第57話「シュヴァーン河迎撃戦:その五」

 統一暦一二〇五年九月六日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、物見塔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 王国騎士団の撤退戦は成功しつつある。

 姑息な時間稼ぎとラザファム、ハルトムート、ユリウスの大隊が殿しんがりで奮闘している結果だ。


「帝国軍もやるわね」


 私の横に立つイリスが望遠鏡を覗き込みながら、感想を口にした。


「そうだね。第一師団長のウーヴェ・ケプラー将軍が指揮を執っているようだけど、帝国軍の将官は本当に優秀な人ばかりだ。もう少し混乱してくれると思ったんだけど、予想した最短時間で対応してくる」


「それでも想定内なんでしょ。そっちの方が驚きよ」


 イリスは呆れ顔だ。


「そうは言うけど、一つ歯車が狂ったら失敗するというギリギリの状態だ。ラズかハルトが僅かでも判断ミスをしたら、彼らを見捨てなくてはならなくなるんだ」


 フェアラートを空にした策が思った以上に早く対処された。本来なら一時間程度は稼ぎ、シュヴァーン河の渡河地点ではラザファムたちの大隊だけが残っている状態にするつもりだった。


 しかし、僅か三十分で罠がないと看破し、即座に機動力の高い騎兵部隊だけを先行させている。その結果、ハルトムートの隊が追い付かれた。


 予め用意しておいた荷馬車に火を掛けて敵に突入させる策を実行したが、稼げた時間は僅か数分だった。


 すべての兵が渡河し終える前に敵の騎兵が到着したため、演技ではなく、本気で混乱が生じそうだ。


 幸いこうなる可能性を考慮して、精鋭であり、こういった演技に慣れている第二騎士団を最後にしていたので、見た目ほど危うい状況ではない。しかし、城壁の上から見ていてハラハラし通しで胃が痛くなったほどだ。


「それにケプラー将軍は焼き討ち船のことに気づいたみたいだ。浮橋を使った渡河作戦なんてやったことがないはずなのに、気づかれるとは思わなかったな」


 ケプラー将軍は浮橋という狭い場所での戦いであるため、遊兵になっている部隊をシュヴァーン河の上流に送った。更に撤退時に緊急で使う予定で用意していた小型船にも気づき、それを使って浮橋の警備に使うつもりで移動させている。


 一応、奪われてもすぐに使われないように、オールは隠してあるが、見つけられるのは時間の問題だろう。


「この後はどうするつもりなの? そろそろ兄様たちの大隊以外が撤退を終えるけど、敵の動きがいいから引き離せないと思うのだけど」


「作戦通りでいくしかない。援軍を送って撤退を支援しても、城門から入る時に時間が掛かれば同じことだ。三人なら上手くやってくれると信じるしかない」


 最後の言葉は自分に言い聞かせたものだ。

 友人たちが危険に晒されているのを見ているだけというのは、精神的にきついからだ。


「グレーフェンベルク閣下が上がってこられました」


 後ろから護衛のシャッテン、カルラが小声で注意を促す。


「上手くいっているようだな」


 クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵は満面の笑みを浮かべて話し掛けてきた。


「はい。ケプラー将軍の対処が思った以上に早かったですが、今のところ想定内で動いています」


「ならば、この後は敵をここに引き付けるだけか……浮橋はどうするのだ? 敵も警戒しているようだが、このままにしておくわけにはいかぬが」


「日没まではこのままにしておきます。敵が渡河してきたとしても、この城を攻撃するのは容易なことではありません。あの浮橋では投石器は運べませんし、破城槌を運ぶにしても時間が掛かりますから」


 フェアラートには防御用に投石器が設置されているが、重量があるだけでなく重心も高いため、そのままでは不安定な浮橋の上を移動させることは困難だ。


 破城槌は全長十メートル以上ある太い柱を、荷馬車を改造した台車に載せただけのものだ。ちなみにこれは軍団長であるテーリヒェン元帥に城攻めができると思わせるため、我が軍が持ち込み、故意に置いていったものだ。


