第11話「将軍ケンプフェルト:後編」
統一暦一一九七年八月十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、叡智の守護者王都支部。ゲルハルト・ケンプフェルト
グライフトゥルム王国の王都シュヴェーレンベルクに到着し、国王との謁見を済ませた後、今回の訪問で一番の楽しみである、王国軍改革計画書の作成者と会えることになった。
会談場所は
そして、ある部屋の前で立ち止まった。
「ここから先は閣下お一人でお願いしたいのですが」
俺の護衛である騎士が抗議の声を上げようとしたが、右手を上げて制する。
「問題はない。彼らには俺を害する理由がない。第一、俺に護衛が必要だと思うか?」
護衛の騎士より俺の方が剣術の腕は上だし、実戦経験も豊富だ。
「失礼いたしました」
俺の言葉に騎士は直立不動の姿勢で答えた。
重厚な扉が開かれ、俺はただ一人で部屋に入っていく。
そこには灰色のローブを身にまとった、俺と同世代、つまり四十代半ばくらいの魔導師が待っていた。
しかし、それだけではなかった。
十五歳にもなっていないと思われる可憐な少女がその横にいたのだ。
「
ネッツァーはそう言って右手を差し出す。
隣の少女が気になるが、とりあえずその手を取り、こちらも名乗った。
「ゲルハルト・ケンプフェルトと申す。貴殿が作ったあの計画書には驚きを隠せなかった。会えることが楽しみで
俺の言葉にネッツァーは笑いながら首を横に振る。
「残念ながら私はあれの作成にはほとんど関わっておりません。ここにいるマティアス・フォン・ラウシェンバッハ君がほとんど作ったものですので」
その言葉に俺は悪い冗談だと思った。
しかし、ネッツァーはそのままマティアスという子供に場所を譲った。
「リヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ子爵の長男、マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します。お会いできて光栄です」
名前と長男と名乗ったことから男だと分かったが、まだ声変わりもしておらず、少女という印象がぬぐえない。そのことよりもあの計画書の立案者という方が気になり、そのことは意識の片隅に追いやられる。
「貴殿があれを作ったと。真なのか……いや、済まぬ。ネッツァー殿が嘘を言っているとは思っておらぬが、あの内容とこの少年がどうしても結びつかぬのだ」
「それは仕方ないことだと思います。私のような子供が考えることではありませんから」
十代前半の子供にしては落ち着いており、優しい笑みを湛えてそう答える。
「お気持ちは分かりますが、彼は大賢者マグダ様が認める賢者です。話をしていただければすぐに分かると思いますよ」
その後は驚きの連続だった。
まだ十三歳に過ぎないが、その見識はまさに賢者というに相応しく、澱むことなく説明していく。
計画の流れから個別の話に入っていったところで、実務に関する疑問を口にした。
「組織に関してだが、貴殿の考える組織は我が国とも帝国とも微妙に異なる。隊の構成が異なるのは各国の事情だろうが、各隊長に下士官を付けるというのは理解に苦しむところだ。小隊なら分かるが、連隊長に連隊軍曹なる下士官を付ける意味は何なのだろうか。護衛というわけでもなさそうだが」
俺の疑問にマティアスは迷うことなく答えていく。
「下士官は叩き上げの兵士を教育して育てようと考えています。つまり、兵のことを一番知っている者ということです」
「それは分かる」
大きく頷いて先を促す。
「一方、連隊長以下の隊長は士官となります。士官は当面、貴族もしくは平民でも裕福な者にならざるを得ません。教育の時間もないですから、命令することに慣れている者にしなくてはなりませんから」
そこで何となく言いたいことが分かった。
「つまりだ。士官である隊長連中は兵のことを知らない。だから、その側近に兵のことをよく知る下士官を付けると……若い騎士に叩き上げの従士を付けるようなものか……」
「ご明察の通りです。ですが、それだけではありません」
「どういうことだ?」
納得したと思ったところでそう言われたため、思わず聞き返す。
「隊長付き下士官には兵の管理の一部、教育や日々の困りごとの相談などを任せる予定です。一方で士官には隊長付きの下士官の意見を可能な限り尊重するように叩き込みます。こうしておけば、士官の質が多少悪くても、隊としての質を大きく落とすことはなくなりますから」
なるほどと思った。
貴族が隊長なら平民である兵士のことなど気に留めない。兵を消耗品と考えるだろうし、平民の意見など聞かず、自分の考えに固執する可能性も高い。
それでも隊長が優秀なら問題はないかもしれないが、経験が少ない者は必ずいるし、王国のような身分が幅を利かす社会なら、平民というだけで馬鹿にするような愚かな者を完全に排除することも難しいだろう。
そして、そんな隊長の下に入る兵の士気が高いはずがない。当然、隊としての能力も低くなり、実戦で役に立たない部隊になることは経験上理解できる。
そんな部隊を作らないように、優秀な下士官に隊長付きの軍曹という地位を与え、その地位に権威を持たせる。隊長も上位者が与えた権威まで否定することは難しいし、それを否定するようなら不適格者として軍から放り出す。
