第七章:「帝国混乱編」
第1話「情報網構築」
統一暦一二〇四年六月七日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、マルティン・ネッツァー邸。ライナルト・モーリス
マティアス様の結婚式に出席した翌日の朝、
理由は聞いていないが、ネッツァー氏からの呼び出しであり、最優先で彼の屋敷に向かう。
屋敷に入ると、すぐに応接室に通された。
「久しいの、ライナルト」
そこには大賢者マグダ様がいらっしゃった。
慌てて平伏する。
「大賢者様におかれましてはご機嫌麗しく……」
私にとって大賢者様は、グライフトゥルム王国の国王やゾルダート帝国の皇帝以上に緊張する相手だ。我が商会の利益の大半が
「よいよい。早う座れ」
大賢者様と直接言葉を交わすのはこれで三度目だ。
最初の時は緊張して何を話したか覚えておらず、ネッツァー氏にマティアス様を紹介してもらった記憶の方が強い。
二度目は三年ほど前の一二〇一年の七月で、マティアス様から依頼されたレヒト法国での情報操作が成功し、反乱が起きたことに対して、大賢者様から直々にお褒めの言葉をいただいた。
その時も緊張していたが、上機嫌でよくやったと褒めてくださったことは、強く記憶に残っている。
今日もご機嫌はよいらしく、面倒な挨拶抜きのようだが、すぐに対面のソファーに座る勇気がない。
「君も
ネッツァー氏がからかうような口調でそう言ってくるので仕方なく、大賢者様の前に座る。
「坊から……すでに結婚もしたし、もう坊ではないの……マティアスから聞いたのじゃが、いろいろと骨を折ってくれておるそうじゃな。帝都への荷止めにも協力してくれていると聞いておる。マティアスも褒美を渡さねばならんと申しておるが、儂も同感じゃ。何か望みはあるかの。できることとできぬことがあるが、可能であれば聞くことはできるぞ」
大賢者様から褒美と言われて困惑する。
そもそもマティアス様のお知恵と
「今いただいている情報だけでも充分な報酬となっております。これ以上求めることは強欲に過ぎると考えます」
「マティアスの言う通りじゃ、そなたは商人にしては欲がなさすぎる。あの者も言っておったと思うが、商人は適度な利益を得なければならん。そなたの部下のためにも望みを言うてみよ」
そう言われても本当に困る。困っているとネッツァー氏が助け舟を出してくれた。
「モーリス殿に問うても答えは出ないのではありませんか?」
「うむ。ではあれしかないかの」
大賢者様はそう言ってネッツァー氏に頷く。
ネッツァー氏は大賢者様に頷き返し、私に説明を始めた。
「我々が考えた案だが、モーリス殿に長距離用の通信の魔導具を貸し与えるというものだ。無論、操作と管理のための要員はこちらから出すが、商売に使えば大きな武器になるはずだ」
通信の魔導具は
但し、
噂では
そのことが顔に出たのか、ネッツァー氏がニコリと微笑んで話し始めた。
「これは極秘の情報なのだが、我が塔の通信の魔導具は千キロメートル以上離れていても通話が可能なのだ。実際には座標が固定できるなら、どれだけの距離でも繋ぐことはできる……」
「どれだけ離れていても……ですか……」
それだけ言うので精一杯だった。
「その通り。仮に千キロなら、早馬を使っても情報が届くのは最短でも半月。それだけの距離を瞬時で繋ぐことができる。君ならこれの有用性は理解できるはずだ」
ネッツァー氏の言っていることは充分に理解している。遠く離れた場所の状況が分かれば、膨大な利益を得ることができるし、売却時のリスクも下げることができるからだ。
遠方との取引は、仕入れ時の予想と実際の売値が乖離するリスクが高いため、事前の契約通りに支払ってくれる相手としか基本的には行わない。それでも突発的な事態によって大赤字になることがある。
しかし、取引時に仕入れ値が確定していれば、そのリスクはなくなる。
例えば、帝国政府が帝都ヘルシャーホルストで小麦が必要だと言ってきた場合、本店があるヴィントムント市から送ることになる。ヴィントムントと帝都は海路で二千キロメートル以上離れており、片道でも一ヶ月近く掛かる。
