第58話「不協和音」

 統一暦一二〇五年九月六日。

 ゾルダート帝国国境シュヴァーン河河畔。第一師団長ウーヴェ・ケプラー将軍


 グライフトゥルム王国軍への追撃は失敗に終わった。

 しかし、王国への侵攻ルートであるシュヴァーン河の浮橋の確保と、橋頭堡を築く目途が立った。


 増水期であるこの時期、シュヴァーン河の王国側は川岸が狭く、ヴェヒターミュンデ城にある投石器の射程外となる場所の広さは、川に沿う方向が約四百メートル、川岸からの距離が約五十メートルとそれほど広くない。


 また、ヴェヒターミュンデ城に接近するルートは緩やかな登り勾配の草地であり、その幅は百メートルほどと大軍の運用に向いていないことは明らかだ。


 更にヴェヒターミュンデ城は直径一キロメートルほどの円形の城だが、南側はシュティレムーア大湿原が城壁の真下にまで迫り、北側はシュトルムゴルフ湾の海岸線に接している。


 更に大きく迂回するにしても、大湿原の中に大軍が通れる道はなく、城を迂回して包囲することは難しい。


 とりあえず、確保した浮橋を守るため、五千名の兵を王国側に送り込み、更に上流から焼き討ち船が来た場合に備え、王国軍が置いていった小型船十隻に兵士を載せて警戒に当たらせている。


 総司令官である第三軍団長ザムエル・テーリヒェン元帥は、この状況に興奮していた。


「よくやった、ケプラー卿! これで王国の東の守り、ヴェヒターミュンデ城を攻略できる!」


 無邪気に喜んでいるが、俺は攻略の困難さが頭を過り、そこまで素直に喜べない。


「浮橋は確保しましたが、攻城兵器がありません。フェアラートと違い、ヴェヒターミュンデの城壁は高く、更に城兵の数も多いですから、陥落させることは容易なことではないかと」


 俺の言葉に元帥は不満げな表情を浮かべる。せっかく大勝利を喜んでいるのに水を差すなという感じなのだろう。


「確かにその通りだが、我が第三軍団の精鋭たちなら不可能ではなかろう。ここでこの城を奪えれば、王国の西と南は我が国のものだ。ヴィントムントの商人組合ヘンドラーツンフトを屈服させれば、王国と皇国の資金源を断つこともできる。少々の犠牲には目を瞑らねばならんだろう」


 元帥の言っていることは間違っていないが、帝国の戦略としてグライフトゥルム王国を占領する優先順位は低い。まずはリヒトロット皇国を確実に降伏させ、その版図を手中に収めた後に、王国を切り取るべきなのだ。


「ここを押さえておけば、リヒトロット皇国への援軍は出せません。この事実を大々的に公表すれば、ゴットフリート殿下への大きな支援となります。無理をする必要はないのではありませんか?」


 俺が否定的な意見を言うため、更に元帥の機嫌が悪くなる。以前なら怒鳴りつけてきたが、さすがにそのようなことはなかった。


「それは分かるが、絶好の機会なのだぞ。ここで我らがこの要衝を奪取すれば、王国軍に対処するよう命じた殿下の功績にもなるのだ。卿も見ただろう。王国軍の兵士は弱兵揃いだ。彼らが相手であれば、短期間で突破は可能だ」


「弱兵とおっしゃいますが、殿しんがりを守っていた部隊は手強い者たちでした」


 浮橋での戦闘を見る限り、あの部隊が城壁を守れば、城壁の下に我が軍の兵士の死体の山ができることは間違いない。

 しかし、元帥の見立ては違った。


「そうとも言い切れまい。腕は立つが、最後の最後で逃げ出していたではないか」


 元帥が到着した時、既に浮橋の上での戦いとなっており、最後には恐怖に負けた兵に引きずられて戦線が崩壊していた。

 だが、その前までは頑強に抵抗していたので、元帥の言葉に素直に頷けない。


「おっしゃる通りですが……」


「敵を前にして武器を捨てて逃げるような兵に、我が軍の精兵が後れを取るはずがない。それよりも敵が動揺している間に、一気呵成に攻めるべきだ。第一師団が臆病風に吹かれるなら、第二、第三師団に任せる。卿らは東岸に戻り、休息を摂っておれ」


 その言葉に怒りを覚えた。


「我が師団に臆病者はおりません! 今の言葉は撤回していただきたい!」


「ならば、実戦で見せてみよ。準備ができ次第、攻撃を開始するのだ」


「はっ!」


 それだけ言うと、俺は部下たちに渡河準備を命じた。


■■■


 統一暦一二〇五年九月六日。

 ゾルダート帝国国境シュヴァーン河河畔。第三師団長オラフ・リップマン将軍


 ケプラーがテーリヒェン元帥と揉め、先陣を命じられた。

 こうなるように予めテーリヒェン元帥に吹き込んでおいたことが、功を奏したのだ。


 以前から私はケプラーのことが気に入らなかった。先任順位でいっても、これまでの功績でいっても、筆頭師団長になるべきは私だったはずだ。それがゴットフリート殿下のお気に入りというだけで、連隊長からいきなり第一師団長に昇進した。


