第60話「ヴェヒターミュンデの戦い:その二」

 統一暦一二〇五年九月六日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城外。第三軍団第一師団長ウーヴェ・ケプラー将軍


 日は大きく傾き、空は茜色に染まっている。時折風が吹くが、夏の名残の熱風から涼やかなものに変わっていた。

 俺もシュヴァーン河を渡り、築いた橋頭堡の中に入っている。


 当初はすぐに到着すると思われた破城槌だが、台車が破損し、その修理に時間が掛かったため、夜襲にギリギリ間に合うタイミングでようやく手元にきた。


 それでも攻城兵器があるというだけで、部下たちの士気は大きく上がっている。

 俺も彼らに合わせて満足そうな表情を作っているが、内心はその表情とは程遠い。


 理由はこの破城槌が役に立たないと思っているからだ。

 この破城槌だが、荷馬車に大きな柱を載せただけの代物で、上からの攻撃に対して無防備だ。


 河畔から城までは緩やかな上り坂で、更に柔らかい砂地になっている。重装歩兵に押させるつもりだが、投石器の射程内を抜けるのに五分程度は掛かるだろうから、歩兵たちに大きな被害が出るだろう。


 その被害をものともせずに城門に迫ったとしても、頑丈な扉を破壊するには時間が掛かる。その間に上から油や石を投げ落とされたら、対処のしようがない。


 兵たちには悪いが、破城槌は囮として使うつもりでいた。

 敵の目は巨大な破城槌に向くだろうから、その間に城壁に取り付いて突破口を開き、そこを起点に城の中に侵入する。


 城壁は円形であるため、一箇所を占領できれば、兵を登らせる最中に狙撃される恐れが小さくなる。そうやって兵を少しずつ城壁の上に送り込めば、質に勝る我が師団の勝ちは揺るがない。


 問題があるとすれば、この程度のことは敵の総司令官であるグレーフェンベルクも理解しているということだ。彼が何も手を打たないということはないだろうし、どのような手を使ってくるか、俺には全く想像できない。


 このことについては軍団長であるテーリヒェン元帥にも伝えてあり、今夜中に城を陥落させることは難しく、敵の疲労を誘う戦法を採るべきだと進言している。


 元帥も容易に突破できないことは理解しており、第一師団が夜半過ぎまで攻撃を加えたら、第三師団に交代することが決まっていた。


 恐らくだが、第三師団の攻撃でも城壁の一部を確保することが精一杯であり、明日には再び我が師団の出番になるはずだ。


「攻撃準備完了です」


 副官が後ろから報告してきた。

 振り返ると、浮橋を警備する兵士たちが持つ灯りの魔導具の光が見えた。シュヴァーン河の川面に映り、思った以上に美しい光景だ。

 そのことに一瞬心を奪われたが、すぐに切り替える。


「攻撃を開始せよ。第一連隊前へ!」


 俺の命令に整列していた第一連隊二千五百名が一斉に前進する。

 ヴェヒターミュンデ城の東側で湿原や海岸に接していないところは、城門を中心に左右四百メートルほど。そのすべてに攻撃隊を送り込む。


「破城槌は出さぬのか?」


 いつの間にか前線近くまでやってきたテーリヒェン元帥が後ろから聞いてきた。


「まずは様子見です。敵がどの程度の対応をしてくるかで、投入時期を決めるつもりです。敵の抵抗が激しいようなら、第三師団に譲ることも考えています」


「様子見が必要な敵とも思えぬが……まあよい。卿に任せておるからな」


 まず、敵の投石器の規模が分からない。

 動きの速い歩兵なら散開すれば被害を抑えることはできるが、回避ができない破城槌では投石器の攻撃に耐えられない可能性が高い。


 そのため、投石器の攻撃がどの程度の密度なのかを確認しなければ、破城槌を使う気になれなかった。

 この程度のことも理解できないのかと呆れるが、言い返すことなく頷くだけで済ませる。


 予想通り、敵の攻撃は激しいものだった。

 兵士の掲げる軍旗からこの城の守備部隊であるヴェヒターミュンデ騎士団であることは分かっていたが、思った以上に精鋭であることに驚きを隠せない。


(西のヴェストエッケ城と並ぶ最重要拠点だから当然かもしれんが、早々に攻略を諦めて皇都方面に戻った方がよさそうだな……いや、引き返すと見せかけて敵を引きずり出し、野戦で決着をつけるというのもありかもしれん。いずれにせよ、元帥が諦めるまで、無駄な攻撃が続くことになるな……)


