第7話「王国の対応」

 統一暦一二〇八年八月二十二日。

 グライフトゥルム王国南東部リッタートゥルム城。ハルトムート・イスターツ部隊長


 午後八時頃、マティと彼の弟であるヘルマン・フォン・クローゼル男爵、更にヴェヒターミュンデ騎士団の参謀長ルーフェン・フォン・キルマイヤー男爵と参謀のフリッツ・ヒラーと共に、水軍のガレー船に乗った。


 マティには黒獣猟兵団の護衛十名とシャッテンのカルラ、ユーダ、更に通信兵が付き従っている。


 空には上弦の半月が輝き、川面を照らしていた。幻想的な風景だが、シュヴァーン河の対岸は森の木々の形すら見えず、俺たち普人族メンシュにとっては闇夜と言っていいだろう。


 マティはガレー船の船長と話していた。


「連絡があり次第、出港してください。その際は灯りの魔導具を使っても問題ありません。迅速な出港と移動をお願いします」


 既に黒獣猟兵団の奇襲部隊は帝国の国境警備隊を殲滅するため、対岸に渡っており、成功の知らせを待っているところだ。


 三十分ほど経ち、そろそろだろうと思っていたら、後ろからカルラの声が聞こえた。


「黒獣猟兵団のリーダー、リア・ヴィルトカッツェより報告が入りました。敵百四名のうち、百二名を殺害。計画通り二名を逃がしたとのことです。黒獣猟兵団に負傷者なし。作戦の第一段階は成功いたしました」


「了解しました。負傷者なしとは素晴らしいですね。リアに私が満足していたと伝えてください」


「承知いたしました。では、第二段階に移行するよう命令を送ります」


 今回の作戦はリッタートゥルム城の対岸にいる国境警備隊を排除しつつ、その事実をエーデルシュタインに伝えさせることだ。そのため、完全に殲滅できるにもかかわらず、二名の兵をあえて生かしている。


 この後、二十キロメートル上流にある駐屯地を攻撃し、更にその二十キロメートル先の駐屯地も殲滅する予定だ。


 一日に四十キロも移動して夜襲を行う作戦だが、騎兵部隊でもこんな無茶な作戦はやれない。しかし、黒獣猟兵団ならこの倍の距離でもやれてしまう。

 その非常識さに気づき、俺は思わず頭を振っていた。


「では、出港してください。黒獣猟兵団は一時間ほどで目的地に到着しますので、こちらも頑張ってスピードを上げていただきたいと思います」


 上流に向かって遡上するため、二十人の漕ぎ手がいるガレー船でも一時間で二十キロメートルの移動は難しい。但し、運がいいことに今日は風が吹いており、一時間で十キロメートルは遡上できると船長は断言していた。


 今回使っている通信の魔導具はヴェストエッケで使ったものと同じだ。そのため、通信範囲は二十キロメートルであり、連絡自体に問題はない。


「それにしても黒獣猟兵団は素晴らしいな」


 キルマイヤー参謀長が感心し、マティに話しかけた。


「はい。彼らの能力はもちろん、その努力には頭が下がる思いです」


 元々獣人族セリアンスロープは身体能力が高く、王国内でも魔獣狩人イエーガーをやっている者は多いが、正式な訓練を受けていることは稀で、俺でも後れを取ることは少ない。


 しかし、黒獣猟兵団は“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”の“里”で訓練を受けており、単純な武術だけでなく、暗殺術にも長けている。

 彼らと模擬戦をやるが、常に予想外の手を使ってくるから、五回に二回は負ける感じだ。


「あえて逃がした二人は目論見通り第二軍団に報告するでしょうか? ここならフェアラートの方が近いですから、恐怖に負けてそちらに行く気がします」


 フリッツがマティに質問した。


「そうだね。その可能性はあると思っているよ。一応手は打っているけど、最悪そうなっても構わないと思っている」


「それはなぜですか?」


「まず第二軍団がシュヴァーン河沿いを移動してくると決まったわけじゃない。あくまで私が予想しているだけだ。それにフェアラートに辿り着けば、当然エーデルシュタインに早馬は送るから、途中にいる皇帝の耳にも早めに入る。我々の目的は敵の撃破じゃなく、第二軍団を拘束しつつ、皇帝に危機感を持たせることだ。この程度の情報で皇帝が危機感を持つことはないけど、先に知っておいてくれた方が、勝手にいろいろ考えてくれるから、問題はないということだね」


 マティの説明に、俺はさすがだなと感心する。

 相手がどう考えるかを想定しながら、情報を与えるなんてことは普通できない。俺程度の洞察力では、皇帝やペテルセン総参謀長がどう考えるかなんて思いも付かないからだ。


「皇帝がどのように考えると、マティアス先輩は想定していますか?」


 フリッツは更に質問した。今回の遠征でマティから何かを得ようと必死なのだ。


「そうだね。こちらが帝国の目を潰した理由を最初に考えるだろうね。王国騎士団がヴェヒターミュンデに向かったこととラウシェンバッハ騎士団がリッタートゥルムに向かった噂は届いているだろうから、渡河作戦を行うつもりなのか、それともブラフで自分たちを迷わせるためなのか、いろいろな角度から検討するだろう……」


