第9話「河上の訓練」

 統一暦一二〇八年八月二十三日。

 グライフトゥルム王国南東部リッタートゥルム城。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 夜襲作戦を終え、午前四時過ぎにリッタートゥルム城に帰還した。

 夜明けまでにはまだ二時間ほどあり、まだ真っ暗だ。


 ガレー船を降りたところで整列しているシュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペに声を掛けた。


「先ほど隊長のリアにも言ったが、今回の作戦は見事だった。諸君らの努力が結実したものだと思っている。明日まで出撃の予定はないから、本日はゆっくりと休んでくれ。では、解散」


 私の言葉に右手を左胸に当てる敬礼で応えると、彼らに与えられた兵舎に入っていく。


「やはり黒獣猟兵団は一味違いますね」


 弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵が話し掛けてきた。


闇の監視者シャッテンヴァッヘの里で訓練を行ったからだろうね。ファルコたちもそうだけど、時々シャッテンを彷彿とさせる時があるから」


 第二期の黒獣猟兵団員は王国北部にある闇の監視者シャッテンヴァッヘの“里”と呼ばれる訓練施設で半年間厳しい訓練を行っていた。


 聞いた話では身体能力の強化と武術を学び、更に才能のある者は暗殺術も学んでいる。

 リア・ヴィルトカッツェ率いる斥候隊は、全員が暗殺術を学んでおり、今回の任務ではその力を存分に発揮した。


「ラウシェンバッハ騎士団の者たちも学ばせますか? 一度には無理ですが、五百名ずつであれば可能ですが」


 シャッテンのカルラがそう言ってきた。彼女は闇の監視者シャッテンヴァッヘの“一の組アイン”の組頭にして、すべてのシャッテンのトップでもある。


「それはやめておきます」


「なぜでしょうか? 戦力の増強というだけでなく、彼らの生存確率を上げることにも繋がりますが」


「暗殺術を安易に広めることは危険です。今の彼らなら悪用することはないでしょうが、獣人族にも心の弱い者はいますし、私が死んだ後、忠誠の対象が居なくなった時に、どうなるか不安が残ります。黒獣猟兵団員には学ばせるつもりですが、選考基準を厳格にして、暗殺術が安易に広まらないように管理を徹底するつもりです」


 私の答えにカルラは小さく頷いた。

 恐らく私が安易に応じたら窘めるつもりだったのだろう。


「確かにマティの言う通りだな。武術家として強いだけなら尊敬の対象だが、暗殺術を使うとなると、一般の者は警戒するだろうし、嫌悪感も抱くはずだ。獣人たちが王国でも差別の対象にならないように徹底すべきだと思う」


 ハルトムートの言葉に私も頷いた。


 城に入ったところで、城代のオイゲン・フォン・グライリッヒ男爵が出迎えてくれる。


「見事な勝利と聞きましたぞ」


 満面の笑みで迎えられたが、わざわざ出迎えるような時間でもない。


「何かありましたか?」


 そこで私だけに聞こえるよう、小声で話し始めた。


「マティアス殿が出発されてから、王都から連絡が入りました。帝国軍の第三軍団がエーデルシュタインに到着したそうです」


 既に一昨日に第一軍団が、昨日第二軍団が到着しており、予定通りだ。


「やはり遅れなかったようですね。さすがは帝国軍です。一日くらい遅れると思ったのですが……」


 第三軍団は三年前のヴェヒターミュンデの戦いで捕虜になった兵士が多く、規律が緩んでいた軍団だった。しかし、カール・ハインツ・ガリアード元帥が軍団長に就任してから、厳しい訓練が行われ、堕落化作戦は無効化された。


 もっとも賭博に関しては帝国軍内で流行っており、完全な失敗ではないが、戦闘力を奪うという観点では見事に失敗していた。


「想定通りです。レベンスブルク侯爵閣下から何か指示がありましたか?」


 実戦部隊のトップ、王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵は王都を出発しており、軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵が王都で軍事を司っている。


