第56話「シュヴァーン河迎撃戦:その四」
統一暦一二〇五年九月六日。
ゾルダート帝国西部フェアラート西。帝国軍第三軍団第一師団長ウーヴェ・ケプラー将軍
第一師団の騎兵五千を率い、グライフトゥルム王国軍を追っている。
まだ敵の姿は見えないが、フェアラートの町から既に三キロメートル近く離れているから、すぐに追いつけると楽観していた。
(これまでの欝憤を晴らさせてもらう……)
フェアラートに到着するまで、不本意なことが多かった。
西部域の民との関係は悪化したし、補給の手配に無駄に時間を使った。また、敵騎士団の動きに惑わされてもいる。いずれも致命的なことではないが、苛立ちは募っていた。
更にフェアラートに到着してからも敵の策に嵌って無駄に罠を警戒し、使わなくてもいい時間を浪費した。テーリヒェン元帥や部下からは何も言われていないが、大軍であることを利用し、後方に部隊を送り込めばよかったと悔やんでいる。
「敵の
目のいい部下が報告する。
「敵も必死に抵抗してくるぞ! 皇国軍と同じだと考えるな!」
部下たちへの指示だが、自分に言い聞かせている部分もある。
敵の総司令官、グレーフェンベルクは奇策を使う。それも俺の想像を超える策をだ。
それに対処するには冷静さを失わないことが重要だ。
「敵は荷馬車を放棄するようです! 御者が走って逃げだしました!」
それは俺にも見えた。重量物を積んでいるらしく、スピードが出ないようだ。
それでも俺たちの進軍を妨害するためか、荷馬車を道から外し散開させてから逃げていく。
「荷馬車に伏兵がいるかもしれん! 油断するな!」
馬を駆りながら命令を出す。
しかし、馬蹄の響きで俺の命令は近くの者にしか聞こえなかったのか、最短距離で走り抜けるため、荷馬車に向かっていく。
荷馬車がはっきりと見えてきた。数は二十輌ほどだが、どこか不自然だ。
違和感の原因は荷馬車が俺たちの方を向いていることだ。単に塞ぐだけなら、横に向ければいいし、時間がないなら進行方向を向けたままにしておくはずだ。
「荷馬車に近づくな! 敵は何か罠を考えているぞ!」
力いっぱい叫び、伝令を走らせるが、全力で走っている兵たちにすぐには届かない。
「荷馬車に火が着きました! こっちに向かってきます!」
荷馬車の陰に騎兵が隠れており、荷に火を掛けたようだ。その火に怯えた馬が走り出し、俺たちの方に向かってくる。
「散開しろ!」
叫びながら右手で大きく振って、左右に散開するよう命じた。
前方の味方には命令は届かないが、後方の兵には見えるはずだから、暴走する荷馬車を回避することができるだろう。
先頭を走る騎兵たちが慌てて左右に避ける。しかし、各自の判断で動いたため、馬同士がぶつかるなど、混乱が起きていた。
その中に暴走する荷馬車が突っ込んでいく。
足が止まった騎兵たちは必死に回避しようと馬を操っている。しかし、不運な数騎が跳ね飛ばされた。
俺たち後続も余裕はなかった。
前を走っていた騎馬が止まったため、それを回避しなければならず、速度を緩めざるを得なかった。
荷馬車はすぐに止まった。
どうやら最初から狙っていたわけではなかったようだ。
荷台に可燃物が置いてあるわけではなく、撥水性を上げるために油が塗られている幌だけが燃えたため、すぐに消えたからだ。
しかし、我が第一師団の騎兵隊はこの混乱で完全に停止した。
全速力で追撃していたところで急停止したため、隊がバラバラになり、指揮命令系統が一時的に麻痺してしまったのだ。
「一旦、前進しつつ小隊長を中心に固まれ! 追撃開始!」
本来なら一度再編する必要があるが、今は一刻を争う。
それに俺の第一師団はこの程度で戦えなくなるほど柔じゃない。すぐに命令を受けて再び走り出したが、五分という貴重な時間を浪費してしまった。
(グレーフェンベルクの指示ではあるまい。奴の指示なら長時間燃えるように細工するか、煙を出して煙幕を作るかしただろう。優秀な隊長が追いつかれると思って、独自の判断で行ったのだろうな。さすがは王国の精鋭と言ったところか……)
