第15話「敗軍の将リーツ」
統一暦一二〇三年十一月十三日。
レヒト法国南方教会領、領都ハーセナイ。黒鳳騎士団団長フィデリオ・リーツ
私は八千人強の敗残兵と共に領都ハーセナイの門をくぐった。
半年ほど前の五月中旬に出発した際には、一万七千を超える兵と共に民衆の熱い声援を受けたが、今我々を温かく出迎える者はなく、冷たい視線を感じている。
八月十一日に行われた夜戦での大敗北の後、総司令官であったギーナ・ロズゴニー殿の自裁の後始末や捕虜交換などを行い、八月十六日に北部の拠点クロイツホーフ城を出発した。
兵士たちは、勝利は確実と言われていた戦いにおいて、戦友の半数を失う大敗北という結果に強い衝撃を受け、口数も少なく、足取りも重かった。
馬を失い、私自身も徒歩で移動するしかなく、一日に十五キロメートルほどしか進めないことも多かった。
北方教会領の領都クライスボルンに到着したのは九月の半ば。黒狼騎士団も団長であるエーリッヒ・リートミュラー殿を含め、半数以上の兵を失っており、領都は悲しみと怒りに満ちていた。
鳳凰騎士団の兵は領都の外で待機させたが、私は責任者として北方教会の総主教マルク・ニヒェルマン猊下や神狼騎士団のトップである白狼騎士団長エックバルト・プランティス殿に会う必要があり、北部大聖堂に足を踏み入れた。
『ロズゴニー殿はなぜここにおらぬのか。あれほど自信満々で神狼騎士団の手を借りる必要はないと豪語しておったはずだが』
ニヒェルマン猊下に嫌味を言われる。
『今回の敗北の責任は南方教会と鳳凰騎士団にあると考えている。少なくとも黒狼騎士団の英霊と遺族に対する補償は求めねばならぬ』
プランティス殿はそう冷たく言い放つが、すぐに感情を排した声で付け加えた。
『だが、リーツ殿にこのことを言っても詮無いことだ。同胞として鳳凰騎士団の奮闘に敬意を表するし、帰還に必要な支援を惜しむつもりはない。必要なことがあれば、遠慮せずに言ってくれたまえ』
この言葉は本当にありがたかった。
猛将として名高いリートミュラー殿の戦死の報が伝わっていたため、町や村では非協力的な態度が目立ち、それが兵士たちの士気を更に下げていたためだ。
ニヒェルマン猊下はプラティンス殿を睨むが、これ以上私に嫌味を言っても仕方がないと思ったのか、謁見はそれで終わった。
クライスボルンでは補給の手配などで数日間滞在したが、民衆からの冷たい視線が消えることはなかった。そのため、休養はできたものの、兵たちの士気は更に下がっていた。
クライスボルンから故郷であるハーセナイまではおよそ千キロメートル。
気候的には悪くない時期なのだが、天罰なのか何度も悪天候に見舞われた。
それが理由でもないが、兵士たちは苛立ちを見せるようになった。そのため、些細なことで喧嘩が起きるなど、トラブルは後を絶たなかった。
クロイツホーフ城を出発してから二ヶ月近く経った今日、ようやく領都に戻ることができた。
門をくぐった後、騎士団の駐屯地に到着した。これで兵士たちを無事に連れ帰ることができたと少しだけ肩の荷は下りたが、私にはまだやることがあった。
大聖堂に赴き、今回の報告と責任を取るという仕事が残っていたのだ。
大聖堂に入るが、聖職者や騎士たちが露骨に私を避けている。
これだけの大敗北ということで私の処刑は免れ得ない。そんな私に近づくと自分にまで災厄が襲い掛かってくるとでも思っているのだろう。
不謹慎だが笑みが零れそうになる。大聖堂という神聖な場所で神罰を受けるなら、それはそれでよいと思ったためだ。
しかし、すぐに気を引き締め直し、大聖堂の最も奥にある総主教猊下の執務室に向かう。
執務室の前に着くと、猊下の秘書官である司教が声を掛けてきた。
