第59話「ヴェヒターミュンデの戦い:その一」
統一暦一二〇五年九月六日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、物見塔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
フェアラートからの撤退が完了した。
足の遅い部隊は予めヴェヒターミュンデ城に退避させてあったため、三個騎士団一万五千名という大軍であったが、戦死者十名、重軽傷者二十名程度と損害は非常に軽微だ。
また、今回の作戦の目的である、ゾルダート帝国第三軍団をこの城に引き付けることにも成功しつつある。
帝国軍は第一師団のうち、半数の約五千名がグライフトゥルム王国側である西岸に渡河を行い、浮橋の確保しつつ、警戒を行っている。
今は動きがないが、フェアラートからロープや梯子、更には我々が故意に残しておいた破城槌を運んでいることは確認しており、準備ができ次第、攻撃を開始するはずだ。
対する我が王国軍はヴェヒターミュンデ騎士団五千が城壁の上で待機し、迎え撃つ準備を終えている。
私はイリスや騎士団長たちと共に城壁の上にある物見塔から、敵の動きを見ていた。
「いつ攻撃を仕掛けてくると、君は考えているのだ?」
城主であり、ヴェヒターミュンデ騎士団の団長でもある、ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵が質問してきた。
「指揮を執っているのは第一師団長のウーヴェ・ケプラー将軍ですから、拙速な攻撃は仕掛けてこないでしょう。恐らく今日の日中は準備に費やし、今夜から夜襲を含めた攻撃を仕掛けてくるのではないかと思います」
「
「ケプラー将軍は勇猛果敢な武人ですが、無謀な攻撃を行ったという報告はありません。戦術家としての能力はゴットフリート皇子だけでなく、名将と名高い皇帝コルネリウス二世も認めているほどです。兵の損失を抑えつつ、あらゆる手を使って攻めてくるでしょう」
ヴェヒターミュンデ伯爵は私の答えに頷いたが、総司令官であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵が質問してきた。
「君ならどういった手を使って、この城を攻めるかな?」
この質問は想定していたので、ある程度は考えてある。
「夜になったら城門付近に兵を集中させ、破城槌を使って強引に突破しようと見せかけますね。この城は円形の城壁ですから、側面からの攻撃は受けないように、一気に接近させるでしょう。こうやって城門に守備側の目を引き付けておき、その上で精鋭部隊を海岸側や湿原側に回します。海岸も湿原も軽装の兵なら移動は可能ですから」
ヴェヒターミュンデ城の北側はシュトルムゴルフ湾だが、城壁が岸壁のような作りになっており、海に入らなければ西側に回り込めない。湿原も同様で城壁沿いに小川が流れており、回り込もうとすると、腰まで水に浸かってしまうことになる。
しかし、水に入ることを前提としておけば、数十名程度の兵なら西側に移動できないわけではない。そこからロープを使って城壁を登れば、奇襲は可能なのだ。
「しかし、我々も無警戒ではないぞ。昔のように兵の数が二千程度と少数ならともかく、今は四個騎士団、二万名近い兵がいるのだ。城壁の上にぐるりと兵を配置することは難しくない」
その意見も想定していた。
「確かにその通りですが、敵の狙いはこちらの疲労です。攻撃側は主導権を握れますから、好きな時に攻撃できますが、守備側はそれに都度対応しなくてはなりません。兵は交替で休息を摂ることができても、司令官は緊張を強いられ続けます。それによって疲労が蓄積し、ミスを冒す可能性は否定できません」
その説明にグレーフェンベルク伯爵は納得しなかった。
「ここには四人の騎士団長がいるのだ。敵も四個騎士団がいることは分かっている。私だけを狙って疲弊させる策を採るとは思わんのだが」
そこで笑みを浮かべて答える。
「それは王国側から見ているから、そう思うのですよ」
「どういうことだ?」
伯爵は怪訝そうな表情を浮かべている。
「帝国軍から見れば、警戒すべき指揮官はグレーフェンベルク閣下ただ一人と考えていてもおかしくはありません。ヴェヒターミュンデ閣下には失礼かと思いますが、知名度が違い過ぎますので」
そこでヴェヒターミュンデ伯爵が話に加わる。
「言わんとすることは分かるぞ。私にしてもマンフレートにしても実績がない。特に私の場合はヴェヒターミュンデ伯爵であるから騎士団長に任命されたと考えるのが自然だ」
ややこしい話だが、ヴェヒターミュンデ騎士団はエッフェンベルク騎士団やノルトハウゼン騎士団のように伯爵家に属しているわけではない。この騎士団は王国騎士団やヴェストエッケ守備兵団と同じく、王家直轄の兵団なのだ。