そうやって兵のことを考えない士官が淘汰されていけば、兵たちも安心するだろうし、隊としての能力も向上する。
「我が国でも導入したい仕組みだ」
「是非ともそうしてください。将軍に来ていただいたのは共和国軍の増強という意味もあるのですから」
その言葉に俺は驚き、言葉を失った。
この話を受ける際に考えたことだが、王国も同じことを狙っていたとは考えていなかったためだ。
ネッツァー氏も目を見開いて驚いている。
「君の先を読む能力にはいつも驚かされるよ」
驚く観点が予想と違ったため、思わず聞いてしまう。
「どういうことですかな?」
「閣下を推薦したのは彼なのですよ。それもこうなることを予想して」
その言葉に更に驚く。
「まさか……私のことをそこまで知っていたというのか……」
「ケンプフェルト閣下は共和国軍の中でも随一の将ですから……」
そう言いながら微笑む。
「それにグランツフート共和国はゾルダート帝国とレヒト法国という、我が国と共通の敵を持っています。言っては悪いですが、共和国も王国も国力的には両国に劣るのですから、互いに強くならなければなりません。ですので、閣下なら王国での経験を必ず自軍の強化に生かすと確信していました」
俺はその言葉に疑問を持った。
「言わんとすることは分かるが、今は同盟国であっても将来的には敵になるかもしれんのだ。自国以外に軍事機密を渡してよいのか?」
マティアスはそこで更に微笑む。
「潜在的な敵という認識には同意しますが、帝国も法国も十年や二十年でどうにかできる敵ではありません。それだけの年月が経てば、機密にしていても漏れてしまうでしょう。それならさっさと情報を共有した方が効率的です」
「な、なるほど……」
その合理的過ぎる考え方に、それ以上言葉が出ない。
「仮に共和国の指導部が王国の敵に回ると判断するようなら、政権を転覆させればいいだけです。国民に対して情報操作を仕掛ければ、複数の派閥の力関係で成立する共和国なら政権交代はそれほど難しくありませんから」
彼は変わらず優しい笑みを浮かべているが、俺は鳥肌が立つほど戦慄していた。
彼の言う通り、共和国の現政権は一枚岩ではない。大きな政策転換をすれば必ず内紛が起きる。それを煽ってやれば政権を転覆させることは難しくない。
「かわいい顔をして怖いことをいうな。まあ、そんなことにはならんだろうが」
それだけ言うのが精一杯だった。
それからいろいろな話をし、彼の広い見識と深い知性に敬意を抱いていると、誰かが入ってきた。
ネッツァー氏とマティアスが立ち上がり、頭を下げる。
俺も見知った老婆の姿に気づき、慌てて立ち上がった。
「大賢者様、ご無沙汰しております」
「そなたも元気そうじゃの」
顔見知りということでネッツァー氏が驚きの表情を見せる。
「マグダ様は将軍と面識があったのですか?」
「うむ。以前偶然にの」
大賢者が詳しく話さないため、ネッツァー氏は俺に視線を向けた。
「私は大賢者様に命を救われたのだよ。まだ二十歳にもなっていない頃、剣術の修行中に身体強化の調整を間違え、
東方系武術の四元流では
「……そのままでは魔人となったかもしれぬところを、偶然
「あの時の若造が今では共和国一の将軍とは驚きじゃ。まあ、坊が指名するとは思わなんだが、考えてみれば適任じゃの」
大賢者のマティアスに対する信頼の強さに驚きを隠せなかった。
その後、大賢者を交えて今後について話し合い、王国のみならず、我が国も危険であると改めて認識した。
「その計画書を見れば分かるじゃろうが、これはそなたにも、そして共和国にも有益なことじゃ。帝国が皇国を呑み込むのは時間の問題であろう。しかし、僅かではあるが時間はあるのじゃ。その時間を無駄にすることなく、共和国軍の強化も図らねばならぬ」
「おっしゃる通りです。微力ではありますが、我が力のすべてを尽くしてことに当たりましょう。ですが、あの帝国に対抗できるのでしょうか」
正直なところ、レヒト法国だけなら我が国だけでも何とかできる。一度しか戦っていないが、そのゾルダート帝国軍を相手にして、国を守り切れると断言できないと思っていた。
俺の言葉に大賢者は頷き、マティアスを見る。
「この坊がいろいろと考えておる。そなたにはそれを手伝ってほしいのじゃ」
「我が国に不利益をもたらさないのであれば」
俺の言葉に大賢者は満足そうに頷いた。
会談を終え、宿舎に指定されている屋敷に戻った。
部屋に入った瞬間、精神的な疲れが襲ってきた。
上着を脱いでソファに身を委ねると、会談のことを思い出していく。
あのマティアスという少年は確かに賢者だった。恐らく司令官用の教本も彼が作ったものなのだろう。
(あれほどの逸材がグライフトゥルム王国にいるなら、リヒトロット皇国が滅亡しても容易く滅ぶことはないだろう。問題は王国軍の戦力が絶対的に足りないということだ。それが分かっているから俺をここに呼んだのだろう……)
そこで会談の最初から感じていた疑問が浮かぶ。
(あの少年はいったい何者なのだろうか……話を聞いている限りは見た目通りの年齢のようだが、経験を積まねば分からぬことまで理解していた……いずれにせよ、あの大賢者様が手放しで認めている。これから面白いことになりそうだ……)
俺はそんなことを考えながら天井を見つめていた。
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