「猊下は別件でご多忙です。別室でしばらくお待ちください」
「了解した。何時間でも待たせてもらう」
そう言うものの、これが私に対する罰の一環であることは分かっていた。既に数日前に到着の時間と、今後の対応についての協議が必要であることは報告してあるのだ。
この件より重大かつ緊急の案件などあろうはずがなく、シェーラー猊下が腹を立て、私に嫌がらせをしてきたのだと容易に想像できる。
それでも私は甘んじて受け入れるしかない。敗軍の将に待遇について文句を言う権利はないのだから。
一時間ほど待っていると、先ほどの司教が戻ってきた。
「ご案内します」
事務的な態度で私を先導していく。
執務室に入ると、ヘルミン・シェーラー猊下と青鳳騎士団団長であるドミニク・ロッシジャーニ殿が待っていた。
猊下は、普段は作り笑いのような笑みを浮かべていることが多いが、今日は怒りに打ち震えるようにイライラと身体を揺らし、笑みも消えていた。
ロッシジャーニ殿は鋭い眼光で私を射抜くように見ている。但し、これはいつものことだ。
彼は私より一歳年長の四十五歳。そして、私より一年早く団長に就任している。年齢が近く、同じような経歴であるため接点は多いが、今まで深く関わったことがない人物でもある。
「報告書は見せてもらっている。付け加えることはないか」
ロッシジャーニ殿が報告書を片手に私を見つめている。
「言い訳なら聞かんぞ! 貴様らのせいで私の評判は地に落ちたのだ!」
私が口を開く前に猊下が甲高い声で叫んだ。
その言い分に内心で怒りが湧き上がってくるのを感じていた。
そもそも今回の作戦は白鳳騎士団のロズゴニー殿と赤鳳騎士団のプロイス殿の進言を受け、猊下が強引に進めたものだ。
グライフトゥルム王国への侵攻は、国境を接する北方教会が担当することが不文律で決まっているが、今回は強引に割り込む形になった。
割り込んでも勝利が得られれば問題はなかったのだが、結果は大敗北だった。
その報を受けたシェーラー猊下は聖都に呼び出され、釈明を行ったようだが、そこで北方教会のニヒェルマン猊下にこき下ろされた。しかし、反論することができず、その鬱憤を私にぶつけてきた。
怒りを覚えるが、敗戦の責任は私にあるため、それを抑え込む。
「敗戦の責任はすべて指揮官である小職にあります。いかなる処分も甘んじて受ける所存ですが、奮戦した部下たちには寛大なる対応をお願いしたい」
「望み通りにしてやろうではないか!」
「お待ちください、猊下。まだ聴取を終えておりません」
シェーラー猊下が私の言葉に激高して叫ぶが、それをロッシジャーニ殿が遮った。
「あれほどの大軍で秘密兵器まで用いたのに惨敗した無能に、何を聞くというのだ! 敗戦の責任は将にあることは自明だ。本人も処分を望んでいるのだぞ!」
感情的な猊下に対し、ロッシジャーニ殿は冷静さを崩すことはなかった。
「それでも今後のために得られた経験を知見として残す必要があります」
「このような無様な敗北から学ぶことなどなかろう!」
「敗戦ゆえ、教訓は多いのです。それにこのことは軍に関する事項。猊下といえども口出しは無用に願います」
猊下は「ぶ、無礼な」と呟くが、ロッシジャーニ殿の鋭い眼光を受けて口を噤んだ。
ロズゴニー殿とプロイス殿に続き、私が処分されるなら、ロッシジャーニ殿は鳳凰騎士団唯一の将となる。軍事を一手に握るであろう人物を敵に回すことの危険に思い至ったようだ。
「再度問うが、今後の鳳凰騎士団のために残すべき言葉はないのか? この報告書にある集団戦の重要性は貴殿でなければ理解できぬと思うのだが」
報告書には戦闘の経過だけでなく、グライフトゥルム王国軍が強化されていることも書いてある。また、兵たちの命令に対する反応の速さや正確さなど、我が軍に取り込むべき課題も書き連ねている。