 八月十日に王国騎士団長のホイジンガー伯爵が三個騎士団を率いてヴェヒターミュンデに向かっている。ラウシェンバッハ騎士団の噂はもちろん、王国騎士団についても事前に噂を流しているから、既に皇帝の耳にも入っているはずだ。


「だが、皇帝が噂に踊らされるとは思えんな。補給線を叩けば済むだけということは皇帝も理解している。第一こっちにはお前がいるのだから、渡河作戦のような無謀なことをするとは思わないんじゃないか?」


 俺が疑問を口にすると、マティはニコリと微笑んだ。


「ハルトの言っていることは正しいよ。でも、ヴェヒターミュンデで渡河作戦の準備が行われていることを知れば、大規模な攻勢を掛けてくる可能性を否定できなくなるだろうね」


「それはそうだろうな。だが、僅かな可能性だけで動くとは思えんのだが」


「皇帝マクシミリアンの性格を考えると、そうとも限らないと思う。彼なら僅かでも可能性があるなら放置するという選択は採らない。皇都攻略作戦を前倒しにするか、何らかの謀略を行って我々の妨害をしてくるか、それともこれを機に王国と共和国軍の両方を叩きのめしにくるか……いずれにしても計画通りには進まなくなる」


「その可能性は確かにあるが、皇帝に主導権を握らせて大丈夫なのか? 謀略を行うなら、標的はお前かホイジンガー閣下だ。こっちが主導権を握り続ける方がいいと思うんだが」


「できるなら主導権は握っておきたいよ」


 俺の言葉にそう言って苦笑した。


「ならなぜなんだ?」


「主導権を握ろうとしても、今回に限っては我々にできることが少なすぎて主導権を握り続けられないからだよ」


「どういう意味だ?」


 今も主導権を握るために、奇襲を仕掛けると思っていたからだ。


「皇帝マクシミリアンとペテルセン総参謀長の恐ろしいところは、こちらに小細工をさせないために大兵力を投入したことなんだ。こちらが小細工しても、それをねじ伏せるだけの大軍を回せば対応は楽だからね。実際、シュヴァーン河方面に一個師団一万だけならやりようはいくらでもあったんだけど、一個軍団で防御に専念されたら、ラウシェンバッハ騎士団を投入しようが打つ手はほとんどないんだ」


 彼の言いたいことは理解した。

 兵力が多いということは、数で圧殺することができるということだ。奇襲で千や二千失っても、戦争全体に影響を与えることはないということだ。


「帝国軍の正規軍団三万と戦うには、どの程度の戦力が必要だと考えているのだろうか?」


 キルマイヤー男爵が俺の聞きたいことを質問してくれた。


「野戦を想定した場合ですが、ラウシェンバッハ騎士団とケンプフェルト元帥が指揮する共和国軍二万に加えて、最低三万は欲しいですね。そうなると、王国騎士団では全く足りませんし、ヴェヒターミュンデ騎士団とエッフェンベルク騎士団、ノルトハウゼン騎士団を加えても足りないですね」


「つまり二倍近い兵力が必要だと……だが、ラウシェンバッハ騎士団と共和国軍がいれば、そこまで必要ない気もするが」


 マティが首を横に振る。


「そうとも言えません。帝国軍の恐ろしさは指揮官が優秀なことなんです。前回のテーリヒェン元帥のようなイレギュラーな昇進は皇帝マクシミリアンが許すはずはありませんので」


「それを言ったら、ホイジンガー伯爵もいるし、ケンプフェルト閣下もいる。第一、君が参謀として全体をコントロールすれば、そこまでの戦力はなくてもよさそうに思うのだが」


 それは違うと思ったが、俺が発言する前にマティが反論する。


「確かにケンプフェルト閣下が三万の兵を指揮していれば、そこまで必要ないかもしれません。ですが、帝国軍や共和国軍に比べて、王国軍は軍改革の歴史が浅く、連隊長や大隊長クラスの中堅指揮官の質は格段に劣ります。総司令官の意図を中級指揮官が理解していないと、どれほど有効な策を立ても意味がありません。ですので、最低でも二倍の兵力が必要だと思っています」


 そこで俺も発言する。


「実際、ヴェヒターミュンデの戦いでも、あれほど余裕をもった策であったにもかかわらず、王国騎士団はギリギリまで追い詰められています。つまり帝国軍の作戦実行能力がマティの想定の上限だったということです。兵の練度はもちろん、現場の指揮官が優秀だったという証拠でしょう」


 そこでヘルマンも会話に加わってきた。


「うちの騎士団が出陣を許されなかったのは私の司令官としての能力のこともありますが、それ以上に連隊長以下の隊長の指揮能力が低いと判断されたためです。共和国軍に鍛えていただきましたが、数週間では付け焼き刃にもなりませんでした」


「なるほど。だから今回も小部隊での作戦だったわけか」


 キルマイヤー男爵は納得した表情を浮かべていた。

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