第55話「シュヴァーン河迎撃戦:その三」

 統一暦一二〇五年九月六日。

 ゾルダート帝国西部フェアラート東。帝国軍第三軍団第一師団長ウーヴェ・ケプラー将軍


 国境の町フェアラートに到着した。

 敵は油断し切っており、碌に守りも置いていないように見えた。


 しかし、先鋒を務める第二師団長ホラント・エルレバッハ殿から、城壁の上の兵士は人形で、罠の可能性が高いという報告が来た。


 軍団長であるザムエル・テーリヒェン元帥は俺の進言を受け入れ、決死隊を編成の後、突入させた。


 その間に第二師団の兵士は次々と城壁を登っていく。

 我々後続部隊も城壁の近くまで近づき、中の様子を窺っているところだ。


 城壁の上からは敵に動きがないという報告だけが何度も送られてくる。

 突入してから三十分ほど経ったところで、決死隊からの伝令がやってきた。


「フェアラートの町の中に敵兵の姿は見えません。住民に話を聞くと、我が軍の接近の知らせを聞いて、慌てて逃げ出したとのことです」


「逃げ出しただと……」


 元帥がどう考えていいのか分からないのか、独り言のように呟いている。

 俺はそれを無視して報告に来た伝令に質問した。


「駐屯地の様子はどうだ? 天幕などは残されていたか?」


「ありました。ずいぶん慌てていたようで、作りかけの朝食が残っていました。酷いところでは兜や鎧、剣まで残されていましたね。我が軍なら懲罰ものです」


 どうやら敵は本当に油断していたらしい。但し、誰か知恵者がいて、こちらの動きを制限させようと、予め策を仕込んでいたようだ。

 そのことを手短に元帥に説明した後、追撃を進言した。


「敵は本当に油断していたようです。油断に気づいた者が、念のため策を講じておいたのでしょう。それはともかく、これは追撃の絶好の機会です。すぐに騎兵を送り出しましょう」


 元帥は俺の言葉に力強く頷く。


「うむ。では、第一師団と第三師団の騎兵で追撃を行う。指揮はケプラー卿、卿に任せる。第二師団はフェアラートを確保せよ。リップマン卿は歩兵を指揮して周辺を警戒しつつ、追撃に加われ」


 妥当な命令だ。

 逃げ出したと思っているが、相手はグレーフェンベルクだ。こちらが追撃することを想定し、周辺に潜んでおいて側面から奇襲を仕掛けてこないとも限らない。


「承りました!」


 第三師団は城壁を登るつもりで馬から降りていたため、すぐには動けない。

 しかし、俺の師団は騎乗したままなので、このまま追撃に移れる。


「第一師団は我に続け! 第三師団は追撃準備が整えばすぐに我らを追え! 敵はまだシュヴァーン河を渡り切っていないはずだ! 今ならまだ間に合うぞ!」


 攻撃開始からまだ一時間も経っていない。

 それに住民の話では三個騎士団一万五千名の兵がいたらしい。


 シュヴァーン河までは六キロメートルだから、すぐに逃げ出した者たちがようやく河畔に到着した頃だろう。


 しかし、浮橋は二本しかなく、通常の橋とは違って不安定だ。その浮橋を駆け抜けることは難しいから、一万五千の兵のすべてが渡り切るには、到着から一時間ほど掛かるはずだ。


 タイミングによっては、敵を蹴散らしつつ浮橋を確保できる。浮橋を手に入れられれば、ヴェヒターミュンデ城を攻撃できるし、更に上手くいけば逃げ込む王国兵と共に城に突入でき、そのまま城を陥落させることもできるかもしれない。


「一気にヴェヒターミュンデ城を落とせるかもしれんぞ! 気合を入れろ!」


「「「オオオ!!」」」


 兵たちは俺の叫びに雄叫びに似た歓声で応えた。


 スピードを重視するため、狭い町の中は避け、少し遠回りになるが、町の南側を迂回していく。城壁から矢で攻撃される可能性を考え、二百メートルほどの位置を走っていくが、王国兵はすべて退避したらしく、攻撃を受けることはなかった。


「敵に伏兵を置く余裕はない! 行け!」


 兵士たちを鼓舞しながら、自らも高揚していることを感じていた。


■■■


 統一暦一二〇五年九月六日。

 ゾルダート帝国西部フェアラート西。ハルトムート・イスターツ大隊長


 帝国軍が攻めてきた。

 前日に敵が早朝に攻めてくること、その際にはフェアラートの町を放棄することが伝えてあり、王国騎士団に混乱はない。


 更に足の遅い戦闘工兵大隊や輸送大隊などは、昨日の内にヴェヒターミュンデ城に戻っており、騎兵、歩兵、弓兵の三兵種の兵が残っているだけだ。最も遠い駐屯地からでも渡河地点のヴィークまでは七キロメートルであり、走れば一時間ほどで到着できる。


