第31話「覚悟:後編」

 統一暦一二〇八年十一月八日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、城主館。王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵


 リヒトロット皇国の守りの要、皇国水軍のイルミン・パルマー提督が暗殺され、水軍にも大きな被害が出たとマティアスから報告を受けた。


 そのあと、今後の方針について彼から提案があった。

 その提案には皇都で行う悪辣な謀略があり、私には認めることができなかった。


 マティアスはいつもの笑みを消し、私に決断を迫ってきた。女性的な優しい見た目に反して、私は彼の気迫に気圧される。


 私が謀略を認めたくないのは、武人としての矜持があるからだ。それに謀略に頼らずとも、彼なら何とかできるのではないかと思っている。


 今回のシュヴァーン河上流での作戦もそうだし、皇都での皇国上層部への対応もそうだが、私では思いつかないような策を見事に成功させている。そんな彼なら陰謀紛いのことをせずとも帝国軍を押し留めることができるはずだ。


 その思いを口にする。


「……君なら何とかできるのではないか?」


 私の問いにマティアスは小さく首を横に振り、「無理です」と即答した後、冷たい目で説明を始めた。


「今回の第二軍団との戦いを見ても分かる通り、圧倒的な戦力差を策で埋めることは非常に困難です。特に相手が有能である場合は。少なくとも局地的に敵を圧倒できる戦力を有する状況にしなければ、王国は二十年以内に消滅するでしょう。私には正面から堂々と戦ってこれを覆す策を考えることはできません。今の私にできることは、我が国が戦力を整える時間を一秒でも多く稼ぐために時間稼ぎを行うことだけなのです」


「だからと言って……」


 私が否定しようとすると、マティアスは遮り、衝撃的な言葉を叩きつけてきた。


「では、帝国に降伏しますか? 皇帝マクシミリアンは野心家ではありますが、統治者としては有能かつ公平です。これまで権力を得るためにいろいろと画策はしているようですが、少なくとも今の段階では私利私欲で動いてはいません。ですから、王国民にとっては帝国に呑み込まれた方が幸せかもしれません。それに王家の方々に一定の配慮をいただくという条件を付けても、合理的な彼なら認められる可能性は十分にあるでしょう」


 あり得ない言葉だった。

 多くの武人を輩出しているホイジンガー伯爵家に生まれた私に、降伏するという選択肢はない。そのため、怒りを爆発させた。


「私を馬鹿にしているのか! 国を守ることなく降伏するなど、王国貴族にあるまじき行為だ!」


「では、どうなさるのですか? 王国を守るという目的のためにどうすればよいか、具体策を提示いただきたい」


 更に彼の目は冷たくなっていた。恐らく私に対して怒りを覚えているのだろう。


「具体策は思いつかない。だが、陰謀によって時間を稼ぎ、王国を守り切ったとしても、君は胸を張ってそのことを言えるのか? 私には無理だ」


 マティアスは即座に頷いた。


「私は堂々と胸を張って言います。私が陰謀を行ったから、対応する時間を稼ぐことができ、君たち兵士が生き残れたのだと。逆に閣下にお尋ねしたい。閣下は帝国軍に敗れて死んでいく兵士たちにどのように説明するのですか? 自分のプライドを守るためになすべきことをなさなかったから、お前たちは死んでいくのだと胸を張って言えるのですか?」


「……」


 鋭い舌鋒に言葉が出ない。


「今回の謀略は自作自演に近いもので、可能な限り人的被害は抑えるように計画しています。もちろん、すべてを制御できるわけではありませんし、皇都の民が暴発して大きな暴動が起きた場合、多数の死者が出る可能性は否定しません。ですが、皇国の民にも責任はあるのです」


「民に責任だと……」


 思いもよらない言葉に絶句する。


「そうです。彼らにも皇国の指導者が無能であることは分かっていたはずです。本当に国を守りたいと思っているなら、自ら声を上げて内紛に明け暮れる重臣たちを糾弾し、勝利に導かせることもできたでしょう。より強権的な帝国であっても市民たちが声を上げ、皇帝が譲歩しているのですから」


 その危険な思想に更にたじろぐ。


「それは危険な考えではないか? 今の秩序を破壊してもよいという風に聞こえるぞ……」


「真に国を守りたいと平民たちが考えるなら、それは秩序の破壊を意味しません。破壊するなら、皇王を始めとした支配層を一掃すればよいのですから、帝国に協力するはずです」


「確かにその通りだが……」


「私は十年ほど前、グレーフェンベルク伯爵に王国軍は国民軍になるべきだと提案しました。そのために平民でも士官学校に入れば王国軍の将軍になれるということを示すべきだと」


 突然話が変わったことよりも、その内容に驚く。


「国民軍だと……」


「民衆が愛国心を持ち、国を守るために自ら立ち上がる軍隊にしなければ、既に国民軍となっている帝国軍に太刀打ちできないと説明しています。実際、旧態依然としたリヒトロット皇国軍は帝国軍になすすべもなく敗れていますが、レーヴェンガルト騎士長率いる義勇兵団は帝国軍の猛攻を跳ね返す活躍をしています。これは水軍も同じです。平民出身のパルマー提督が平民の水兵を指揮して帝国の侵攻を防いでいます」


