第8話「月夜の襲撃」

 統一暦一二〇八年八月二十二日。

 ゾルダート帝国南西部シュヴァーン河流域。黒獣猟兵団リア・ヴィルトカッツェ。


 あたしは山猫ヴィルトカッツェ族のリア。

 シュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペ斥候隊のリーダーだ。


 あたしたちはさっき、帝国の国境警備隊に奇襲を掛けた。

 まだ午後八時頃ということで、完全に眠っている兵士は少なかったが、篝火と灯りの魔導具が照らすだけの闇の中では、連携して抵抗することができず、あっさりと全滅させることができた。


 その際、兵舎の寝台の下に隠れていた二人の兵士をあえて見逃している。

 それもこちらがわざと逃がしたと思われないように偽装も行っていた。


『一人も生かしておくな! 我々ラウシェンバッハ騎士団が渡河したことを知られるわけにはいかないからね!』


 それに対して、部下の一人がぼやくように命じてあった。


『こんなに血の匂いが充満していたら、鼻が利きませんぜ』


『つべこべ言うな! すぐに騎士団の本隊に合流しなきゃいけないんだ! 手早く探せ!』


 このやり取りはマティアス様から命じられたことだ。

 生き残りの兵士がラウシェンバッハ騎士団に襲われたことと、既に本隊が渡河したことを伝えさせるためらしい。


 十分ほど捜索したように見せた後、移動を開始した。

 森の中に十分入ったところで、マティアス様に報告を行った。

 カルラ様から返信があり、作戦の第二段階への移行が告げられた。


『第二段階に移行せよとのご命令です。マティアス様よりあなたたちの働きに満足しているというお言葉をいただきました。次の任務も励むように。以上』


 マティアス様が満足されていると聞き、歓喜の声を上げそうになるが、あたしたち黒獣猟兵団は感情を見せないように“里”で叩き込まれているから、声は上げない。


 部下たちにもマティアス様のお言葉を伝えたが、表情を明るくする者はいたものの、声を上げるような無様な奴は一人もいなかった。


「次の標的に向かう! 出発!」


 街道に痕跡を残さないため、森の中を進む。

 深い森ではないが、それなりに走りにくい。

 あたしを含め、身軽な猫人カッツェ族や兎人ハーゼ族が多いが、さすがにスピードが出せない。


 それでも一時間ほどで次の目的地である小さな開拓村に到着した。

 開拓村と言っても二十軒ほどの小さな小屋があるだけの集落だ。その集落の街道側の五十メートルほどの場所に国境警備隊の駐屯地がある。


 駐屯地には兵舎が二つと厩舎が一つあるだけで柵すらない。

 兵舎の前で兵士が二人、あくびをしながら不寝番をしているが、緊張感の欠片もなかった。


「俺たちが来ていることは知っていると思うんだが、気を緩め過ぎだろう」


 部下の一人がそんなことを呟いている。

 あたしも全く同感だ。

 しかし、マティアス様がおっしゃったことを思い出した。


『国境警備隊は正規軍団の兵士ほど練度は高くない。だから、最初から逃げ出そうとする者も少なからずいると思う。その前提で戦ってほしい』


 最初に襲撃したリッタートゥルム城の対岸の駐屯地の兵士ですら、緊張感に乏しかったので、二十キロも離れたここでは更に気を緩めていてもおかしくはない。


「村に逃げ込ませると面倒だ。一気に決めるよ」


 小声でそう指示を出すと、部下たちも頷いている。

 この村の建物の配置は事前に調べられており、配置は決まっていた。それに従って部下たちが静かに移動していく。


 五分ほど経つと、灯りの魔導具の小さな光が点滅し、準備完了を知らせてきた。


「作戦開始する」


 あたしがそう言うと、部下が灯りの魔導具で合図を送った。

 作戦を開始したものの物音は全くしない。猫人カッツェ族は本物の猫より静かに歩くことができるためだ。


 兵舎にあと十メートルというところまで近づいた。

 不寝番の二人はまだこちらには気づいておらず、二人で話をしている。


『……冬になる前に引き上げ命令が来てくれるといいんだがな……』


『……第二軍団がこっちに来たら、俺たちはお役御免だろう。早く来てくれればいいのに……』


 そこで二人の言葉が途切れた。

 彼らの後ろには二人の猟兵団員がおり、同時に首を掻き切っていたのだ。


「第二班と第四班は右の兵舎、第三班と第五班は左の兵舎に突入せよ。第一班は逃げ出した敵兵を始末する。今回は一人も生かしておくな」


 あたしの命令で漆黒の兵士が兵舎に入っていく。

 僅かにガタガタという物音とくぐもった悲鳴が聞こえてくるが、一分ほどは何が起きているのか分からないほど静かだった。


「敵襲!」


「助けてくれ!」


 さすがに全く気付かれずに百人の兵士を殺すことはできなかった。

 剣を持った敵兵が木窓から転げ落ちるように出てきた。


「行け!」