「特にはないのですが、こちらのことを気にしておられるようです。一応、順調と答えておりますが」


「それなら問題ないでしょうが、私の方からエッフェンベルク伯爵に連絡を入れておきましょう」


 それだけ言うと、少し声を大きくする。


「今日は午後からラウシェンバッハ騎士団の訓練があります。オイゲン殿も一緒にご覧になられますか?」


「どのようなことをされるのか興味があります。是非ともご一緒させていただきたい。では後ほど」


 そう言って離れていった。


「何かあったのか?」


 ハルトムートが小声で聞いてきた。


「帝国軍が予定通りに到着したという報告だけだよ。まあ、こっちが順調なのかレベンスブルク閣下が気にしておられるらしいけどね」


「第三軍団も練度が戻っているということか……」


 彼にも堕落化作戦のことは話してあるので、失敗したことが惜しいと思っているようだ。


「まあ二年半もあったから仕方がないよ。まだ仕込みは効いていると思うから、皇都陥落後に利用させてもらうつもりだけどね」


 それから五時間ほど仮眠し、午前十時頃に目覚める。

 ガレー船の中でも仮眠を摂っていたので、眠気はそれほど強くない。


 朝食兼昼食を摂った後、ヘルマンと今日の訓練について話し合う。

 その場にはハルトムートとルーフェン・フォン・キルマイヤー男爵、参謀のフリッツ・ヒラーもおり、話し合いに参加する。


「ラウシェンバッハ騎士団にやってもらいたいことは、それほど難しいことじゃない。シュヴァーン河の対岸の崖を登って上陸する訓練だ」


 シュヴァーン河のリッタートゥルムより上流では、両岸が切り立った崖になっており、大人数で上陸できるのは入り江のようになった限られた場所だ。


 しかし、獣人族の身体能力なら川岸ギリギリまで船を寄せれば、上陸することが可能ではないかと思っていた。


「装備を付けたまま、あの崖を登るのですか? 確かに彼らならできないことはないでしょうけど、目的は何でしょうか?」


 ヘルマンが質問してきた。


「どこからでも上陸できると帝国軍に教えてやるんだよ。いろいろなところに痕跡が残っていたら、どれだけの数の兵士が潜入したか分からないだろうし、今後ラズの連隊を渡河させる際にもカモフラージュに使えるから」


 今までの常識ではシュヴァーン河はまさに天然の堀であり、限られた場所だけを見張っていればよかった。


 しかし、獣人族のように強力な身体能力を持つ兵士で構成された部隊であれば、今まで警戒していた場所だけでは足りず、背後に回り込まれる可能性が出てくることになる。


 そうなれば、哨戒部隊を頻繁に送り出さなければならないし、機動力の高い船に負けないように戦力を分散して配置しておかなくては対処できないと考えるだろう。


 それだけでも帝国軍に大きな負担を掛けることができるし、更にいろいろな場所に渡河した痕跡があれば、知将エルレバッハ元帥でも兵力をどう配置していいのか迷うはずだ。


「意図は理解しました。今日はどのくらいの時間で、大隊が上陸できるのかを見るということですね」


「その通り。そして、もう一つ目的があるんだ」


「それは何でしょうか?」


「ラズの連隊が不測の事態に陥った時に緊急で撤退するルートを確保しておきたい。ラウシェンバッハ騎士団に上陸してもらい、ロープを設置しておけば、一般の兵士でも降りることはできるはずだ。どこからでも撤退できればそれだけ安全になるから、それを確認したいんだ」


 一個連隊で三十倍の数の一個軍団を翻弄しようとすれば、どこかで無理が生じる。一応、通信の魔導具とシャッテンによる早期警戒網で、追い詰められるような事態に陥らないようにするつもりだが、予定していた撤退ポイントに辿り着けないこともあり得る。


 その場合の撤退方法が今までは思いつかなかったが、ラウシェンバッハ騎士団の獣人たちがサポートできるなら、撤退作戦の成功率は大きく上がる。


「ということは、カッターボートを使うということか?」


 ハルトムートが聞いてきた。


「そうなるね。ガレー船では接舷できる場所が限られるし、小回りの利くカッターボートの方がこの作戦にはあっているから」


 話し合いが終わり、その日の午後に上陸訓練が行われた。

 訓練が行われるのはリッタートゥルム城に近い王国側の崖だ。高さは二十メートル以上あり、ボートで近づくと首が痛くなるほど見上げないといけないほどだ。


 そんな崖を狼人ヴォルフ族や犬人フント族は完全装備でも軽々と登っていく。命綱もなしのロッククライミングだが、誰一人落下することはなかった。

 彼らが登り切ったところで、ロープが垂らされる。


 そのロープを使い、身体の大きな熊人ベーア族や猛牛シュティーア族が力強く登っていった。


「凄いものだな。防具だけでも二十キログラム以上あるはずなのに」


 私が上を見上げて独り言を言っていると、ヘルマンが声を掛けてきた。


「私も行ってきます。団長が船に残っていては示しがつきませんから」


 既に完全装備になっており、参加する気が満々のようだ。


「無理はするなよ。お前が現地に行かなくても、大隊長のカイに指揮を任せても問題ないんだからな」


 私の言葉を聞きながらもヘルマンはロープを掴んだ。


「では行ってきます」


 それだけいうと、ロープを巧みに使い、崖を登っていく。弟もラザファムのところで子供の頃から東方系武術を学んでおり、三倍程度までなら身体強化が使える。

 危なげなく登り切ると、今度はロープを滑るようにして降りてきた。


「私でも簡単にできましたから、ロープさえ使えれば、三百人でも十分程度で登り切れます。武器さえ捨てれば、第二騎士団の兵士でもロープを使って撤退することはできると思いますよ」


「それはよかった。それにしてもヘルマンも鍛えているんだな」


「ええ。足手まといになるのは嫌ですからね」


 そんな話をした後、別の場所でも確認したが、大きな問題がないことが分かった。

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