慣例としてヴェヒターミュンデ伯爵が騎士団長になることが多いが、あくまで慣例であって決まったものではない。特に帝国と国境を接してからはヴェヒターミュンデ城の重要性が増し、騎士団も強化されていることから、別の貴族が司令官になる可能性は充分にある。
今回はヴェヒターミュンデ伯爵が適任ということで騎士団長になっているが、帝国が自動的に就任したと誤認してもおかしくはない。
第三騎士団のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵だが、彼は実戦経験がないわけではないが、騎士団長としての実績は皆無だ。
二人とも王国騎士団改革で抜擢されるほど優秀なのだが、帝国側が彼らの実力をどこまで把握しているかについては疑問がある。
「特に今回はグレーフェンベルク閣下のお名前でいろいろと策を講じてきました。皇国軍が帝国の予想に反して善戦していることも、閣下の入れ知恵によるものと考えているでしょうから、閣下が常に指揮を執らなくてはならないように、いろいろと手を打ってくるのではないかと思います」
そこでグレーフェンベルク伯爵が苦笑する。
「皇国への支援を考え始めたのは今年の三月頃だ。その頃から既にここで戦いも見据えていたのか……」
その言葉にヴェヒターミュンデ伯爵が目を見開いている。私は慌てて否定にかかる。
「それは買い被りですよ。誰がここに攻めてくるかなんて、あの当時に分かるわけがないのですから」
そこでイリスが口を挟む。
「それでもグレーフェンベルク閣下の名声を利用するつもりはあったのでしょ?」
彼女の言う通り、今回のリヒトロット皇国支援作戦は、グレーフェンベルク伯爵の名声を利用しているところが多い。
「それはそうだけど……」
「では、そのうち君自身の名声を利用することになるだろうな。そろそろ君の名も売れ始めているようだから」
ヴェヒターミュンデ伯爵がそう言いながら笑っている。
そんな話をしていたが、後ろから声が掛かった。
「マティアス様、フェアラートに潜入している
情報収集を任せている
変な方向に話が進んでいたので正直ほっとしているが、すぐに気を引き締めなおす。
「どのような情報ですか?」
「エルレバッハ将軍が町の中の調査を命じました。今のところ、我々が発見される可能性は低いですが、駐屯地の細工を看破される恐れがあるとのことです」
第二師団のホラント・エルレバッハ将軍は、皇帝やマクシミリアン皇子ほど視野は広くないが、さまざまな戦術を駆使する沈着冷静な知将だ。戦術家として今回のことに違和感を覚え、調査を命じたとしてもおかしくはない。
「何かがおかしいと気づいたようですね」
これほど早く動かれたことに苦々しい思いが沸き上がる。
私と同じようにグレーフェンベルク伯爵も表情を曇らせていた。
「小細工に気づかれたら、不味いのではないか?」
総司令官が不安に思うと全体の士気に関わると思い、無理やり笑みを作って余裕を見せる。
「確かに良い状況ではありませんが、テーリヒェン元帥を相手にすればよいだけです。元帥は直情的な性格ですし、ヴェヒターミュンデ城という極上の獲物がいる状況で撤退を決断することはないでしょうから。それにリッタートゥルムの水軍は既に出撃していますから、最悪の場合は浮橋を焼き払ってしまえばいいだけです」
浮橋を焼き払うためにリッタートゥルム城にいる水軍を使うことにしていた。そのため、昨日のうちに長距離用の通信の魔導具を使って出撃要請を行っており、今日中に短距離用の通信の魔導具が届く二十キロメートルほどの位置に待機することになっている。
そう言いつつも手を打っておいた方がよいと考え始める。
「こちらから打って出ましょう。少数の騎兵部隊で奇襲を行い、こちらが橋頭堡を作られるのを嫌がっていると思わせれば、テーリヒェン元帥なら攻撃を取りやめることはないでしょう」
「大丈夫なの? 相手はケプラー将軍よ」
イリスの疑問に小さく頷く。
「警戒が厳しければ、弓の射程外で引き返せばいい。敵に騎兵はいないのだから。要はこちらが妨害に出ようとしていると思わせればいいだけだ」
この策はすぐに実行された。
但し、あまりに消極的では疑われると思い、馬を走らせながら弩弓で攻撃を加えている。
碌に照準もつけずに放つため、命中率は低い。ただ、密集しているところに撃ち込むため、不運な敵兵に当たっており、敵はこちらが出撃するたびに作業の手を止めていた。
何度かそれを繰り返したが、敵の警戒が強くなったため、取り止めている。
そして、日が沈む直前、破城槌が帝国軍陣地に到着した。
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