 あたしは部下の一人に短く命じる。

 すぐに部下は走り出し、その敵兵に近づくと、無言で袈裟懸けに斬り裂く。


「敵が!……グハッ!」


 断末魔を上げて敵兵が倒れる。

 村の方では犬が異変に気付き、吠え始めた。


「何をやっているんだい。声を上げさせずに殺せと言ってあったのに……」


 思わず愚痴が零れる。

 こういった作戦では敵にこちらの存在を気づかせないことが重要だ。そのため、できるだけ喉を切り裂いて殺すのだが、部下はそのことを失念したようだ。


「バラバラに戦うな! 仲間同士で背中を守り合え!」


 指揮官か冷静なベテランがいたらしく、割と的確な命令を出していた。

 それでも敵兵の声は徐々に少なくなり、十分ほどで完全に沈黙する。


「右の兵舎の掃討完了。敵兵四十八名を処分。脱出者なし」


「左も同じだ。五十一人殺した」


 すぐに報告が上がってきた。事前に得ていた情報通りの数に安堵する。


「村に行くよ。第一班は付いてきな」


 一応数は合っているが、村に入り込んでいる敵兵がいないとも限らないためだが、無理に探すつもりはない。


 村の入り口で止まった。


「我々はグライフトゥルム王国のラウシェンバッハ騎士団の者だ! 抵抗しなければ、何もしない! 帝国軍兵士がいるなら引き渡してくれ!」


 そこで村長らしき六十歳くらいの男が松明を片手に近づいてきた。


「ここに兵士はおりません。どうか命だけは……」


 そう言って膝を突いて懇願する。


「もう一度言う。我々はグライフトゥルム王国のラウシェンバッハ騎士団だ。我が主、マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵閣下より、帝国軍の国境警備隊を排除するよう命じられた。また、閣下より無辜の民を害することは固く禁じられている。抵抗しなければ、何もせずにこのまま立ち去るから安心していい」


「ラウシェンバッハ騎士団……分かりました。儂らは何もしませんので……」


 ラウシェンバッハ騎士団と聞いてもピンとこなかったのだろうが、大人しくしていれば問題ないと思ったのか、安堵の表情を見せている。


「手間を掛けさせるが、帝国軍の兵士の遺体を埋葬してほしい。その迷惑料だ」


 そう言って金貨が入った革袋を村長の前に投げる。

 中身は百マルク金貨二十枚で、落ちた瞬間にガシャンという思い音が響いた。


「では我々は立ち去るが、どこに向かったか詮索はするな。あとを付けてきた者は殺すからな」


 そう言ってその場を立ち去る。


 マティアス様のご命令だが、二千マルク(日本円で約二十万円)もの金を与える必要があるのかと疑問を持っていた。もちろん、あの方のやることに意味がないわけはないので、何も言わないが。


 その後、部下たちが全員無傷であることを確認し、報告を行った。


「第二段階作戦終了。敵兵百一名を殲滅。戦死者及び負傷者なし。村長らしき人物にラウシェンバッハ騎士団であることを告げ、金貨を渡しました。以上」


 すぐにカルラ様から了解が伝えられた後、マティアス様が直接話してくださった。


『よくやってくれたね。君たちは私の誇りだ。だが、まだ任務が残っている。最後も気を抜かずに任務に当たってほしい。以上だ』


 その言葉に胸が熱くなるが、冷静さを保って返信する。


「了解しました。最後の任務も気を抜くことなく当たります。では第三段階に移行いたします。以上」


 その後、最後の駐屯地に夜襲を掛け、一人の負傷者を出すことなく、殲滅に成功した。


 報告を終えると、すぐに合流地点に向かう。

 シュヴァーン河の川岸の崖を降りていくと、二隻のガレー船が待っていた。


 船に乗り込むと、マティアス様が待っておられた。


「作戦を完了しました。戦死者及び負傷者はゼロ。敵兵も計画通り、二名のみ逃がし、その他はすべて殺しております」


「よくやってくれた。君たちの能力は疑っていなかったが、ここまで完璧にやれたことは瞠目に値する。見事だった!」


 直接お言葉をいただき感動するが、一緒に船に乗った部下と共に無言で敬礼する。


「リッタートゥルムに戻ったらゆっくり休んでもらうつもりだが、私は船室に入るからここでも寛いでくれたらいい。これは命令だからね」


 そうおっしゃるとニコリと微笑まれ、船室に向かわれた。

 あたしたちがマティアス様の前でだらけた姿を見せられないため、気を使ってくださったのだ。


 あたしたちはマティアス様の後ろ姿にもう一度敬礼した。


「ご命令通り、休憩だ。但し、気は抜くな。万が一に備えて、いつでも動けるようにしておくんだよ」


 そう言いながら、マティアス様の後ろを歩く、カルラ様にチラリと視線を向ける。

 背中を向けておられたが、小さく頷かれ、あたしの言ったことが正しかったと分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る