第30話「覚悟:前編」

 統一暦一二〇八年十一月八日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、城主館。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 王都シュヴェーレンブルクからの情報を王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵に説明した。


 マルクトホーフェン侯爵が皇都リヒトロット陥落を機に、王国騎士団と参謀本部の弱体化を狙っていると説明すると、伯爵は理解できないという顔をした。


「皇都が陥落すれば、結果としては何もしなかったのと同じだと主張できます。実際、皇国の国力は半分程度に落ちますから、我が国の防壁としてはあまり役に立ちません。王国を守るという点で、騎士団と参謀本部が役に立たなかったという主張は表層だけ見れば正しいのです」


 元々成功率は低かったが、そのことを凡庸な国王が理解しているはずもなく、宮廷書記官長であるマルクトホーフェン侯爵に主張されれば、頷いてもおかしくはない。


「しかし、マルクトホーフェン侯爵にも困ったものだな。この状況で王国騎士団を弱体化させるようなことをすれば、帝国に利するだけだと気づかないのだろうか」


 ホイジンガー伯爵はマルクトホーフェン侯爵が野心家であることは認めつつも、王国を危険に晒すようなことはしないと安易に考えている。このことは、今は亡きグレーフェンベルク伯爵から指摘されていたが、元々中立派であり、侯爵に対して危機感が弱い。


「このタイミングで権力闘争を仕掛けてくるような方です。ご自身の利益を優先されているのでしょう」


 その言葉に伯爵は眉を顰めるが、その相手が侯爵なのか私なのかは判然としなかった。


「それで私はどうすべきだと、君は考えているのだ?」


「現状ではこのような状況にあることを理解していただいていれば問題ありません。王都の方はレベンスブルク侯爵閣下たちにお任せするしかありませんから」


 もし目の前にいるのがグレーフェンベルク伯爵だったら迷うことなく、王都に戻ることを進言しただろう。現状ではヴェヒターミュンデから出撃することは現実的ではないし、ヴェヒターミュンデ伯爵に指揮を任せても問題ないからだ。


 その上でマルクトホーフェン侯爵の力を減じるため、御前会議に出席してもらい、皇都が陥落しても王国に影響が出ないように策を講じるため、王国騎士団と参謀本部の強化を図るべきだと主張してもらったはずだ。


 グレーフェンベルク伯爵ならマルクトホーフェン侯爵と正面から対峙しつつ、宰相であるメンゲヴァイン侯爵を操って認めさせることができるが、ホイジンガー伯爵にそのような腹芸は期待できない。


 ならば、ここで帝国軍に睨みを利かせてもらっている方がよほど役に立つと考えているのだ。


「王都での情報操作の許可をいただきたいと思います。内容はエッフェンベルク連隊長が活躍したこととクローゼル男爵が草原の民と友誼を結び、協力関係を築けたことです」


 情報操作と聞き、伯爵は一瞬嫌そうな顔をした。


「うむ。事実ではあるが、君の縁者を持ち上げることになるな。意味がないなら許可はできん」


 義兄と実弟を称賛することになることは事実だが、伯爵は未だに噂を駆使した世論操作を嫌っているため、簡単に承認したくないのだ。


「意味はあります。まず第二騎士団は一個連隊千名というごく少数で三万人の帝国軍を翻弄しました。この事実は皇都が陥落しても王国に影響がないという印象を与えることができます」


「うむ。確かに我が騎士団が優秀であると思えば、貴族も民も不安はあまり感じぬだろうな」


「草原の民のことも同様です。皇国は草原の民を引き入れることができませんでしたが、我が国はそれに成功しつつある。そうであるなら、皇帝も安易に動けないと情報を流せば、今回の作戦が失敗ではなかったと知らしめることができるのです」


「なるほど。確かに失敗ではないし、希望があるようにも見える……それだけなら問題はない。許可しよう」


 反論できないため、渋々認めたという感じだ。


「ありがとうございます」


 そう言って頭を下げるが、本当の目的はラザファムとヘルマンの名声を高めることだ。


 ラザファムにはできるだけ早く騎士団長に昇進してもらい、更にはホイジンガー伯爵の後任になってもらいたいと考えている。ラザファムが三年後に騎士団長に、十年後に王国騎士団長に就任できれば、王国軍でも帝国軍を食い止めることができるだろう。