 マティアスの指示でドタバタと出ていったように見せるため、天幕や調理器具、防具や武器まで残しておく。但し、天幕以外はすべてフェアラートの守備隊の備品であり、すべての兵士がいつも通りの装備だ。


 マティアスはこれで敵の指揮官を騙せると自信を持っていた。

 王都にいる時にこの作戦の概要を聞いており、その際にこんな話をしている。


『最初に油断していたように見せかけて、次に罠の可能性を見せる。その時の帝国軍の指揮官の感情はどういったものになると思う?』


『俺ならやられたと思って悔しがるな。特に兵たちの前で、敵は油断していると堂々と宣言していたら、悔しくて頭に血が上るだろう』


 俺の言葉にマティアスは大きく頷いた。


『そうだよね。それでも罠を警戒して調べさせるはず。更に恥の上塗りはしたくないだろうから』


 彼の言葉にラザファムが大きく賛同する。


『そうだな。私なら少々の犠牲には目を瞑って敵を引きずり出し、殲滅してやろうとするだろう』


『俺も同じだな』


 俺たちの言葉にユリウスも無言で頷いていた。


『それで調べたら、やっぱり慌てて逃げていったのだと知ったらどうだろう?』


『俺なら小細工をしやがってと、怒りを爆発させているだろうな』


 正直な思いを話すと、マティアスはニコリと微笑む。


『帝国軍の師団長たちは皆優秀だけど、こういったことには慣れていない。冷静な時なら立ち止まって考えて、おかしな点に気づくんだろうけど、頭に血が上れば視野が狭くなる。王国軍が逃げていると知ったら、無条件で追撃に移るはずだ』


 確かにその通りだと思った。


『追撃させて、どこかに罠を張るのか? その状態なら有効な気がするが』


 同じことを考えたのか、ラザファムが質問する。


『攻撃的な罠は張らない。帝国軍の実力なら伏兵や火計程度では損害を与えられても全滅はしないだろうし、下手に軍を残しておくと逆襲されて、こちらが全滅するかもしれないから』


 確かにその通りだ。仮に一個軍団ではなく、一個師団一万でも、王国騎士団全軍で奇襲を掛けても短時間なら耐え切れる。


『じゃあ、どんな罠を張るんだ?』


 俺がそう聞くと、更に笑みを浮かべたが、それ以上何も言わない。

 イリスに視線を向けると、仕方がないわねという感じで引き取ってくれた。


『私たちの目的は何だったかしら? それを思い出せば、ハルトにも分かるはずよ』


 そこで俺もマティアスが何を考えているのか理解できた。

 敵が我々王国軍を追い払っただけで満足し、再びリヒトロット皇国攻略作戦に戻られたら困る。そのためにここで更に戦いを続けたくなるようにしなければならないのだ。


 そして、目の前で彼の思惑通りに事態が進んでいる。


「走れ! 走れ! 敵は今、南門の近くを通り過ぎたそうだ! このままでは予定の場所より手前で追いつかれてしまうぞ!」


 マティアスが用意したシャッテンたちと通信の魔導具によって、敵の位置はリアルタイムで把握できる。

 部下たちを嗾けつつ、同行する荷馬車の状態を確認した。


「少しでも異常を感じたら放棄しろ! その方がそれらしく見える!」


 俺の大隊は食糧を満載した大型の荷馬車を二十輌ほど引き連れている。これもあとで使うためだが、せっかく手に入れた食糧を奪われないようにしていると見せかける芝居でもある。


「これで生き延びたら、今日の配給酒は倍になるんですよね!」


 御者をしている兵士が大声で話し掛けてきた。


「マティが手配してくれると約束したから安心しろ! それよりももっと真面目にやれ!」


 俺が注意すると、兵士たちはニヤニヤと笑っている。


「お客さんが来たら真面目に演技をしますぜ!」


「俺たちのような一流の役者は客の前じゃないと力が出ないんですよ!」


 などと、ふざけたことを言っている。

 俺の部下はこんな感じの奴が多いが、ちょっと前まではマルクトホーフェン侯爵派のリッケンという奴がいたため、雰囲気が悪かった。


 奴は歩兵小隊の隊長であったため、徒歩での行軍だったが、途中で付いてこられなくなり、ヴィントムントに置いてきた。それ以降は兵たちも以前と同じように伸び伸びとしている。

 ちなみにリッケンは騎士団員としての資質なしという理由で放り出すつもりだ。


 そんなことを話していたが、通信兵のシャッテンが馬を寄せてきた。彼らは馬に乗りながら通信の魔導具が使える。


「マティアス様からの情報です」


 そこで頷くと、シャッテンが無表情で話していく。


「敵の騎兵部隊約五千が後方二キロメートルに迫っているそうです。渡河地点まで辿り着けないようなら、妨害作戦を実行してほしいとのことです」


 ここから渡河地点であるヴィークまでは約二キロメートル。速度差を考えれば、手前で捕捉されることは確実だ。


「了解した。嫌がらせを実行するとマティに伝えてくれ」


 俺はそれだけ言うと、部下たちに命令を出していった。

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