 この破城槌だが、移動の衝撃で壊れるように作ってある。そのため、シュヴァーン河に至るまでも何度も修理が必要になるはずだ。

 また、重量物であるため、不安定な浮橋の上を移動させるには慎重を期す必要がある。


 これらの条件を考えると、フェアラートから橋頭堡まで移動させるには最短でも五時間は掛かるだろう。


「確かにそうだな。しかし、帝国軍はこちらに渡ってくるのだろうか? 君の策をあれほど早く看破した者たちが率いているのだ。敵地にいる危険は充分に理解していると思うのだが」


「その点は私も同じ懸念を抱いています。ですが、浮橋という、これまで手にできなかった渡河手段を手に入れたのです。この誘惑に勝てる人物はそれほど多くないと思いますよ」


「六年前には川を渡ることすらできなかったが、今回は安全に渡る手段を手に入れた。我が軍の数は当時より多いが、戦意も練度も高くない。それに我々が運び込んだ破城槌もある。こちらのミスにつけ込めたと考えて、一気呵成に攻め落とそうとしてもおかしくないということか」


 伯爵の考えに頷く。


「その通りです。特に軍団長のテーリヒェン元帥はその誘惑を断ち切ることは困難でしょう。ここで我が国に大きな損害を与えれば、リヒトロット皇国は援軍の可能性がなくなり意気消沈します。つまり、皇都を攻略しているゴットフリート皇子への強い後押しになるのです。無理をしてでもなんとかしようと考えるのではないかと思いますね」