ロッシジャーニ殿は報告書をしっかりと読み、私の最後の警告を真摯に受け取ってくれたようだ。
「既に部下たちには伝えております。今後の騎士団再編では彼らの経験を生かしていただければと思います」
「それは敗軍の将である貴殿がなすべきことだろう。部下に後事を託したと言えば聞こえはいいが、要は責任の放棄に過ぎん」
「ロッシジャーニ団長! 貴殿はこの男を許すというのか!」
シェーラー猊下が金切り声を上げる。
「そもそもリーツ殿は今回の作戦に批判的でした。情報を軽視した本作戦では勝利は難しいと発言していたはず。それは猊下も聞いておられたと思いますが、記憶にありませんかな」
猊下はその言葉にたじろぐ。
「そ、そうだが……」
ロッシジャーニ殿は追及していないが、本来作戦を許可した猊下にも大きな責任がある。そのことを指摘されると思い、言葉に詰まったのだろう。
「だが、敗戦の責任があることは事実。その責任を取らせないことは、騎士団の規律を緩ませることになるのではないか」
私は猊下の言葉に頷いた。
「おっしゃる通りでございます。信賞必罰を曲げた軍は必ず弱体化します。小職を厳正に処分することで、引き締めを図っていただきたい」
ロッシジャーニ殿は私の言葉を無視して、猊下に話しかける。
「処刑だけが責任を取る手段ではありません。喫緊の脅威がいないとはいえ、ここでリーツ殿を失えば、鳳凰騎士団が元に戻るには十年ではききますまい……」
「しかしだな……」
猊下が反論しようとするが、ロッシジャーニ殿はそれを無視して言葉を続ける。
「全軍の三分の一を失っているのです。早急な立て直しをせねば、他の教会領から侮られますぞ」
「他の教会領か……」
最後の言葉で猊下は考え込む。
「そこで提案ですが、リーツ殿には、年内は謹慎、数年間は俸給の半額を国庫に返納させる。その上で騎士団の再編と新たな訓練方法を構築し、他の教会領の騎士団に劣らぬようにしてもらう。これが正当な処分だと小職は考えます」
私には甘いとしか思えないが、ロッシジャーニ殿の言い分にも一理あると思い直す。
実際に戦場で戦った者でなければ、改善点を見出しながら改革を進めることは難しいだろう。
また、部下たちは実際に戦っているが、指揮官として全体を見ていたわけではない。命令を受ける者と与える者では視点が違う。そう考えると、私が改革に携わることは合理的だ。
しかし、合理的であっても武人としては納得できない。
私がロズゴニー殿を説得し、堅実な作戦に切り替えることができたならば、これほどの大敗北を喫することはなかった。そう断言できる。
私の努力不足で多くの兵を失ったのだ。その責は負うべきだ。
そのことを口にしたが、ロッシジャーニ殿は首を横に振った。
「私は貴殿に恨まれるような提案をしていると自覚している。私ならロズゴニー殿のように自ら命を絶っただろう。その方が楽になれるのだから。この先、貴殿は生き恥を晒す敗軍の将として蔑まれるはずだ。それに耐えて騎士団を改革していくことは非常に辛いことだろう」
その言葉を受け、私は何も言えなくなった。
結局、私に対する処分はロッシジャーニ殿の提案通りとなった。
私が軽い処分で済んだため、部下たちはほとんど処分されなかった。
ロッシジャーニ殿は鳳凰騎士団のトップである白鳳騎士団団長に就任した後、私に黒鳳騎士団の団長として改革に着手するよう命じた。
私は多くの兵を失った罪を償うため、鳳凰騎士団の改革に邁進することを誓った。
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