 ヘルマンについては私の代理ができると世間に認識させるためだ。

 弟は能力的にはラザファムに近く、軍事面だけでなく政治面でも期待している。


 しかし、獣人族戦士は弟を認めているが、世間はそうではない。また、男爵という低い身分であり、更にこれまで王都では名を聞いたことがない家であるため、王宮では一顧だにされない可能性が高い。


 つまり、ヘルマンを政治的な場で使うことは難しいということだ。

 先代のマルクトホーフェン侯爵の懐刀であったアイスナー男爵のように、私の代理として政治的にも動いてもらえれば、大きな戦力になると考えている。


 もっとも弟の性格的にはアイスナー男爵ほど悪辣なことはできないだろうから、その点は代理とはなり得ないが、私なりイリスなりがやればいいので大きな問題ではないと考えている。


「もう一点許可いただきたいことがあります」


「それは何か?」


「皇都での情報操作と謀略です」


「謀略もか……」


 伯爵が嫌そうな顔をするが、それを無視する。


「まず皇都を明け渡せば、皇都民は財産を奪われ、帝国軍に強制的に徴兵されるという情報を流します。更に皇国の上級貴族は財産を西部に輸送するため、平民が船を使って脱出することを認めないという噂も流します。こうすることで、皇都内で徹底抗戦すべきという声が強くなり、皇都陥落を先延ばしすることが可能となります」


「あの皇帝が自国民になる皇都の民から財産を没収するとは思えん。それに帝国軍は占領地域から徴兵は行っていないはずだ。皇国の貴族もそこまで破廉恥なことはせんだろう」


 伯爵が言っていることは正しいし、私もそんなことは百も承知だ。


「おっしゃる通り、皇帝マクシミリアンなら占領と同時に物資を放出し、更に減税を行って懐柔しに掛かるはずです。これまで皇都防衛のために負担を強いられていた皇都民にとって最も望むことですから」


「それではなぜだ? そのような噂が信じられることはないと思うのだが」


「元々皇国民は私が流した噂によって、帝国軍を忌み嫌っています。そこで帝国軍が駐留した後、偽の兵士に略奪を行わせます。その結果、帝国軍が危険であり、信用に値しないという噂が真実であり、皇帝が何を言っても信じなくなるでしょう。そうなれば、皇都リヒトロットで大規模な住民の暴動が起き、帝国軍が皇都を掌握するのに数ヶ月は掛かるはずです」


 伯爵は私の言葉を聞き、立ち上がった。


「ま、待て! 略奪を行うというが、それでは民に被害が出る。そのような悪辣なことを認めることはできん!」


「略奪といっても演技に過ぎません。略奪された被害者に人的被害は出さないように手配しております。経済的な損失についても、帝国に補償させれば問題はありません。その策は考えてあります」


「しかし、大規模な暴動が起きれば、多くの民が死ぬのではないか?」


「その可能性は否定しません。ですが、帝国が皇都を早期に掌握してしまえば、皇国は西部での防衛体制を構築する前に攻め込まれ、短期間で呑み込まれてしまうでしょう。それを防ぐには皇都の掌握に年単位の時間を掛けさせることが必要なのです」


「だからと言って……」


「グレーフェンベルク閣下がお倒れになった時のことは覚えていらっしゃいますか?」


 昨年の二月、グレーフェンベルク伯爵が倒れた際、後事を託されている。その際、ホイジンガー伯爵は覚悟を決めると宣言した。


「無論だ。あの時はクリストフの想いに応えるため、必要であればどのような汚い謀略であろうと実行すると誓った。だが、今回の謀略は本当に必要なことなのか?」


「では逆に聞かせていただきたいと思います。皇帝が皇都を掌握した場合、今の皇国に防衛体制を構築することができると本当にお考えですか? 二年間という猶予があったにもかかわらず、内部抗争に明け暮れて皇都防衛の準備ができなかったのです。今回は更に酷い混乱に見舞われるでしょう。それでも謀略は不要だとお考えですか」


 私は声を荒げることなく、できる限り冷静な口調で詰め寄る。


「……無理だろう。だが、君なら何とかできるのではないか?」


 伯爵は苦悩の表情を見せているが、私に言わせれば覚悟が足りないとしか思えなかった。

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