第61話「ヴェヒターミュンデの戦い:その三」
統一暦一二〇五年九月七日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、城主館。第二騎士団参謀長エルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵
ゾルダート帝国軍がヴェヒターミュンデ城への攻撃を開始してから八時間弱、日付は既に七日に変わっている。
ヴェヒターミュンデ城を守っていたヴェヒターミュンデ騎士団だが、精鋭である帝国軍の猛攻を受け、五時間ほどで疲労の色が濃くなった。そのため、現在は第三騎士団が代わって敵の攻撃を受け止めている。
交代する際に隙を突かれそうになったが、ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵と第三騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵の見事な連携で、城壁を奪われることはなかった。
第三騎士団にも疲労によって精彩を欠き始めてきたため、第四騎士団に交代する準備を始めたところだ。
ちなみに私がいる総司令部も四時間交替で回している。
クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵が指揮を執っている時は主にイリス・フォン・ラウシェンバッハ作戦参謀が補佐し、参謀長である私が司令部を預かっている時はマティアス・フォン・ラウシェンバッハ参謀長代理が補佐してくれている。
もちろん、他の参謀もいるが、彼らほど明確に状況を把握し、的確に助言をできる者はいない。私を含め、参謀の質を上げることが課題だと思い知らされている。
私とマティアス君が総司令部に詰めている時に事態が動いた。
情報収集を担当する
「敵第三師団が渡河を開始しました」
その報告に私は頷いた。
「敵も遂に交代するようだな」
私がそう言ったが、マティアス君は気になることがあるのか、私ではなく、ユーダに視線を向けた。
「第一師団に動きはありませんか?」
「城壁への攻撃は続行中です。確認できる範囲では橋頭堡内にも大きな動きはございません」
マティアス君は小さく頷いたが、考えに没頭しており、無言のままだ。
「何か気になることがあるのかな?」
私の質問に彼は小さく頷く。
「テーリヒェン元帥が焦れたのかもしれません……これは絶好の好機になるかも……すぐにグレーフェンベルク閣下に来ていただきましょう!」
いつも冷静な彼が珍しく、興奮気味に話すことに驚くが、すぐに司令部付きの伝令に命令を出す。
「グレーフェンベルク閣下に至急協議したいことが発生したので、ご足労願いたいと伝えてくれ。それから司令部要員は全員召集しろ」
私の命令で伝令たちが動き始めた。
司令部が慌ただしくなったが、私にはやることがない。そこで気になっていたことを聞いた。
「何が起きそうなのか教えてくれないか」
マティアス君はいつもの笑みを浮かべ、小さく頷く。
「恐らくですが、第一師団のケプラー将軍と調整せずに第三師団を投入したのだと思います。あの狭い場所に二個師団を投入することは百害あって一利なしですので、交代するにしても本来なら一個連隊ずつ入れ替えるはずです。しかし、第一師団に動きはなく、第三師団が渡河を開始しました。帝国軍の三分の二があの狭い場所に閉じ込められるのです。それも碌に物資も持たずに」
そこで彼の言いたいことがようやく分かった。
「敵が混乱している間に浮橋を焼き払えば、帝国軍は袋のネズミになる。無理に攻撃を仕掛けてきたとしても、今以上に戦力は投入できないから、こちらはじっくりと腰を据えて対処すれば、食糧も少ないだろうから、勝手に自滅してくれるということだな」
「その通りです。グレーフェンベルク閣下がいらっしゃったら、すぐにリッタートゥルム守備隊の水軍に連絡を入れて、浮橋を焼き払いましょう」
リッタートゥルム守備隊の水軍は昨日のうちに近くに来ており、一時間程度で浮橋に到着できる。深夜だが、この河のことはよく分かっているため、行動に支障はないらしい。
グレーフェンベルク伯爵は十分ほどで司令部に到着した。
「何があったのだ?」
その問いは私ではなく、マティアス君に対するものだった。
「私ではなく、参謀長に聞くべきですよ」
彼はそう言いながら、苦笑を浮かべている。
指揮命令系統からいえば、彼の指摘は正しいのだが、伯爵の気持ちはよく分かる。私も一番確実に答えてくれる人物に質問したいと考えるからだ。
伯爵も同じことを考えたのか、苦笑しながら私に視線を向けた。
「すまんな、エルヴィン。で、状況はどうなのだ?」
「帝国軍が動き出しました。第三師団が渡河を開始しましたが、第一師団は攻撃を継続しており、交代する動きが見えません。ラウシェンバッハ参謀長代理の考えでは、テーリヒェン元帥が焦り、総攻撃を命じたのではないかとのことです。これによりこちら側にいる帝国軍に混乱が起きる可能性が高く、この機を逃さず浮橋を焼き払ってはどうかと彼は考えております」
「なるほど。大きな混乱が起きなくとも、この機に浮橋を焼き払えば、第一師団と第三師団のほとんどを、あの狭い場所に閉じ込められるということだな。すぐに水軍に焼き討ち作戦開始を依頼しよう」