 奴の性格的に積極的に取り入ったわけではないだろう。だが、先任である私に敬意を払う素振りすら見せず、ほとんど意見を求めてこない。

 このことが以前から気に入らず、テーリヒェンと追撃戦を見ている時に、彼を貶めた。


『ケプラー卿はヴェヒターミュンデ城の攻略に反対するでしょうな』


『どういうことだ? 浮橋を確保したのなら攻略の絶好の機会ではないか』


 元帥は意味が分からないという感じで私に反論してきた。


『敵を押し込めたから、これ以上の兵の損耗を抑え、本来の目的である皇都攻略に戻るべきだと主張するはずです』


『うむ。確かに皇都を攻略し、皇国を降伏させることが目的だったが……』


 元帥はこの有利な状況を手放すことを惜しいと思い始めている。


『ですが、皇都攻略は行き詰っていました。このまま戻っても元の状態に戻るだけでしょう』


 迎合するような意見を言うと、露骨に嬉しそうな表情を浮かべる。


『確かにそうだな』


 この程度の男が元帥であることも気に入らないが、今はケプラーを追い落とし、私が栄達することに集中する。


『ですが、ヴェヒターミュンデ城を陥落させればどうでしょうか? 王国軍を追い払ったという話より、王国の重要な城を落としたという話の方が皇国の者たちの心を折ることができるはずです。それにここは守りに適した城です。陥落させた後、一個連隊を守備に置けば、残りは皇都攻略作戦に向かえるのです。城の攻略に多少時間は掛かりますが、より確実に皇国の心を折ることができるのならば、やるべきではないでしょうか』


 私の言葉に元帥は大きく頷いた。


『リップマン卿の言う通りだ』


『先鋒は我が第三師団が承ります。やる気のないケプラー殿では時間ばかり掛かりますから』


 そう言ったものの、ケプラーに先鋒を押し付けるつもりでいる。第一師団は優秀な兵が多く、王国軍に一定以上の損害を与えられるからだ。王国軍を痛めつけた後、我が師団に代わる。そうすれば、大きな損害を受けることなく、城を落とすことができるだろう。


『ケプラー殿が渋る理由は、これ以上閣下に功績を挙げさせないこともあるのではないかと考えます』


『どういうことだ? ケプラーはそのような男ではないぞ』


 元帥は不機嫌そうな表情を浮かべている。私が同僚を貶めたと思ったようだ。

 しかし、私は表情を変えることなく、淡々とした口調で説明していった。


『もし、ヴェヒターミュンデ城に突入できていたら、彼の武勲が第一位となったことでしょう。しかし、この状態からヴェヒターミュンデ城を攻略しても自らの功績とはなりませんが、今の状態なら浮橋を奪取した功績が最も評価されます』


 元帥は考え込むが、元々二人の仲は悪く、すぐに自分の中で結論を付け、結果として上手くいった。


 しばらくして、第二師団長のエルレバッハ殿がフェアラートから麾下の師団を率いてやってきた。


「浮橋の奪取に成功したようですな。これで目的を達することができました」


 軍略家として名高いエルレバッハなら、こういうだろうと思っていた。というより、私自身、同じことを考えている。


「このままの勢いをもってヴェヒターミュンデ城を攻略する。あの城を落とせば、王国軍も共和国軍も手を出せなくなる。確実に皇国を攻め落とすことができるだろう」


「しかし、危険ではありませんか? 浮橋を破壊されたら、渡河した我が軍は孤立無援となります」


 そのことはケプラーも考えていたし、私も追加の対策を提案してあった。


「浮橋を守る部隊を配置しています。まず小型船が上流で焼き討ち船を阻止。万が一突破された場合は、浮橋の上から兵士たちが長い竿で浮橋に接触しないよう押し留めます。焼き討ち船は川の流れに任せてくるだけですし、敵兵が乗っているわけではないので、燃え尽きるまで離しておけるでしょう」


「木製といってもすぐには燃え移らぬか……」


 エルレバッハは私の策が有効か考えている。


「確かにそれならば問題はなさそうですな。幸い、王国軍が運び込んだ破城槌がありました。我々がここに来なければ、更に東の都市を攻撃するつもりだったのでしょう」


 破城槌があったことは僥倖だ。

 フェアラートから王国側に攻め込む計画はなく、攻城兵器は用意されていないと思っていたためだ。


「それは運がよかったな」


 元帥も同じように考え、喜んでいる。


「ですが、大型のものですから、対岸に運ぶには時間が掛かります。その間は城壁への強襲のみになりますから、かなり厳しい戦いになるでしょう」


 城壁への攻撃については考えがあった。


「あの城は対大型魔獣ウンティーア用の古い城です。そのため、円形の城壁となっています」


「それがどうしたというのだ?」


 元帥が口を挟んできた。


「円形の城壁の弱点は、城壁の真下に入れば横から攻撃しづらいことです。横から矢を放っても、城壁の曲率によって死角ができるからです。つまり、真上からの攻撃だけを気にすればよく、範囲が狭くとも数で圧倒される恐れは少ないと考えます」


 エルレバッハが頷いた。


「なるほど。そうなると、兵の質が重要になってくるということですな。それならば勝ち目は充分にありますな」


 これで方針が確定した。

 第一師団が最初に攻撃を加え、我が第三師団が後ろで控えて、第一師団が疲れたところで交替する。第二師団は浮橋の警備と敵の別動隊に対しての警戒を行うこととなった。


 しかし、ケプラーは攻撃をすぐに始めなかった。

 彼は準備が整うまでは橋頭堡の防備を固め、日が落ちてから攻撃を仕掛けると言った。


 テーリヒェン元帥も日中に攻撃を仕掛けるより、夜襲の方が成功率は上がると考え、それを承認した。

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