 この時俺は敵の思惑が第三軍団を皇都リヒトロットから引き離すことだと思っていた。

 後にそれが間違いだったと思い知らされることになる。


■■■


 統一暦一二〇五年九月七日。

 ゾルダート帝国国境シュヴァーン河河畔。第三軍団長ザムエル・テーリヒェン元帥


 第一師団がヴェヒターミュンデ城を攻撃し始めてから七時間ほど経った。

 既に日付は変わり、七日になっている。


 私は第一師団長のウーヴェ・ケプラーに前線指揮を任せ、シュヴァーン河東岸に戻っている。

 定期的に報告が入るが、この七時間、戦況は全く変わっていなかった。


「ケプラーは何をしておるのだ! せっかく送り込んだ破城槌も使わず、手を拱いているとは」


 そこで横に立っている第三師団長オラフ・リップマン将軍が、私を宥めるように声を掛けてきた。


「思ったより精鋭であったのでしょうな。ですが、第一師団も徐々に押しているようです。万全な状態の我が師団が加われば、朝までには決着が着くでしょう」


「そうだな。では、リップマン卿、第一師団と交代してくれたまえ」


 しかし、彼は別の提案をしてきた。


「敵に休息を与えてはなりません。幸い対岸に充分なスペースがあるようですから、このまま渡河を行い、攻撃が途切れないようにいたします」


 橋頭堡である対岸は狭く、本来であれば、一個連隊ずつ交代していくことが望ましいが、それをやっていると時間が掛かるし、攻撃の手も緩む。師団長が充分なスペースが確保できていると判断したのであれば、問題ないと了承した。


「よかろう。ケプラーから指揮を引き継いでくれたまえ。期待しているぞ」


 私の激励にリップマンは大きく頷く。


「閣下のご期待を裏切らぬよう、最善を尽くします」


 リップマンはそれだけ言うと、麾下の第三師団に命令を出しながら浮橋に向かった。


 浮橋には第二師団が配置した警備の兵が等間隔に並び、灯りの魔導具で周囲を照らしている。そのため、不安定な浮橋であっても充分な照度が確保できており、渡河に支障はない。


 開始から一時間ほどで、第三師団は無事に渡河を終えた。

 月明かりが弱いため、対岸の様子は見えないが、灯りの魔導具が無駄に揺れるようなこともなく、問題は起きていないように見える。


(ここでは状況が分からぬな。師団長に任せるべきだが、私も前線に向かった方がよいかもしれんな……)


 そう考え、周辺の警備の指揮を執る第二師団長のホラント・エルレバッハ将軍の司令部に向かった。


「ここにいても城攻めの状況がよく分からぬ。私も司令部を引き連れて渡河するつもりだ」


 私の言葉にエルレバッハは首を大きく横に振る。


「ケプラー殿とリップマン殿が揉めているならともかく、閣下が軽々しく動くことはお勧めいたしません」


 その言葉に引っかかりを感じ、僅かに気分を害した。


 昨日の午後、エルレバッハからフェアラートの町で調査を行った結果、王国軍の撤退が計画的であったという報告を受けている。


 その際、彼は王国軍兵士が放置した装備が我が軍の物であり、我々を油断させヴェヒターミュンデ城に引き付ける策だと断言した。更に皇都に戻るよう進言してきた。


 しかし、私はこの絶好の機会を失いたくないと彼の進言を蹴った。そのことで彼が根に持っているのではないかと勘繰ったのだ。


「どういうことだ? 私が行っても邪魔になると言いたいのか?」


 エルレバッハは私に対して含むところはないようで、笑みを浮かべている。


「邪魔になるということはありませんが、第一師団から第三師団に交代するだけです。それに攻撃目標は変わりようがありませんから、軍団長自らが指揮するような事態ではないでしょう。ここは前線の指揮官を信頼し、任せるべきではありませんか」


 確かに軍団長が出しゃばる場面でもない。

 ゴットフリート殿下からも軍団長なら師団以下のことは方針を示すだけで、できるだけ口を挟まぬ方がよいと言われている。


「確かにエルレバッハ卿の言う通りだな。私はここでどっしりと構え、彼らの手に余る状況になった時に対応できるようにしておいた方がよい」


「その通りです。そろそろ閣下も休息なさってはいかがですかな。今日は、いえ既に昨日ですな……昨日は早朝よりフェアラートを解放し、更に渡河まで行ったのです。この状況で大きく事態が動くことはないでしょう」


 知将と言われるだけあって、言葉に説得力がある。

 確かに疲労を感じており、それで少し感情的になったのかもしれない。


「そうさせてもらおうか……では、何かあればすぐに連絡してくれたまえ」


 そう言った後、一言付け加える。


「いや、卿も休める時に休んでくれ。卿の知略の冴えに陰りが出ることは避けたいからな」


「そうさせていただきましょう」


 私は司令部に用意してある天幕に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る