この場合、一トン当たり二千マルク(日本円で二十万円)で契約したとして、ヴィントムントでの小麦の価格が通常の一千マルクから、何らかの原因で倍に高騰していた場合、輸送コストがすべて損失になり、大きな赤字になってしまう。
しかし、契約時のタイミングで小麦の値段が高騰していることが分かっていれば、二千マルクではなく、もっと高い金額で交渉することができるし、逆に安いのであれば、その時点で必要量を抑えてしまえば、利益を確保することができる。
他の商会はそのリスクを恐れて価格を高く設定するか、取引自体を行わない。しかし、情報を得ることができるのであれば、確実に儲けられる価格を設定しつつ、ライバルを蹴落として受注することが可能だ。
「おっしゃることは理解しますが、私どもに有利になりすぎます。それにそれだけ高価なものを借りて、何かあったら責任が取れません」
「これは我々にもメリットがあることなのだよ。例えば、帝都にある君の商会の支店に魔導具を設置できれば、ほぼ時間差なしで帝都の動向を知ることができる。それに君の商会は大陸の各地に支店を持っている。つまり、上手く運用できれば、世界中の情報を瞬時に知ることができるようになるのだ」
言わんとすることは理解できるが、疑問があった。
「
「我々がそれをやると非常に目立つ。何のためにそんなことをしているのかと、特に帝国などは気にするはずだ。それに
「なるほど」
ネッツァー氏の言っていることは何となく理解できた。
「それにこれはマティアス君が提案したことなんだ。単に利益になる情報を渡すより、情報を使う手段を与えた方がモーリス商会にとって利益があると。他にも魔導具の操作と警護のために
「マティアス様が……」
マティアス様が私のことをそこまで気にかけてくれていることに感謝の念が湧く。
大賢者様が大きく頷かれた。
「マティアスとも話したのじゃが、これから帝都は特に目が離せぬ。情報が瞬時に手に入ることは我らにとっても有益じゃ。それに協力してくれるなら、そなたの商会が自身のために使っても我らは何も言わぬ。両者ともに利益があることじゃからの」
大賢者様にそこまで言われたら、引き受けるしかない。
「承知いたしました。我が商会の支店に設置していただき、我々も利用させていただきます」
大賢者様は大きく頷かれたが、別の話を始められた。
「うむ。今思い出したのじゃが、そなたには子供がおったの」
突然話が変わり困惑する。
「はい。娘と息子が二人ずつおりますが、それが何か」
私には十三歳の長女パウラ、十一歳の長男フレディ、九歳の次男ダニエル、もうすぐ七歳になる次女ティルアの四人の子供がいる。
しかし、子供が何に関係するのか話が見えない。
「子をマティアスに預けぬか。あの者は指導者としても優秀じゃ。モーリス商会を継ぐ者にせよ、別の道を歩ませるにせよ、あの者に預ければよい結果となると思うがの」
確かにマティアス様は指導者としても優秀だ。
ハルトムート・イスターツ殿は高等部に入学時はギリギリの成績だったが、マティアス様と出会ったことで、席次第三位で卒業している。
他にも同期生である一二〇〇年入学組、いわゆる“
「非常にありがたいことですが、マティアス様にご迷惑をお掛けすることになるので、私からお願いすることはできません」
マティアス様はお忙しい方だ。
学院の助教授という仕事を持ちながら、
私の子供のことで手を煩わせることは避けたいというのが正直な思いだ。
「その心配は無用じゃ。マティアスは人に教えることで、自らの理解を高めておる。つまり、その方の子に教えることで、あの者の仕事が捗るようになる可能性が高いのじゃ」
「そのようなものなのでしょうか……」
「それにマティアスの考えを理解できる者はイリスたちしかおらぬ。あの者の考えを理解し、繋いでいく若い世代の者が必要なのじゃ。じゃが、あの者の考えを理解するには若いうちから接しておく必要がある。儂から是非に頼みたいと思っておるのじゃ」
大賢者様はそうおっしゃると頭を下げられた。その行為に私は慌てた。
「頭をお上げください!」
「ならば、その方の子を預けるということでよいな。誰にするかは後でもよいが、決めておきたいのじゃ」
私は頷くことしかできなかった。
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