 ザムエル・テーリヒェン元帥はゴリゴリのゴットフリート派だ。皇都攻略の目途が立たない状況でポイントを稼ぐには、我が軍に大勝すればよいと単純に考える可能性は高い。


「いずれにしてもラザファムたちを引き上げさせてからの話だな。そろそろ支援の準備をした方がいいだろう」


 シュヴァーン河の上ではラザファムとハルトムートの大隊が二本ある浮橋の一本ずつを守りながら撤退していた。


「イリス、城門の方を頼む」


「任しておいて」


 それだけ言うと、黒獣猟兵団の団員の一部を引き連れ、下に降りていった。


■■■


 統一暦一二〇五年九月六日。

 グライフトゥルム王国東部、シュヴァーン河。ラザファム・フォン・エッフェンベルク大隊長


 撤退戦が続いている。

 私の大隊は二本ある浮橋の南側、つまり上流側を使い、ゆっくりと後退していた。


 もう一本はハルトムートの大隊で、ユリウスの大隊は既に川を渡り終え、私たちを支援するために防御を固めている。


 一方の敵は馬から降りた騎兵が剣と盾を構えて前進してくる。後ろには数千の兵士が待ち構えていた。


 ただ浮橋の幅は五メートルほどしかなく、一度に戦えるのは最大でも三人だ。また、敵には弓兵がいないため、防御に徹してさえいれば、雪崩れ込まれるようなことはない。


「一人でも多く逃がすぞ! そのためにここを死守するんだ!」


 私が最前列の後ろで叫ぶ。

 個人的には最前列で戦いたいが、ここで私が倒れれば、作戦全体に影響を及ぼす。そのため、我慢しているのだ。


「隊長! 味方はそろそろ城に入り切りそうです!」


「了解だ! ゆっくり下がれ!」


 隣の浮橋でもハルトムートが同じように部下たちを叱咤していた。


『もうちょい我慢しろ! だが体力は温存しておけよ!』


『もう無理っす!』


『文句を言うな! 配給酒をなしにするぞ!』


『それだけは勘弁してくださいよぉ』


 この状況でも緊張感がないやり取りができるのだなと感心する。


「私たちが渡り切ったら、ユリウスの大隊が浮橋の綱を切る! タイミングを外すな!」


 これはわざと敵に聞かせた言葉だ。

 こう言っておけば、敵は私たちを追撃するより、綱を確保しようと考えるからだ。


 これもマティアスが考えたことだ。よくこんなことを思いつくと感心するより呆れた記憶がある。


 浮橋の上での戦闘に激しさが増す。

 後ろを見ている余裕はないが、第二騎士団の残りが城に入ったようだ。


 最前列の兵士を適宜交代させながらゆっくりと下がっていく。


『力押しで粉砕せよ! それでも栄えある帝国軍の兵士か!』


 帝国軍側でも叱咤する声が聞こえる。彼らもここが正念場と分かっているようだ。


 浮橋を渡り始めてから三十分近く経った。

 帝国側には後続部隊が到着し、その数は一万近くにまで膨れ上がっている。


 王国側まであと百メートルほど。そこで隣の浮橋のハルトムートに視線を向ける。


 彼は分かったというように小さく頷く。

 ハルトムートが部下にハンドサインで指示を出すと、後方にいた彼の部下の一人が駆け出した。


『もう無理だ! あんなに多くの敵に敵うはずがねぇ!』


 それに釣られてハルトムート隊が雪崩を打ったように下がり始める。


『踏みとどまれ!』


 ハルトムートは必死に形相で剣を振って鼓舞するが、敗走は止まらない。


『隊長も下がらないとヤバイですって!』


 そのハルトムートを部下の一人が引きずっていく。

 その様子を見て、私も事前の打ち合わせ通りに命令を叫ぶ。


「ここまでだ! 全力で撤退せよ! 走れ!」


 その命令で我が隊は後方に向かって走り出した。しかし、ハルトムート隊とは異なり、秩序は保ったままだ。


 それに乗じて帝国軍が前に出ようとした。しかし、我々がいきなり走り出したことで浮橋が大きく揺れ、帝国軍兵士はよろめいている。一方の我々は浮橋の上を何度も走る練習をしていたので大きな揺れにもかかわらず、全力で走ることができ、その差が大きく開いた。


『助けてくれ!』


『押すな!』


 ハルトムート隊ではまだ演技を続けている。ふざけているのかと思ったが、表情は必死で、とても演技には見えない。


 距離が開いたことで、ユリウス隊の矢が帝国軍に降り注ぎ始める。そのお陰で更に差が開いた。


 私たちは無事に王国側に渡り切った。


『ロープは切るな! まだ戦友が残っているんだ! 頼む!』


 ハルトムート隊の兵士が叫んでいる。振り返ると、ハルトムートを含め、十人ほどが残っていた。


『これ以上は危険だ! やむを得ぬ! 全力で城に向かえ!』


 ユリウスが大声で命じている。

 これもマティアスが命じたことだ。最初からロープを切るつもりはなかったが、わざと浮橋を残したと気づかれないように芝居を打ったのだ。


「仕方ない! 我々も撤退する! 全力で城門に向かえ!」


 そう叫びながら振り返ると、ハルトムートも渡り終えており、川岸の砂に足を取られながら必死に走っていた。

 見事な演技だが、無茶をすると思った。


 帝国軍はハルトムートたちの後ろ十メートルほどにいるが、時折ユリウスが止まって矢を放つため、近づき切れない。

 更に城壁からも矢が射られ始めたが引くことはなく、盾を上に構えて果敢に追撃してくる。


 目の前に城門が迫ってきた。観音開きの大扉は既に半分以上閉まっている。


「まだ閉めるな!」


 叫びながら城門に飛び込む。中にはイリスが屈強な獣人を引き連れて待機していた。


「お疲れさま」


 そう言ってきたが、息が上がって答えられない。部下たちも邪魔にならないところに辿り着いたところで、大の字になって倒れている。


 そこにハルトムートたちが飛び込んできた。


「閉門! すぐに敵が来る!」


 その言葉に被るようにイリスが獣人たちに命じた。


「全力で押しなさい!」


 分厚い扉が勢いよく閉まっていく。完全に閉まる前に帝国兵が体当たりしてきたが、二十人ほどいる獣人たちには関係なかったようで、大扉はそのまま閉止された。


かんぬきを!」


 イリスが命じると、太い木の閂が差し込まれる。


「よくやってくれたわ」


 イリスは獣人たちを労う。

 私は立ち上がってその場を離れようとしたが、ハルトムートとその部下たちは息が上がって大の字になって倒れている。


「内扉を閉めるわよ。ヴィルギル! ジャコモ! 悪いけど倒れている兵士に力を貸してあげて」


「「了解です! イリス様!」」


 屈強な熊人族と猛牛族の戦士たちが、完全武装の兵士を軽々と引き起こし、城内に連れていく。


「何とか生き残れたな」


 何とか自力で立ち上がっていたハルトムートがそう言ってきた。まだ、顔は汗だくで鎧は砂まみれだ。


「しかし無茶をする。最後のはいらなかっただろう」


 私は苦笑しながら突っ込む。


「主演男優だからな。見せ場は必要だろ?」


 ハルトムートはそう言った後、キリッとした表情を見せる。

 次の瞬間、二人同時に笑い出した。

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