第32話「御前会議に向けて」
統一暦一二〇八年十一月十三日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
日が沈む頃、王都に入った。
王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵とは貴族街に入ったところで別れ、八月以来三ヶ月ぶりに屋敷に戻る。
玄関に入ると、妻のイリスが飛びつくように抱き着いてきた。
「お帰りなさい……」
「ただいま。無事に戻ったよ」
そう言いながら抱きしめる。
「あなたに会えないのが、こんなに辛いことだとは思わなかったわ……」
「私もそうだよ。だけど、みんなも待っている。中に入ろう」
そう言って肩を抱きながら屋敷の中に入っていった。
リビングに入った頃には、イリスも落ち着きを取り戻していた。
「あなたが戻ってきたということは、皇都を諦めるということね」
「そうだね。パルマー提督が暗殺されて水軍が敗れたから、皇国の上層部は完全に腰が引けている。それに帝国の諜報局は思った以上に優秀だった。情報部も頑張ってくれているけど、皇国の上層部の混乱が収まらない限り、皇都を明け渡すのは時間の問題だろうね。今の段階で我々にできることはないということだ」
皇国水軍の指揮官イルミン・パルマー提督が暗殺されたことで、皇王テオドール九世を始めとするリヒトロット皇国の指導者たちは混乱していた。
御前会議の場で暗殺が行われたという衝撃もあるが、帝国諜報局の工作員が提督を暗殺したのは和平派である宰相アドルフ・クノールシャイト公爵だという噂を流したため、それに踊らされていることも混乱の原因になっている。
帝国が最大の障害であるパルマー提督を暗殺したことは自明なのだが、諜報局が大量の情報を断片的に流しているらしく、凡庸な皇国の上層部は情報過多のため、何を信じていいのか分からない状況に陥っているらしい。
こんな状況では皇都防衛の最高司令官であるエマニュエル・マイヘルベック将軍も打つ手はなく、年内にも皇都を引き渡して西部に撤退するのではないかという報告が上がってきている。
「こちらでもマルクトホーフェン侯爵がいろいろと動いているわ。密かにヴィージンガーが王都に戻ってきたようだし、他にも子飼いの貴族を王都の屋敷に入れているらしいわ」
エルンスト・フォン・ヴィージンガーは二年前、黒獣猟兵団に対する嫌がらせで独断専行し、王都からの追放処分を受けている。この追放は無期限だが、処分したのは侯爵であり、彼が認めれば王都に戻ってきても何ら問題はない。
「アイスナー男爵……いや、元男爵のコルネール・フォン・アイスナー殿が王都に戻ったという情報は?」
コルネール・フォン・アイスナーも二年前の事件で王都から追放になった。領都マルクトホーフェンに戻り、家督を嫡男に譲って隠居したという話になっているが、その後の情報があまり入っていない。
「戻っていないようね。念のために調べさせたけど、侯爵のミヒャエルとの関係は修復できていないらしいわ。今は先代の侯爵ルドルフのところでグレゴリウス殿下の教育係になっているという噂があるそうよ」
「彼がいないのは助かるけど、グレゴリウス殿下の教育係というのは危険な気がするね……とりあえず、そのことは置いておくとして、子飼いの貴族の情報は集まっているかな?」
「ええ。子爵家と男爵家の嫡男を中心に側近として五人ほどいるみたいね。今のところ注目すべき人物がいないというのが情報分析室の見立てよ」
「それは助かるね。といってもヴィージンガー殿がアイスナー殿の指導を受けて戻ってきたのなら、少々厄介だけど」
ヴィージンガーは王立学院高等部を首席で卒業した秀才だが、そのことを鼻にかけ、根回しや調整など泥臭い仕事を軽視していた。
一方のアイスナーは数十年に渡って、マルクトホーフェン侯爵家を支えてきた人物だ。もし彼がいなければ、先代のルドルフがあれほど力を持つことはなかったと言われているほど優秀で、そのノウハウをヴィージンガーが得ているなら脅威となり得る。
「それに関する情報はないわ。マルクトホーフェン侯爵家には“
“
優秀な間者である“
「慎重に対応してくれて助かるよ」
「今回戻ってきたのはマルクトホーフェン侯爵に釘を刺すためかしら?」
「その通り。明日の午前中にはホイジンガー閣下が御前会議を招集するように宮廷書記官長であるマルクトホーフェン侯爵に提案するから、最短で午後には御前会議が開かれる。その場で皇国への対応を話し合うことになるけど、恐らく侯爵は王国騎士団の不手際を責めてくるはず。それを逆手に取ろうと思っているよ」
マルクトホーフェン侯爵は王国騎士団一万五千が三ヶ月前に出陣したにもかかわらず、皇国救援に向かわないことを非難しているらしい。
「侯爵は参謀本部を潰しに掛かるつもりよ。オーレンドルフ伯爵が教えてくださったわ」
ユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵は私の直属の上司に当たる総参謀長だ。元は財務官僚ということで、前線に出ることなく王都に残っており、マルクトホーフェン侯爵の動向に注意を払うよう頼んであった。
