第6話「帝国軍の方針」

 統一暦一二〇八年八月二十日。

 ゾルダート帝国中部エーデルシュタイン、総督府。皇帝マクシミリアン


 余は軍の先遣隊である第一軍団二個師団と共に、皇都攻略作戦の前線基地となるエーデルシュタインに到着した。


 八万という大軍勢だが、今のところ大きなトラブルに見舞われることなく、計画通りに行軍ができている。これは三人の軍団長の優秀さもさることながら、軍務府の兵站能力の高さのお陰だろう。


 軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーは元々事務処理能力が高いと思っていたが、ザフィーア河とザフィーア湖の水運を巧みに使い、八百五十キロメートルという距離を八万という軍でありながら、僅か三週間で移動させた。


 船で六百キロメートル移動しているとはいえ、それだけの数の船を用意し、滞りなく運用することは並大抵の困難さではない。


 二日後の八月二十二日、第三軍団がエーデルシュタインに到着したところで、すぐに作戦会議を開く。


 参加者は第一軍団長ローデリヒ・マウラー元帥、第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥、第三軍団長カール・ハインツ・ガリアード元帥、そして総参謀長のヨーゼフ・ペテルセン元帥だ。


 ペテルセンが赤ワインを一口飲んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「新たな情報が入ってまいりました。グライフトゥルム王国軍はヴェヒターミュンデに王国騎士団一万五千を派遣し、グランツフート共和国軍二万と合流した後に渡河作戦を決行するというものです……」


 この情報は想定通りであるため、驚きの声はない。


「更にラウシェンバッハ騎士団の出陣も正式に決まったという情報も入ってきました。こちらはリッタートゥルム城に向かい、後方を撹乱するとのことです」


 この情報も想定通りだ。


「王国と共和国の連合軍が渡河作戦を開始するのは九月下旬。その前にラウシェンバッハ騎士団が後方撹乱作戦を実行し、更にシュッツェハーゲン王国軍が我が国東部に侵攻する作戦です。シュッツェハーゲン王国に関しては未だに積極的な動きはありませんが、リヒトロット皇国、グライフトゥルム王国、グランツフート共和国の三ヶ国からの強い要請を受け、国境付近に兵力を集めているという情報も入っており、予断を許さない状況です」


「西は王国と共和国の連合軍四万、南はラウシェンバッハの子飼いの精鋭騎士団、更にシュッツェハーゲンが東から我が軍の後背を突くか……なかなか壮大な包囲網だが、実現性について卿はどう考えているのだ?」


 余の質問に軍団長たちも興味深げにペテルセンを見つめている。


「シュッツェハーゲン王国ですが、強い要請を受けて兵力を集めたとはいえ、国王や支配層が大きく変わらない限り、動くことはまずないでしょう。彼の国は単独でも守り切れると考えており、リヒトロット皇国を助けるメリットを感じておりませんので」


「うむ。その認識は余も同じだ。では、南部からの侵攻についてはどうか?」


 余の問いにペテルセンは再びグラスに口を付けた後、苦笑を浮かべる。


「王国の兵站能力を考えれば、可能性は低いと考えております。ですが、千里眼のマティアスが我々のその認識を逆手に取り、電撃的に侵攻してきた場合、エーデルシュタインが陥落する可能性は否定できません」


 そこでマウラーが手を上げた。

 余が頷いて発言を許可すると、ゆっくりとした口調で質問する。


「ラウシェンバッハ騎士団は四千五百人、黒獣猟兵団なる私兵を合わせても五千人と聞く。個々の兵の能力が高くとも、千キロメートル近い距離を進軍し、堅城であるエーデルシュタインを攻め落とすことは難しいと思うが、総参謀長の考えを聞かせてもらいたい」


 余も同じ疑問を持っていた。

 ペテルセンは想定していた質問であったためか、余裕の笑みを浮かべてワインを口に含んだ後、話し始めた。


「黒獣猟兵団は王都シュヴェーレンブルクからヴェヒターミュンデまでの約五百キロメートルを僅か七日で移動した実績があります。つまり一日に当たり七十キロメートル以上移動できるのです。自国の主要街道沿いであり、五十名ほどの少人数という条件ではございましたが、それだけの潜在能力を持っております」


