第10話「将軍ケンプフェルト:前編」
統一暦一一九七年八月十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グライフトゥルム王宮。ゲルハルト・ケンプフェルト
俺は今、グライフトゥルム王国の王都シュヴェーレンベルクにいる。
グランツフート共和国の軍人である俺がここに来た理由は、王国軍の改革に力を貸してほしいと請われたためだ。
二ヶ月前の六月初旬、シュヴェーレンベルク騎士団の騎士長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク殿が首都ゲドゥルトの俺の屋敷を訪れたことが始まりだった。
当時、俺は昨年九月のフェアラート会戦の敗北の責任を取って、将軍位を一時的に返上し、自宅で謹慎していた。これは俺の責任を本気で追及するものではなく、政治的な思惑が絡んでの茶番で、来年には将軍に復帰できることになっていた。
俺自身は死罪を言い渡されても甘んじて受けるつもりでいたし、今でもその想いは同じだ。
五千人近い未帰還者を出した結果に、もっと上手くやれたのではないかと、今でも悔やんでいるのだ。
俺の後悔のうち、最も大きなものはグライフトゥルム王国軍の総司令官、ロタール・フォン・ワイゲルト伯爵の指揮権を認めたことだ。俺が全軍の指揮を執っていれば、あれほど無様な敗戦を経験することはなかった。これは断言できる。
茶番だと分かりながら付き合っているのは、この国を守るためだ。
今回の敗戦を糧にして軍を強化できるのは、俺しかいない。その想いがあったから我慢していたのだ。
そんな俺のところに王国軍の俊英と言われるグレーフェンベルク殿がやってきた。王国の軍人が共和国に来ることは珍しく、そのことに驚きつつも、暇を持て余していた俺はすぐに会うことにした。
簡単なあいさつの後、すぐに本題を切り出してきた。
驚いたことに俺に王国軍の指導を頼みたいという依頼だった。そして、用意周到なことに既に共和国政府の政治家たちへの根回しも終わっていたのだ。
その際、グレーフェンベルク殿から軍改革の計画書なるものを見せられる。
「閣下には教官をお願いしたいのですが、それはこの計画の一環に過ぎません。ゾルダート帝国やレヒト法国の脅威を跳ね除けるためには、この計画に従った王国軍改革は絶対に必要なのですから」
俺は彼の言葉を聞きながら計画書をパラパラとめくっていた。
手に取った時は古い国家であるグライフトゥルム王国らしい、取るに足らない理想論が書かれていると考えていた。しかし、読み進めるうちにグレーフェンベルク殿の言葉が耳に入らないほど、その内容に魅了された。
計画書は“組織”、“指揮”、“情報”、“戦術”、“兵站”、“人事”、“教育”の七つの章に分かれており、目的、達成すべき具体的な目標、それを実現するための具体的な手段、達成までの
「こ、これは貴殿が考えられたものなのだろうか!」
グレーフェンベルク殿の話の腰を折って声に出していた。
彼は気を悪くすることなく、大きく
「私にそれだけのものは作れませんよ。これは
「なるほど……さすがは数多の賢者が集う最古の魔術師の塔ですな。これほどの計画書は初めて見ましたぞ」
私の言葉にグレーフェンベルク殿も笑顔で頷く。
「私も閣下と同じことを思いましたよ。世界の叡智を集めているという話は決して誇張ではないと」
「確かに……そう言えば、私は将軍位を返納しておりますので、閣下と呼ばれる立場ではありません」
「それは失礼いたしました。ですが、この依頼を受けていただければ、すぐにでも将軍に復帰されると議長閣下より伺っております」
議長とは共和国の最高運営会議議長のことを指す。最高運営会議議長は国家主席とも呼ばれ、我が国の最高権力者でもある。
「そこまで手を回しておられるとは……こう言ってはなんだが、今回の貴国の対応は以前とは全く違いますな」
正直な感想だ。
フェアラート会戦の会戦前にワイゲルト伯爵と話をしたが、建前ばかりでこのような周到さは微塵もなかった。
「これも私が考えたことではありません。誰とは言えませんが、私もある人物からの助言に従っているだけなのです」
その“ある人物”の正体は気になるが、言葉を濁しているということは尋ねても答えてくれないだろう。それに今はこの仕事を受けるかどうかを考える時だと、疑問を頭の片隅に追いやる。
しかし、既に結論は出ていた。
これほどの計画なら我が軍にも適用できる。それに俺が関与すれば、改善点も見出せるし、何よりやってみたいという思いが強かった。
「ここまで準備されているなら、否とは言えませんな」
「それはありがたいことです」
グレーフェンベルク殿はそう言うと、立ち上がって右手を差し出した。
俺もその手を取り、俺の王国行きが決まった。
準備が大変だろうなと思ったが、始まってみると既にほとんど準備は終わっていた。俺に同行する隊長クラスや下士官たちの候補者も絞り込まれており、彼らの後任まで決まっていたのだ。
わずか十日ほどで準備を終えると、俺は先行してグライフトゥルム王国に向けて出発した。そして、昨日シュヴェーレンベルクに到着したのだ。
出発前、グレーフェンベルク殿が司令官用の教本を手渡してきた。
「この教本も
その教本は百ページを超える分厚いもので、読み始めた瞬間に眩暈を覚えた。
「完成度が低いだと……あり得ぬ……」
思わず独り言を呟くほどの衝撃を受けた。
その教本には戦闘指揮に直接関係するものだけでなく、統率者として備えておくべき要素がこと細かに記載されていたのだ。更に平時と戦時に分けて部下をどう統率していくかなど、具体的な例まで書かれていた。
俺は移動が終わり宿に入ると、酒を飲むことなく、夜中まで教本を読みふけった。
それだけではなく、移動などやめて一日中これを読みたいとさえ思っていたのだ。
「これを書いた方はさぞ高名な将軍なのでしょうな。私などでは思いもつかぬようなことが分かりやすく書かれておりました。直接ご教授いただきたいと思っておりますが、お会いすることは可能ですかな」
「
「それは楽しみです」
いずれにしても大賢者に次ぐ高位の魔導師だろうと考えていた。
そして今日、国王フォルクマーク陛下に拝謁した後、宰相や近衛騎士団長らとの会談を行った。国王を含め、凡庸な者しかおらず、時間の無駄でしかなかったという印象が強く残っている。
しかし、まだ楽しみは残っていた。
あの計画書を作成した
会いに行く直前、グレーフェンベルク殿から釘を刺されている。
「これからお会いする者のことは
国家機密ではなく、魔導師の塔の機密という言葉に疑問を感じたが、それよりも会いたいという気持ちが強く、即座に了承した。
「もちろんです。我が名に賭けて約束いたします」
その後、グレーフェンベルク殿は各所への報告があるとのことで、彼の部下の騎士に案内され、用意された馬車に乗り込む。
「
馬車は十分ほどで止まり、外に出ると目の前に威厳はあるがそれほど大きくない屋敷があった。
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