三軍団との連絡を取ろうとしていること以外に情報がない。
ナブリュックから皇都リヒトロットまでは一週間ほど掛かるから、気づかないうちに皇都が陥落していることは考え難いが、皇国水軍を撃破し、皇国が降伏している可能性は充分にある。
そんな話をしていたが、睡魔が襲ってくる。
昨夜は日付が変わった頃から戦闘が激化し、結局朝まで城壁の上の物見塔にいた。それから捕虜に関する方針の検討などでほとんど寝ていないからだ。
「少し仮眠を摂っておこうか。夕方になったらラズとハルトが呼びに来るだろうから」
「そうね。私も眠くなってきたわ」
それから二時間ほど仮眠を摂った。
窓の外は日が傾き、既に午後五時くらいになっていた。
「ハルトムート様がお見えになりました」
護衛のカルラが告げるが、凄腕の
「迎えにきたぞ! 準備はできているな!」
異常に元気なハルトムートが部屋に入ってきた。
これから第二騎士団の祝勝会が行われるのだ。
まだ帝国軍が対岸にいるし、城の外には一万四千以上の捕虜がいる。そのため、全騎士団で祝勝会を行うことはしない。毎日輪番制で行うことになったが、団長であるグレーフェンベルク伯爵が明日の朝、王都に向けて出発するため、第二騎士団が初日になった。
ヴェヒターミュンデは直径一キロメートルの円形の城だ。
通常はヴェヒターミュンデ騎士団五千名と家族一万人、商人や城で働く料理人などの千人の計一万六千人が住むが、今回は三個騎士団一万五千が入ることから、家族は西の城塞都市に疎開している。
船での補給が容易であるため、物資は豊富で、料理や酒は常にふんだんにある。
特に新鮮な肉や魚は王都シュヴェーレンブルクや商都ヴィントムント並にあり、他の地方都市より食事は美味い。
ヴェヒターミュンデ騎士団の訓練場が城内で最も広いため、そこで祝勝会が行われる。
人数が多いため立食形式だが、ところどころに空の樽が置かれており、テーブル代わりに使えるようになっていた。
まだ開始まで三十分あるが、既に多くの兵士が集まっており、いくつかの樽は開けられ、飲み始めている者も多い。
更に会場の中に屋台が出ており、肉や魚が焼ける香ばしい匂いが漂っている。串焼きのようなものから、揚げ物、煮込み料理まであり、空腹感を刺激される。
ハルトムートの案内で第一連隊の第二大隊と第三大隊、ラザファム大隊とハルト大隊が集まっている場所に到着した。
「こっちですよ、隊長!」
「マティアス様もイリス様も、こっちこっち!」
いろいろなところから声が掛かる。その声に従っていくと、ラザファムが部下たちと飲んでいた。
「もう飲んでいたのか。ずるいぞ、ラズ」
ハルトムートが文句を言いながら、ジョッキを受け取っている。
そして、私とイリスにもジョッキが手渡された。
「まだ始まるまで三十分以上あるが、大丈夫なのか?」
私が聞くと、ラザファムが笑いながら否定する。
「閣下の挨拶だけ聞けば、あとは勝手にやっていいことになっているんだ。それにあまり遅くまで飲むわけにはいかないしな」
他の騎士団が警戒に当たっているため、ある程度遠慮する必要があるのだ。
「というわけで、さっさと始めましょう!」
「隊長がいないから、まだあんまり飲んでいないんですよ」
ハルト大隊のお調子者たちが割り込んできた。
「あんまりってことはしっかり飲んでいるんじゃねぇか!」
ハルトムートがそう言って突っ込む。
その言葉に周囲から笑いが起きた。
「それじゃ、マティアス様。乾杯の音頭をお願いします!」
「私じゃなくて、ラズかハルトだろう」
「この中で一番偉いのは何と言ってもマティアス様ですし、今回もすげぇ作戦を考えてくれましたからね。やっぱり主役はマティアス様ですよ」
周りからもその通りだという声が上がる。
「それじゃ、手短に。ラザファム大隊、ハルト大隊の活躍で、今回は大勝利に導けました。それを祝して、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
私の音頭に兵士たちがジョッキを上げる。
周囲の別の大隊の兵士も私に気づいたのか、同じようにジョッキを掲げていた。
ジョッキの中身はよく冷えたビールだ。
ホップの爽やかな香りと麦芽の甘い香りが口に広がり、喉を通過する炭酸が更に清涼感を出す。
「美味いね。暑い時期に外で飲む冷えたビールは最高だよ」
「そうね。何か料理も欲しいわ。朝からまともに食事をする時間がなかったからペコペコよ」
彼女も参謀として深夜から働き詰めだった。特に作戦参謀として、前線に立つ騎士団長たちの補佐を行っており、私よりも疲れているはずだ。
「それにしても本当に大勝利だったな。帝国軍を相手に完勝するとはさすがに思わなかった」
ハルトムートが感慨深げに話している。
ラザファムが大きく頷いた。
「私も同じ思いだ。九年前のフェアラート会戦では同じ第三軍団に倍の戦力で戦って完膚なきまでに叩きのめされた。それが今度は全く逆の結果だ。我々も強くなったのだと思ったよ」
その言葉にやや危うさを感じた。
「それは違うよ」
「何が違うのだ? 同じ第三軍団だぞ。もちろん、名将マウラーと今回のテーリヒェンでは比較にならないかもしれないが、ケプラー将軍もリップマン将軍も無能な将ではなかったと思うんだが」
ラザファムが聞き返してきた。
「私としては今回の大勝利は運がよかっただけだと思っている。もちろん狙っていたことは間違いないけど、本来の目的は敵をここに拘束することだった。それにまだ帝国軍とは野戦をやって勝利していない。帝国軍が苦手とする攻城戦で、更にこちらが有利になる条件だったから圧倒できたに過ぎない。本当に強くなったと言えるのは、帝国軍に野戦で勝ってからだと思う」
私の言葉にイリスが賛同する。
「私もそう思う。私は兄様やハルトと違って前線で指揮を執ったわけじゃないけど、作戦参謀としてすぐ近くで戦いを見ているわ。その時に感じたのは帝国兵の心の強さよ。あれだけ不利な状況でも諦めないというのは、指揮官を信じているからだと思ったわ」
「そうだな。確かに今回の勝利はマティの奇策と用意周到な準備のお陰だろう。イリスの言う通り、一人ひとりの兵の強さは法国軍の方が上だったが、戦ってしんどいと思ったのは帝国軍だ。半分の兵力しかなかったら、この城を守り切れなかったかもしれないな」
ハルトムートが真面目な表情でそう言ってきた。
「なに真面目な話をしているんですか! 今日は祝勝会なんですよ! 飲みましょうよ!」
兵士の言葉に私は大きく頷いた。
「そうだな。じゃあ、主演男優であるラズとハルトの名演技に乾杯!」
「「「乾杯!」」」
再び乾杯を行った。
その後、弟のヘルマンや一年後輩のヴィルヘルム・フォン・ノルトハウゼンも合流し、楽しく酒を酌み交わしていく。
「次も勝ちたいものだ」
私は独り言を呟いていた。
「そうね。これに優るものって、なかなか思いつかないわ」
「結婚式よりも祝勝会の方がいいのかい?」
そう聞くと、イリスは顔を赤らめた。
「もう! いじわるを言わないの! 飲みましょ」
そう言ってラザファムたちのところに向かった。
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