「その点は脅威だが、補給ができねば獣人といえども進軍はできん。それについてはどう考えているのだ?」


 マウラーの問いに、ペテルセンは迷いもなく即座に答えていく。


「帝国南部には未だに我が国の支配を認めぬ者が多数おります。ラウシェンバッハがそれらの者に密かに接触し、物資の確保を依頼していたら、補給の問題は解決します。そして、それ以上に起こり得ることがあります」


「それは何だ? 南部の反抗的な住民たちだけでも面倒なのだが」


 思わず疑問を口にする。


「草原の民がラウシェンバッハの口車に乗り、協力することです」


 この可能性は考えないでもなかったが、兄ゴットフリートが帝国に剣を向けるとは思えない。


「兄を唆すと卿は言いたいのか?」


「いいえ。ゴットフリート殿下が野心をお持ちなら、ご自身の力のみでそれを成し遂げようとされるでしょう。ですが、草原の民は思ったより世俗的であり、大きな見返りが得られるのであれば、ゴットフリート殿下を放逐した我が国に意趣返しするという意図を含め、王国に協力する可能性は否定できません」


「なるほど。英雄ゴットフリートを放逐した悪の皇帝マクシミリアンが慌てふためき、更に利益を得られるならやってやろうと考えるかもしれないということか」


 ペテルセンは小さく頷いた。

 そこでエルレバッハが発言する。


「軽騎兵並みの機動力を持つ獣人族が草原を本拠地とすれば、エーデルシュタインだけでなく、皇都攻略軍の後背を突くことも可能です。だからといって、広大な草原との境界をすべて監視できませんから、奇襲を受ける可能性が高いということですか?」


「その通りです。草原の民が動く可能性はごく僅かですが、ラウシェンバッハはこれまで思いもよらぬ手を使ってきました。この策を実行していないと言えないところが厄介です」


 そう言って赤ワインを飲み干した。思った以上に飲んでいたようで、ワインが無くなったことに僅かに眉を上げていた。


「草原の民については、モーリス商会に情報収集をさせればよい。あの商会は草原の民とも取引を行っていたはずだ」


 余の提案にガリアードが疑問の声を上げた。


「陛下のお言葉ですが、モーリス商会を無条件に信用してもよいのでしょうか? 聞けば二人の息子をラウシェンバッハに師事させ、更にラウシェンバッハ領でも多くの利益を上げています。そのような商人を信用するのは危険ではありますまいか」


 ガリアードは細面の官僚のような見た目の軍人だが、父コルネリウス二世に対しても諌言を行っていた剛の者で、余にも歯に衣着せぬ物言いをしてくる。


「卿の言は間違っていない。余も全面的に信用するつもりはないし、裏も取るつもりだ……」


「ですが……」


 ガリアードが発言しようとしたので、目で制して話を続ける。


「モーリス商会の最大の投資先は我が帝国だ。ザフィーア河の水運、南部鉱山地帯のミスリル鉱山、帝都周辺の畜産業……これだけの投資を無駄にするほど、ライナルト・モーリスは愚かではない。それに今まで一度も偽情報を流してきたことがない。心の内まで信用できるかは分からんが、少なくとも情報は信用できる」


 ガリアードに言った通り、余もモーリス商会を無条件で信用しているわけではない。いや、常に疑いの目で見るようにしている。

 もし、彼の商会に利用価値が少なければ、即座に処分しただろう。


 しかし、モーリス商会は我が国の役に立つ。それも帝国商人よりも遥かにだ。

 新たな産業の振興や雇用の創出、非常時の物資の放出など、帝国の商人たちより愛国心があるのではないかと錯覚するほどだ。


 それに情報面でも有用性が高い。

 王国の情報はともかく、皇都リヒトロットやグランツフート共和国の首都ゲドゥルトの情報は質が高く量も豊富で、諜報局の情報の裏付けに活用できている。


「ペテルセンよ、ラウシェンバッハが打つ手はそれだけだと思うか?」


 余の問いに肩を竦める。


「正直なところ分かりません。あの若き天才の行動を読むのは至難の業ですし、動いた時には既に策は完成しているのですから」


「その点は余も同意する。エルレバッハよ、そなたが警戒を怠るとは思わぬが、慎重を期して行動してくれ。皇都攻略作戦はそなたの軍団に掛かっていると言っても過言ではないのだからな」


 エルレバッハは余に深々と頭を下げた。

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