馬を走らせると、シュヴァーン河の川面が見えてきた。
浮橋の上には多くの兵がおり、手前には二千人以上の敵兵が留まっている。殿部隊はこちらに身体を向けているが、ほとんどの兵士が浮橋の方を見ていた。
「敵はまだ渡河を終えていない! 奴らの尻に食らいつけ! そのまま敵の城に突入するぞ!」
絶好のチャンスだ。
更に近づいていくと、敵兵たちが急かしている声が聞こえてきた。
「早くしろ! 俺たちがいることを忘れるな!」
「ノロノロするな! 後ろには帝国軍が来ているんだぞ!」
対岸を見ると、ヴェヒターミュンデ城に向かう兵士の列が見えた。その列は乱れ、我先に逃げていることが遠目に見てもよく分かる。
「
俺はこの状況に冷静さを欠いていた。
俺の突撃命令を受けて、百騎ほどが突撃を掛けたが、敵の弓兵隊の一斉射撃を受け、次々と落馬していく。
(しまった! 殿を任されるほどの精鋭だ。味方を逃がすために決死の覚悟でいるはずだ。ここで突撃を繰り返せば、無駄に兵を失ってしまう……俺たちの目的はこの浮橋を奪取することだ。ならば、防御を固めて奴らに食いつき、距離を取られないようにした方がいい……)
頭が冷え、周囲を見る余裕ができた。
こちらに抵抗している敵兵は五百ほど。渡河地点を中心に長槍を持った歩兵と盾を持った歩兵が半円状の陣を作り、その後ろに百名ほどの弓兵が矢を放っている。
「第一連隊と第二連隊は下馬せよ! 第一連隊は南側、第二連隊は北側から攻撃を加えよ! 無理をする必要はないぞ! 引いていく敵に距離を取られないよう盾で身を守りつつ食らいついていけ!」
ここにいるのは騎兵だが、歩兵としての能力も高い。攻城戦を多く経験しているし、盾を装備しているから、油断さえしなければ矢による攻撃にも対処できる。
(問題はこちらに弓兵がいないことだ。リップマン殿がここに来るのは一時間ほど先だろう。それまではこちらの損害を抑えつつ、敵に距離を取られないようにするだけだな)
弓兵隊は追撃時に分離しており、第三師団長であるオラフ・リップマン殿が率いている。
指揮命令系統を再構築した上で、八キロメートルほど移動する必要があるから、時間が掛かる。
その間に渋滞していた敵兵は、少しずつだが減っていた。
しかし、まだ混乱が収まっていないのか、浮橋の揺れに足を取られて川に落ちる者や罵声を浴びせ合っている者もおり、敗残兵という印象を受ける。
「攻撃の手は緩めるな! 敵の混乱が続くように攻め続けよ!」
敵兵の数が減っていることから、混乱が収まればスムーズに撤退されてしまう。
そうなれば、対岸で防御陣を敷かれ、無防備な浮橋にいる我が軍の兵は窮地に立たされるだろう。
そうしないためには敵兵が恐慌をきたした状態を維持する必要がある。恐慌をきたしていれば、向こう岸についた途端、城に向かって走り出し、防御陣を作ることができないからだ。
問題は殿の精鋭だが、距離を詰めて一緒に渡河できれば、防御陣が完成する前にこちらも展開できる。
(あとはグレーフェンベルクがこの状況で何をしてくるかだ……俺なら浮橋を破壊するな。だとしたら、上流から焼き討ち船を送り込んでくるかもしれんということか!)
奴の立場になって考え、焼き討ち船という結論に至った。
「第三連隊! 一部を上流に向かわせ、敵が浮橋に焼き討ちを仕掛けてこないか見張れ! 第四連隊は敵が放棄した船を使い、浮橋に近づく者がいないか監視せよ!」
これで浮橋を確保できるから、数で圧倒できる。グレーフェンベルクが何をしてきても対処は難しくないだろう。
敵の撤退はゆっくりと進み、それに従い敵の防御陣は徐々に縮小していく。
その見事な撤退に感嘆の念が湧く。
(見事なものだな。あれほどの撤退は俺の部下でも難しいだろう。だが、その分、奴らを見捨てることはできんはずだ。ならば、奴らに離れずにいれば、城への突破口となる……)
俺はこの戦いに勝てると確信した。
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