翌日の午前、ホイジンガー伯爵、軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵、軍務次官のカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵、総参謀長のオーレンドルフ伯爵と午後の御前会議への対応について話し合う。
「午後三時から御前会議が開かれることになった。マティアスの出席も認められたが、マルクトホーフェンが渋らなかった点が気になっている」
ホイジンガー伯爵が口火を切る。
グライフトゥルム王国の御前会議は、国王、宰相、宮廷書記官長、王国騎士団長、軍務卿が主要なメンバーで、五侯爵家の当主は常時参加が認められている。
この他にはその日の議題に必要と認められた者がオブザーバーとして参加できる。
今回は総参謀長と私が皇国救援作戦の立案者ということで参加するが、マルクトホーフェン侯爵が私の参加に異議を唱えるのではないかと考えていた。
「本格的に私を潰しに掛かってきたようですね」
私の言葉に義父であるエッフェンベルク伯爵が不安げな表情で聞いてきた。
「侯爵は勝算があると考えているということか。どのような切り口で君を貶めるつもりなのだろうか?」
「一番考えられるのは皇都救援作戦が失敗に終わったことでしょう。参謀本部の設立時に総参謀長にという声があったにもかかわらず、全く役に立たなかった。総参謀長に代わって実質的には私が作戦を立案していることは明白ですから、若輩者が重職に就いていることが問題だという感じで貶めてくるはずです」
「なるほど。ラウシェンバッハ騎士団のことはどうだろうか? 獣人族が君個人に忠誠を誓っていることが危険だと主張される可能性があると思うが」
「無きにしも非ずという感じですね。今回の後方撹乱作戦でラウシェンバッハ騎士団の優秀さは際立っています。正確な情報は帝国への漏洩を考慮して流していませんが、帝国第二軍団を翻弄していることは商人たちが噂として伝えていますし、それだけの戦闘集団が一個人に対して絶対の忠誠を誓っていることは危険だと主張してくる可能性はあります」
獣人族の私に対する忠誠はヴィントムントの商人を通じて広まっている。これについては積極的に広めたわけではないが、獣人族が外部の人間と接触すればいずれ広まると思っていた。
「大丈夫なのかね」
オーレンドルフ伯爵が心配そうな表情で聞いてきた。
「問題はありません。領民が領主に忠誠を誓うことを禁じ、国王にのみ忠誠を誓うということであれば、現在の封建制を否定することになります。もしマルクトホーフェン侯爵がそのような話を持ち出してきたら、逆にそれでよいのかと問い返せば、答えられないはずですので」
封建制度では、領主である貴族は国王から領有統治権を保証してもらう代わりに、納税や軍事的行動で貢献する。その貴族から領民を奪うのであれば、封建制度は成立せず、王国の支配体制を否定することになるから、侯爵がその話を切り出してくる可能性は低い。
「なるほど。ならば、今回の皇国救援の失敗が主な攻撃材料になるということだな。それで軍務卿である私はどうすればよい?」
レベンスブルク侯爵がやる気に満ちた顔で聞いてきた。仇敵であるマルクトホーフェン侯爵との対決に気合が入っている感じだ。
「閣下には今後の王国軍強化の提案をお願いしたいと考えています。計画の骨子はこちらになります」
そう言って用意しておいたメモを渡す。
「具体的にはシュヴァーン河に配備する水軍の増強とレベンスブルク騎士団の創設及びレベンスブルク城の補強です」
「水軍の増強は分かる。今回の作戦で有用性は明らかになったし、ヴェヒターミュンデ城に水軍を配備すれば、シュヴァーン河の防衛力を強化することになるからだ。だが、城の補強はともかく、騎士団の創設となると我が侯爵家では賄いきれんぞ」
レベンスブルク侯爵家は子爵家程度の領地しかなく、領都レベンスブルクも帝国の侵攻で
「レベンスブルク騎士団といっても領主軍ではなく、ヴェヒターミュンデ騎士団と同じく王国騎士団所属とすればよいのです。レベンスブルクはヴェヒターミュンデ城の後詰となる城ですから、万が一ヴェヒターミュンデ城を帝国に奪われた場合の防衛ラインとして重要です。それでも渋るようでしたら、マルクトホーフェン侯爵家がレベンスブルク侯爵家から奪った領地を返還するように要求されればよいでしょう」
レベンスブルクはヴェヒターミュンデ城と商都ヴィントムント市の中間にある。ここに数千の軍を駐留できれば、ヴェヒターミュンデへの救援も容易だ。
また、レベンスブルクはかつて人口一万人を誇ったが、現在は三千人程度まで減少しており、数千の軍が駐留すれば、それだけでも潤う。
「それはいいな。マルクトホーフェンに対する嫌がらせになる」
そう言って好戦的な笑みを見せた。
「今回はマルクトホーフェン侯爵を追い詰めすぎないようにお願いします。我々の目的は王国の防衛です。侯爵がそれに協力するのであれば、荒立てる必要はありませんので」
レベンスブルク侯爵とマルクトホーフェン侯爵の確執は先代から続いており、思っている以上に根が深い。そのため、釘を刺しておく。
「分かっている。私も王国貴族としての矜持があるからな」
こうして御前会議の方針が決まった。
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