第11話「リッタートゥルム街道」
統一暦一二〇五年三月三十日。
グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ラウシェンバッハ子爵領に入ってから六日目。
当初は私が王都を追放され、領地で謹慎するということで、家臣や領民がざわめいたが、ようやく落ち着いてきた。そのため、今日からリッタートゥルム城に向けて出発する。
と言っても、正直に行き先を告げるわけではなく、この機会に領内を見回ると公には言ってある。特に獣人族入植地をじっくりと巡るため、領都に戻ってくるのは一ヶ月以上先だという噂も流していた。
私とイリスは騎乗で移動する。
護衛である五十名の獣人、
出発するが、領内を見回りしているように見せかけるため、補給品や魔導具を積んだ荷馬車二台は別行動だ。荷馬車はリッタートゥルム街道に直接向かわせるが、私たちは獣人入植地に向かうように南に進んだ後、密かに東に向かうことにしている。
領主館を出ると、私たちに気づいた領民たちが笑顔で手を振って見送ってくれた。ラウシェンバッハ子爵領は税金も安く、治安もいいため、子爵家の者に好意的なためだ。
領都を出た後、
この辺りは開発が始まったばかりで、草原が広がっているところが多い。また、緩やかな丘陵地帯であるため、五十人以上の集団でもあまり目立たない。
そんな感じで午後三時頃にリッタートゥルム街道に入り、先行していた荷馬車と合流した。
リッタートゥルム街道はラウシェンバッハ子爵領内こそある程度整備されているが、子爵領を出ると、領主がいない王家直轄地の無人地帯に入り、一気に道が悪くなる。
王家直轄地が無人なのは、ラウシェンバッハ子爵領の中心を流れるエンテ河流域以外、農業用水を確保できる場所が限られ、更に土壌が穀物の生産に向かないためだ。
このような土地を褒賞として渡すわけにもいかず、かといって、王家が金を掛けて入植させるほどの土地ではないため、扱いに困り、放置されているのだ。
領都から十五キロメートルほど東にある広場が最初の野営地だ。
この辺りは既に無人地帯で、水場になる小川が流れているが、枯れたススキのような草が生えているだけの寂しい場所だ。
「一気に寂しい土地になるわね」
馬を降りたイリスが感想を口にする。
「この辺りはまだマシみたいだよ。東に進むに従って、草がほとんど生えていない荒野になるそうだから」
世話をするため、私たちの馬を引き取りにきたカルラが補足する。
「水場もないところもありますし、燃料となる薪も手に入りませんから、ここから先は更に大変になります」
彼女の言う通り、この先は五十キロメートル間隔で、早馬の替え馬を用意する王国軍の拠点があるものの、飲み水とできる小川や泉は少ない。
そのため、造水の魔導具は必需品だ。今回は魔導コンロも用意し、温かい食事が作れるようにしている。
猟兵団の兵士たちは野営の準備をする者と周囲を警戒する者に分かれ、作業を始めていた。私も手伝おうかと一瞬思ったが、入り込む余地がなく、逆に気を遣わせることになるため、大人しく折りたたみ椅子に座って彼らの仕事を見ていた。
「普段から野営をやっていたから慣れているね」
「
私が感心すると、イリスも頷いている。彼女も入り込む余地がなく、一緒に座っていたのだ。
一時間ほどで設営が終わり、食事が作られていく。
今日は領都から持ち出した調理済みの料理が多く、思った以上に豪華だ。
私の思いがカルラに伝わったのか、釘を刺された。
「今後は王国軍の施設以外では保存食が主となります」
事前に聞いているし、学院の兵学部でも野営の訓練に参加していたので不満は全くない。
食事は猟兵団の兵士と一緒だが、私とイリスだけはきちんとした天幕が用意され、温かい寝袋があり特別扱いだ。
荷馬車の荷台や簡単な天幕の下でマントに包まるだけの
そのことを口にすると、イリスが首を横に振る。
「あなたが体調を崩したら動けなくなるわ。だから、これは必要なことなの。まあ、私はおまけなのだけどね」
そう言って少しおどける。
確かに学院時代の演習では何度も体調を崩していたので、それを気にしていることは理解する。
食事が終わる頃には完全に陽が落ち、月明りが照らすだけになる。
私とイリスには暗過ぎるが、
私とイリスには灯りの魔導具が与えられ、暗闇でも困らないようになっている。
さすがに寝るには早いが、護衛たちは交代で見張りを行うため、既に眠りに就いている者が多い。
私たちも邪魔にならないように天幕に入り、静かに横になった。
まだ早春ということで虫の声も聞こえず、小川のせせらぎの音だけが聞こえている。
それがBGMとなり、いつの間にか眠りに落ちていた。
まだ暗い時間に目が覚める。イリスも同じようでゴソゴソと動いていた。
すぐに夜が明けるが、昨日と異なり、空には雲が広がっていた。
「この時期は数日おきに雨が降りますから、今日は雨に降られるかもしれません」
カルラの予想通り、昼頃から雨が降ってきた。
撥水加工が施されているマントを着ているが、早春の雨は思った以上に冷たい。
幸いなことに今日は軍の施設に入るため、夜は雨を凌ぐことができる。
その軍の施設だが、到着してみると、思った以上に小さかった。
面積は三十メートル四方くらい、そこを高さ二メートルほどの木の壁で囲っているだけで、門も簡単なものだ。
ここは防衛拠点ではなく、伝令用の替え馬を確保しておくだけの施設であり、これで充分らしい。
中に入ると、二階建ての兵舎兼事務所が一棟と馬小屋が二棟、倉庫が一棟の他に、五軒ほどの小さな家があるだけだった。
この拠点には指揮官である騎士が一人に、二十人ほどの兵士、更に兵士の家族が三十人ほど住んでいると聞いている。
兵士たちだが、この寂しい場所で三年間過ごすと、それ以上の兵役が免除された上に、故郷で農地がもらえ、更に二年間税が免除されることになっている。そのため、貧しい農家の次男坊以下が志願してくるらしい。
「あいにくの雨でしたね」
そう言って近づいてきたのは年嵩の騎士だ。
騎士もここで決まった任期を過ごすと、年金が大幅に増額されるため、退役前の四十代後半の騎士が志願することが多いらしい。
「お世話になります。人数が多く、ご迷惑をおかけします」
「迷惑などとは思っておりませんよ。ここを訪れる人はほとんどいませんから」
そもそもこの街道は兵士の移動や補給に使う想定はしておらず、五十人以上の部隊がここを訪れることは珍しい。ここに来るのは必需品の補充で訪れる軍の補給部隊くらいで、年に四回程度だそうだ。
ちなみにリッタートゥルム城には、ヴェヒターミュンデ城から船を使ってシュヴァーン河を遡上し、兵士や物資を移送している。そのため、リッタートゥルム街道を使うことはない。
兵舎と民家に分宿したが、会話に飢えているのか、夕食時には酒まで出されてもてなされた。食材も思ったよりあった。そのことを聞くと、拠点の裏に畑と小さな牧場があり、新鮮な野菜や肉は自給自足で賄っているらしい。
「やることが馬の世話と訓練以外にありませんからな。この辺りには
土壌はよくないが、長年の努力によって、四ヘクタールくらいの農地を確保しているそうだ。
翌日は雨が上がり、我々は東に向けて出発した。
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