第10話「第二軍団出陣」

 統一暦一二〇八年八月二十五日。

 ゾルダート帝国中部エーデルシュタイン。第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥


 本日、私が指揮する帝国軍第二軍団はエーデルシュタインからシュヴァーン河方面に進軍を開始する。


 マクシミリアン陛下率いる本隊も同様に本日、皇都リヒトロットに向けて進軍する。

 出発前、陛下は兵士たちを前に、演説を行われた。


「我が兵士たちよ! 帝国の悲願、皇都リヒトロットを手に入れる時が来た! ここにいる精鋭たちをもってすれば、難しいことではない!」


 力強いお言葉に兵士たちも頷いている。

 しかし、陛下は声のトーンを抑えて話を続けていく。


「グライフトゥルム王国は三万の兵を掻き集め、グランツフート共和国軍二万と共に西部に進攻しようとしている。他にもシュヴァーン河中流では、後方撹乱のための部隊を派遣したという情報もある……」


 あえて不利な情報を伝えられたが、陛下のお考えが分からず、兵士たちに不安の色が僅かに浮かぶ。

 陛下はそんな兵たちをゆっくりと見回した後、語り掛けるように話される。


「だが、何を恐れることがあるだろうか? 我が国の精鋭がこれほどいるのだ。それでも余は慢心することなく、王国軍や共和国軍に対応するため、エルレバッハ元帥率いる第二軍団を送り込む。これで奴らは手も足も出まい。その上で第一軍団と第三軍団で皇都を攻略する……」


 その説明に多くの兵が頷いている。


「グリューン河という天然の要害があるが、兄ゴットフリートが示したように皇都攻略は決して不可能なことではない! 我ら帝国軍の前に難攻不落の要塞など存在はしないのだ!」


 その力強いお言葉に私も胸が熱くなる。


「既に勝利は確定している! 皇都を手に入れ、我が国が大陸最強であり、いずれ統一することを示さねばならん! その手助けを諸君らに頼みたい! 我らの手に栄光を!」


 そこで陛下は高々と右手を上げられた。


「「「帝国万歳!」」」


 兵たちから万歳という熱烈な声が上がる。私自身も同じように叫んでいた。

 二年前には考えられなかったが、陛下は完全に兵たちを掌握している。

 三十秒ほど万歳の声が続き、ゆっくりと静まった。


「我が精鋭たちよ! 進軍せよ!」


 その命令に剣を掲げて応える。


 第三軍団が北に向かい始めたところで、私の第二軍団も西に向かって進軍を開始する。

 三万の軍勢であり、司令部が出発するまでには十分ほど掛かる。その間に陛下にあいさつをすることにした。


「それでは前回の雪辱を果たしてまいります」


「うむ。卿ならば問題なかろう。よろしく頼む」


 そうおっしゃり右手を差し出してこられた。以前ならこのようなことはされなかったのだが、お考えを改めたようだ。


「陛下のご期待に沿うよう、全力を尽くしてまいります」


 それだけ言うと、軍団の方に戻っていった。


 行軍は順調だった。

 既に兵站部門は動いており、三万の軍勢であっても物資の手配が滞るようなことはない。


 この兵站の一翼を担っているのはモーリス商会だ。

 大量の物資をどこにどのように運ぶかを検討する業務を請け負ったのだ。彼らのノウハウにより、完璧な補給計画が作られている。


 モーリス商会は王国のラウシェンバッハと繋がっている可能性があるため、全面的に信用はしないが、彼らもここで補給に支障をきたせば、王国との内通を疑われることは理解しているから油断さえしなければ問題はないだろう。


 但し、不測の事態に備えて、彼らだけに任せるのではなく、軍務府を通じて帝国の商会にも補給の一部を任せており、万が一モーリス商会が裏切っても対応できるようにしてある。


 当面の目的地であるリッタートゥルム城の対岸までは約五百キロメートル。二十日間かけて移動するため、輜重隊を先行させた。十日後に先発隊である第二連隊が合流するが、これは王国のラウシェンバッハ騎士団を誘き出す罠だ。


 帝都を出発する前、モーリス商会にそのような計画とするよう命じた。また、情報管理も緩めており、この情報は帝都で広まっていた。


 情報収集に抜かりがないラウシェンバッハなら、輜重隊を狙ってくる可能性は十分にある。そのため、計画を変更し、十日後ではなく、三日後に第三師団一万が輜重隊の後方十キロメートルに辿り着けるよう、強行軍を行う。


 第三師団は輜重隊の後ろを密かに進み、輜重隊が襲われたところで救援に駆けつけ、油断しているラウシェンバッハ騎士団を殲滅するのだ。


 もっともこの策が実行される可能性は低いだろう。

 ラウシェンバッハはその異名の通り、千里眼というべき洞察力を持っている。そのため、私の策などお見通しで、輜重隊を襲撃しない可能性が高いためだ。


 それでもこの策を実行したのは、私が十分に警戒していることを奴に知らしめることで、奇襲作戦を断念させるという意図が強い。


 圧倒的な戦力を持ち、更に警戒を緩めていないとなれば、慎重なラウシェンバッハは無駄な攻撃は仕掛けてこない。つまり行軍の安全が確保できるということだ。


 出発から五日後の八月三十日の夕方、野営準備中にイレギュラーなことが起きた。

 司令部の天幕で明日の行軍計画の確認を行っていると、慌てた様子の副官が入ってきた。


「報告いたします。中部総督府所属の国境警備隊の兵士と自称する男二人が偵察隊に保護されました。王国軍のラウシェンバッハ騎士団による襲撃を受け、国境警備隊三個中隊が壊滅し、命からがら逃げてきたと言っております。いかがいたしましょうか?」