私の拙い説明でも伯爵は理解してくれたようだ。すぐに通信の魔導具が用意され、水軍の指揮官に伝達される。
このスムーズな情報伝達手段を導入しただけでもマティアス君の凄さが分かる。
これまでの戦いでは好機と思っても、足の速い騎兵を使っても時間差が必ず生まれ、タイミングを逸することが多かった。また、伝令が殺され伝達できず、作戦自体が成立しない可能性は常にある。しかし、通信の魔導具を使えば、瞬時に命令が伝えられるため、その心配が全くない。
「一時間ほどでここに到着できるそうだ」
伯爵の言葉で、帝国軍が強引な行動に出た理由が何となく理解できた。彼らも偵察により、十キロメートル圏内に水軍や焼き討ち船がないことを把握している。
仮に焼き討ちを仕掛けてくるとしても、暗闇の中で伝令を送ることになるから、これほど短い時間で攻撃を受けるとは思っていないはずだ。
「水軍が到着するまでに、こちらでやっておくことはないか?」
伯爵が私に聞いてきたが、何も思いつかず、マティアス君に視線を向けることしかできなかった。
彼は既に考えてあったのか、すぐにその問いに答えていく。
「第一師団への攻撃を強めましょう。これまでと同じ戦いでは敵も兵を下げられるでしょうが、矢の消耗を無視して攻撃を加えれば、おいそれとは後退できません。そうなれば、第三師団も前に出られませんから、あの狭い場所で動きが取れなくなるはずです」
「いいだろう。第三騎士団にはその旨を伝えてくれ。イリス、悪いが君は城壁に上り、マンフレートに状況を説明してほしい。その後はそのまま彼の補佐も頼む」
イリス嬢は明るい声でそれを承諾する。
「承りました。では特等席で見させていただきますね」
ここ最近で分かったことは、彼女も天才だということだ。マティアス君の考えを最も理解し、更に新たな視点で提案する能力は異才といっていい。そのため、伯爵も彼女のことを全面的に信頼している。
彼女が出ていく時、黒い装備を身に纏った獣人兵五名が付き従っていた。彼らの実力を知っているので、護衛として使うだけではもったいないと思っている。
「前線の指揮はマンフレートとイリスに任せ、我々は浮橋を焼き払った後のことを考えよう。エルヴィン、まずは君の意見を聞かせてくれ」
参謀長であるため、最初に意見を聞かれるが、そこまで気が回っておらず、どう答えていいのか悩み、言葉がなかなか出てこない。
十秒ほど沈黙した後、思いつくことを話していく。
「こちら側に切り離された帝国兵が死兵となる可能性があります。危険を顧みずに攻撃してくる敵ほど恐ろしいものはありませんから、前線の指揮官や兵に気圧されるなと伝えておくべきでしょう」
「そうだな。それに湿原や海を強引に突破しようとする可能性がある。万が一越えてきた者がいたら厄介だ。城の西側に兵を配置しておいてもよいかもしれんな。マティアス君、君はどう考える?」
私の考えは大きく間違っていなかったようで、心の中で安堵する。
マティアス君はいつも通りの感じで考えを説明していく。
「城に対してはその対応で問題ないと思います。あとは焼き討ちを終えた水軍に、敵が強引に川を渡ることがないよう見張らせましょう。泳ぎが達者な者がそれほど多いとは思いませんが、川の中央に水軍の船がいれば、孤立感はより強くなりますから」
「確かにそうだな」
伯爵と私は同時に頷いた。
彼は更に説明を続けていく。
「心理的に追い詰めた上で猛攻を凌ぎ、敵の指揮官と兵の心を折ります。乾坤一擲の決死の行動が無駄だと分かれば、どのような強靭な精神の者でも心が折れますから、意外にあっさり降伏してくれるかもしれません。まあ、これは私の希望に過ぎませんが」
マティアス君は相手の心理を読んで策を提示することが多い。凄いとは思うのだが、私にはそこまでのことはできないので、あまり参考にはならない。
「いいだろう。敵が無謀な攻撃を仕掛けてくれば、交代することは難しい。第三騎士団の負担を少しでも軽くするため、第四騎士団には少し早めに準備させ、いつでも支援できるようにさせよう。降伏の条件と勧告する時期については、ラウシェンバッハ参謀長代理に任せる。あとで提案してくれ」
「承知しました。もっとも無条件降伏以外に認める気はありません。それを不服と考えて少しでも抵抗してくれる方が助かります。何と言っても敵の数は多いですし、既にフェアラート守備隊だった捕虜もいますから」
そう言ってニコリと微笑むが、手に余る敵兵は間引いてしまえと言っており、その微笑みとのギャップに背筋がヒヤリとする。
「半数でも一万だ。フェアラートの守備隊は三千。それだけでも一万三千と手に余る気がするが、捕虜にした後のことは考えてあるのか?」
私も同じ疑問を持った。
ヴェヒターミュンデ城にいる我が軍は二万。その六割以上の敵兵を捕虜にすることは危険ではないかと思ったのだ。
「考えていますが、今は後のことより目の前のことに集中しましょう」
「そうだな。少し先走ったようだ」
伯爵はそう言って笑い、私たちは総司令部を出て、城壁の物見塔に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます