第54話「シュヴァーン河迎撃戦:その二」
統一暦一二〇五年九月六日。
ゾルダート帝国西部フェアラート東。帝国軍第三軍団長ザムエル・テーリヒェン元帥
夜が明けた。
私の目には五百メートルほど先にあるフェアラートの城壁が映っている。
城壁の上には数十名の歩哨がいるが、我々を待ち構えている様子は見られない。更に城門も近隣の農民が出入りするためか、完全には閉じられていなかった。
これで鬱陶しく蠢いていたグライフトゥルム王国軍に、鉄槌を下せると笑みが零れる。
「敵は完全に油断している! 王国軍を蹴散らし、ゴットフリート殿下に勝利を捧げるのだ!」
「「「オオオ!!!」」」
兵士たちが私の鼓舞に歓声をもって応えた。
「全軍攻撃開始!」
先鋒は第二師団だ。
最初は全軍で攻撃を掛けようと思っていたが、珍しく師団長のホラント・エルレバッハが手を上げたためだ。
『敵はグライフトゥルム王国軍一の名将、グレーフェンベルク伯爵です。どのような策を講じてくるか分かりませんので、対応できるように予備は残しておくべきです。それにあの程度の城壁なら一個師団で充分。我が師団にお任せいただきたい』
第三師団長のオラフ・リップマンが出遅れたという顔をしたが、第一師団長であるウーヴェ・ケプラーが賛同し、私もエルレバッハの提案は妥当なものだと考え承認した。
第二師団も半数が騎兵だが、攻城戦であるため、騎兵も馬から降り、徒歩で駆け出している。
その直後、ようやくこちらの攻撃に気づいたらしく、鐘楼の鐘がカーンカーンカーンと激しく打ち鳴らされている。
城壁の上の兵士たちが増援を呼びに行くためか、次々と下に降りていく。
「おかしい……」
横にいる第一師団長、ウーヴェ・ケプラーが眉間に皺を寄せて呟いた。
「何がおかしいのだ? ケプラー卿」
「城壁の上にいる兵士たちです。数人は逃げるように降りていきましたが、ほとんどがこちらの攻撃を見ても動いていません」
「偵察隊から異常の報告は受けていないのだろう? ならば問題はあるまい」
十隊百名の偵察隊を先行して送り込んでいる。特に優秀な者であることは私も知っているし、仮に斥候狩りが行われたとしても、昨夜の暗闇では十隊すべてを見つけ、全滅させることは、王国軍の練度から考えれば不可能だ。
「そうなのですが……いえ、すみません。今は攻撃に専念すべきでした」
ケプラーも同じことを考えたのか、すぐに指揮に専念し始める。
攻撃開始から五分ほどで城門が開けられ、兵士たちが突入していった。
しかし、城壁の上から反撃は一切なく、遠目に見ても第二師団の兵士たちも戸惑っている様子が分かる。
「どういうことなのだ?」
私の疑問に参謀たちが応える前に、第二師団の伝令が走り込んできた。
「城壁の上の兵士は人形です! エルレバッハ将軍より突入を継続すべきか、指示願うとのことです」
その報告に戸惑う。
「人形だと……どういうことだ?」
私の疑問に参謀たちは無言のままだ。
「エルレバッハ殿が突入をためらったということは、罠の可能性があるということですな」
ケプラーが参謀に代わって進言する。
「罠だと……こちらを突入させて、中で攻撃を仕掛けるというのか?」
「そこまでは分かりませんが、閣下のおっしゃる可能性は充分にあるでしょう。あの低い城壁では守り切れぬと考え、市街地に引き込み、路地を使って分断して叩こうということかもしれません」
そこで敵の総司令官グレーフェンベルクのことを思い出した。
「諜報局の調べでは、ヴェストエッケで法国軍の精鋭を城内に引き込み、仕掛けてあった罠で焼き殺したとあったな。その手を使ってきたのかもしれんということか……」
ケプラーも諜報局の報告を思い出したのか、納得するように大きく頷いている。
「確かにその可能性は充分に考えられますな。諜報局が王国軍について調べていなければ、知り得ぬことですから、グレーフェンベルクが同じ手を使ってきたとしてもおかしくはありますまい」
「そうだな……では、ケプラー卿、どうすればよいと考えるか」
罠など食い破ってやればよいと考えたが、ケプラーの顔を立てるために聞いてみた。
ケプラーは僅かに考えた後、ゆっくりと口を開く。
「一個大隊を決死隊として突入させ、その間に城壁を占拠すべきと考えます。敵が決死隊に攻撃を仕掛けてきた場合、一個大隊を失うことになりますが、敵の切り札を潰すことができます。それにあえて城門を開けていたのは、そこから入ってくることを期待したからでしょう。ならば、城壁の上から攻撃を仕掛けつつ、町に入れば敵の裏を掻くことができます」
殿下が私の補佐に付けたことだけのことはあり、即座に策を提案してきた。
私から見ればまどろっこしい策に思えるが、度量を見せるつもりで鷹揚に頷いて承認する。
「確かにその通りだ。エルレバッハ卿に一個大隊を決死隊として突入させ、敵の罠を確認させよ。その間に城壁を確保。敵が決死隊に攻撃を仕掛けてきた場合は、城壁から対処せよ」
伝令が走り出したところで、ケプラーが話し掛けてきた。
「やはりグレーフェンベルクは何か仕掛けてきましたな。しかし、偵察隊が何も気づかなかったということが気になります。王国軍が相手なら十倍の戦力で攻撃を受けたとしても、一騎や二騎は報告に来るはず」
そこでふとマクシミリアン殿下のことを思い出した。殿下は
「
暗殺者ならば、昨夜のような暗闇の中では更に力を発揮するだろう。
「確かにその可能性はありますな。ですが、
ケプラーはまだ考え込んでいるが、今は目の前の戦いに専念すべきだと視線を前方に向けた。
伝令が到着し、再び第二師団が動き始めた。
決死隊の一個大隊がすぐに城門から突入し、残りの兵たちがロープを使って城壁を登り始める。
「ここで見ていても仕方あるまい。第一師団と第三師団も前進させよ」
私の命令を受け、ケプラーも考えを中断し、命令を出していく。
「騎兵はそのまま前進する! 前進開始!」
その命令に疑問が湧いた。
リップマンの第三師団では第二師団と同じように馬から降り、歩兵として前進していたのだ。
「騎兵は馬に乗ったまま、城門から突入させるつもりか?」
「場合によってはそうなるかもしれませんが、城壁を乗り越える必要があれば、その場で馬を降りればよいだけです。それよりも騎兵の機動力を失う方が戦術の幅を狭めてしまいます」
敵は町の中にいるのだから、騎兵の出番はないと思うが、二個師団もあれば充分なので、ケプラーの指揮に文句は言わなかった。
ゆっくりと前進し、城壁まで五十メートルほどの位置まで接近する。
戦闘につきものの喧騒が全くなく、現実感がない。
それでも戦場だと気を引き締めながら、エルレバッハからの報告を待った。
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