 副官が報告してきた。


「身元の確認はしたのだろうな?」


「はい。装備を見る限り、国境警備隊の兵士で間違いないようです。また、事情聴取を行い、国境警備隊員に扮していないか確認しましたが、特に不審な点は見当たりませんでした」


 最初に疑ったのはラウシェンバッハによる謀略だ。兵士に化けた間者が偽情報を流そうとしているのではないかと考えたのだが、兵士自身に問題はないようだ。


「よろしい。では私が直接話を聞く。ここに連れてきてくれ」


 すぐに二人の兵士が連れてこられる。

 二人とも二十代前半の若者で、装備は薄汚れており、疲れ切った表情だ。


「所属と氏名は?」


「中部総督府国境警備隊リッタートゥルム方面派遣隊第一中隊の隊員、トニー・ヘーゲルです」


「同じくエミール・グラウンです」


 軍団長に直接問われて緊張し、オドオドしているが、不審な点は見当たらない。


「リッタートゥルム方面派遣隊が全滅したと聞いたが、どのような状況だったのか聞かせてくれ」


 先任なのか、ヘーゲルが話し始めた。


「八月二十二日の夜に獣人族の兵士に襲われました。俺とエミールは兵舎で寝ていたんですが、次々と仲間が殺されていって……何が何だか分からないうちに、寝台の下に入り込んでいたらしくて、運良く助かったみたいです」


「武器を取って戦おうとしなかったのか?」


 副官が呆れた口調で聞いた。

 正規軍団より数段落ちる地方の兵士であっても、戦友のために剣を取るべきだと思っているためだ。


「あ、あいつらは悪魔です……うちの隊長も力自慢のガントさんも、首を掻き切られて死んでいました。そんな奴らと戦うなんて無理です……」


 恐ろしい目に遭ったためか、二人はブルブルと震えている。


「完全な奇襲を受けて戦える状況ではなかったのだ。それに生きて情報を持ってきたことは敵兵と差し違えるより遥かに価値がある。私はお前たちの行動が正しかったと思っている」


「あ、ありがとうございます……」


 私が肯定したことで、ヘーゲルが涙を浮かべて頭を下げている。

 仲間と一緒に戦わなかったことで負い目を感じていたのだろう。


「だが、ラウシェンバッハ騎士団と分かったのはなぜだ? 獣人族の兵士は他にもいるはずだが」


「奴らが言っていたんです。ラウシェンバッハ騎士団が渡河したことを知られるわけにはいかないと」


 そこで疑問が浮かんだ。

 獣人族は五感に優れ、素人が隠れたくらいではすぐに発見できる。知られるわけにはいかないと言っているなら、生存者がいないか徹底的に調べるはずで、見つからなかったのは偶然ではなく、敵があえて逃がしたのではないかと思ったのだ。


「お前たちが生き残れたのはなぜなのだ? 他の者は探し出されて殺されたのだろう?」


 私の問いにグラウンが恐る恐るという感じで答えた。


「敵の一人が、血の匂いで鼻が馬鹿になっていると言っていました。それに隊長が急いで本隊に合流しなくてはいけないと話していました」


 彼らの服には血糊が付いた跡があり、運よく生き残れたようだ。


「なるほど。それで他の中隊も全滅したと言っていたが、それは確認したことなのか?」


「はい。第二中隊に助けてもらおうと二十キロ離れた駐屯地に行ったんですが、そこも全滅していました。村の者に聞くと、ラウシェンバッハ騎士団の獣人が、俺たちが襲われた同じ時間くらいに襲撃したそうです。戦闘が終わった後に村を訪れ、遺体を埋葬するようにと金を置いていったと聞きました」


 ヘーゲルがそう言うと、グラウンも頷いている。


「第三中隊のところも同じでした」


「村人もラウシェンバッハ騎士団だと知っていたのか……」


 私の独り言にヘーゲルが頷く。


「はい。自分たちは帝国軍と戦うが、主であるラウシェンバッハ子爵は民を害することを禁じているから安心してくれと言っていたそうです」


 そこで疑問が湧いた。


(この情報はあえて流したものではないのか? リッタートゥルム付近で渡河を行ったことをこちらに認識させる。当然、こちらはそれに警戒するし、慎重に行動せざるを得ない……だが、王国軍の目的は皇国軍の救援だ。この方面で時間稼ぎする理由がない……)


 考えを巡らせるが、疑問が次々と湧いてくる。


(もしかしたら、エーデルシュタイン付近での後方撹乱自体が欺瞞で、ヴェヒターミュンデから大軍を送り込むことで、陛下との決戦を狙っているのかもしれん……だが、王国軍と共和国軍の連合軍では、陛下が指揮する五万の兵の敵ではないことはラウシェンバッハも分かっているはずだ。何か別の意図が隠されているのか……)


 考えれば考えるほど、ラウシェンバッハの思惑が分からなくなった。


(これがラウシェンバッハの策かもしれん。私を迷わせて判断ミスを誘うということも十分に考えられる。ならば、計画通りに慎重にリッタートゥルム付近に向かい、そこで王国軍に睨みを利かせる方が安全だ……それにしても厄介な敵だ……)


 私は偵察の強化を命じたものの、行軍計画は変えなかった。

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