「言わんとすることは分かるが……」


「ですが、皇国の指導者たちは平民たちの愛国心に胡坐をかき、内部抗争に明け暮れていました。平民たちもそろそろ愛想を尽かしているでしょうから、何もしなければ帝国の支配を受け入れるはずです。私の謀略は皇都の民にとっては迷惑極まりないものでしょう。私が手を出さなければ、皇帝も帝国軍も穏便にことを進めるでしょうから……」


 そこでマティアスは少し俯いた。罪の意識を感じているのかもしれない。


「私はグライフトゥルム王国を今の体制のまま守りたいと思っています。確かに皇帝は良い統治者であり、帝国の統治システムは王国のものより遥かによいものです。ですが、私は祖国を愛しています。その祖国を守るためなら、皇都の民を犠牲にすることは厭いません。もしグレーフェンベルク閣下がご存命なら、同じ決断をされたと思います」


「そうだな。クリストフは私と違って優秀だ。彼なら迷うことなく実行しただろう」


 マティアスは私の言葉を否定する。


「それは違います。閣下とグレーフェンベルク伯爵の差は覚悟の差です。グレーフェンベルク閣下はどのような汚名を着せられても、どれほど帝国民に恨まれようとも、国を守るのだという気概をお持ちでした。ですが、閣下は……」


 そこで彼の言いたいことが理解できた。


「そうだな。私は自らの矜持を守ることを考えている。もしこのことが露見したら、命じた私の名に傷が付くと思っていた。クリストフとの差は確かに覚悟の差だな」


「私は王国の民が国を愛し、自ら剣を持って戦場に赴くように画策しています。このことで多くの民が命を落とし、家族を失う悲しみを味わうことになると分かっていても……マルクトホーフェン侯爵を敵視するのも同じ考えからです……」


 突然マルクトホーフェン侯爵の話になったため驚く。


「自らの利益のみを追求する方が王国の重臣として権力を振るうことは、民の愛国心を失わせます。それを防ぐために、私はマルクトホーフェン侯爵を排除しようと動いているのです。それが結果として王国を守る最も有効な手ですから。ですので、侯爵が王国に直接不利益をもたらさないとしても、民衆の愛国心を低下させるのであれば、排除対象から外れることはありません」


 その言葉でようやく腑に落ちた。

 あの豪放なクリストフがマルクトホーフェン侯爵を執拗に敵視するのはなぜなのかと思っていたが、王国を守るためには民衆の熱狂的な支持が必要であり、それを邪魔する存在は徹底的に排除すべきと考えていたのだ。


「君が言いたいことは理解した。しかし君はなぜ私の許可を必要とするのだ? “叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”と関係が深い君なら、いちいち私の許可を取らずとも策を実行できるはずだが」


 常々疑問に思っていたことだ。

 私は王国騎士団長の地位にあり、情報部を含めたトップであることは間違いない。しかし、情報部は魔導師の塔“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の情報分析室とほぼ同じであり、私の許可がなくとも策は実行できる。


「指揮命令系統を無視するような行動は必ず組織に悪影響を与えます。それが目的を達成するために最も有効な方法であると分かっていても」


「言わんとすることは分からんでもないが……」


「上位者の承認が得られる状況で、その者に与えられた権限以上のことを行った場合は、成功しようが失敗しようが、それを認めるべきではありません。認めてしまえば、他の者も同じように自らの判断だけで行動を起こすようになるからです。そうなってしまえば、指揮命令系統などないも同然です。本来守るべき場所を守らず勝手に攻撃する。一斉攻撃を行うべき時に抜け駆けをする。このような軍隊がまともに戦えるわけがありませんから」


 ようやく理解できた。

 確かに司令官の命令を無視して独断専行で動く者ばかりでは、軍として成り立っていない。彼が作った教本にも、そのことはくどいほど書かれている。


「理解したよ。私はクリストフと違い頭が悪い。言いたくないことまで言わせたことを謝罪させてくれ」


 そう言って頭を下げた。

 今回マティアスが厳しい口調で私に迫ってきたのは、一度は覚悟を決めたと言っておきながら、それを蔑ろにしたからだ。


「頭をお上げください。では、皇都での謀略は認めていただけますか?」


「うむ。その前にその内容を詳しく聞かせてくれ。詳細まで知らずに承認はできん。それは指揮官の責任を放棄したと同じだからな」


 私の言葉にマティアスはニコリと微笑んだ。

 ここで何も聞かずに承認すれば、彼の目は冷たいままだったはずだ。


「分かりました。では詳細を説明いたします。まず……」


 それから十分ほど説明を聞いたが、驚きの連続だった。

 そして、この男はいつからこの謀略を考えていたのだと恐ろしくなった。


「よかろう。この件は進めてくれ。マルクトホーフェン侯爵と対決する必要があるなら、王都に出向くぞ。もちろん、その時は君にも来てもらうがな」


 マティアスが驚いて目を見開いている。


「よろしいのですか?」


「構わん。どうせ第二軍団がいる限り我ら王国騎士団は動けぬのだ。ここはルートヴィヒかコンラートに任せても問題ない。いざとなれば、王都からも通信の魔導具で指示は出せるのだからな」


「ありがとうございます」


 マティアスは大きく頭を下げた。

 その翌日、私はマティアスと少数の護衛を引き連れ、船で王都に向かった。

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