第3話「宰相との交渉」
統一暦一二〇五年三月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ゾルダート帝国の皇帝コルネリウス二世からの親書が国王フォルクマーク十世のもとに届いた。そのため、私は学院から宰相府の地下にある尋問室に連行された。
宰相であるクラース侯爵の家臣シェルケ男爵から嫌がらせを受けたが、すぐにグレーフェンベルク伯爵がやってくると分かっていたので、逆に暴走させて宰相に対するカードにした。
尋問室を出ると、伯爵と共に宰相の執務室に向かう。
伯爵は王国軍の実質的なトップであり、文官トップの宰相とは頻繁に会っているため、誰からも見とがめられることはなかった。
事前に面会の連絡を入れていたのか、すぐに宰相の執務室に通される。
宰相の他には護衛とシェルケとは別の秘書官がいた。ちなみに警戒していたマルクトホーフェン侯爵はまだ領地から戻っていないため、この場にはいない。
伯爵は執務室に入ると、それまでの笑みを消し、厳しい表情を作った。
「最初にひと言申し上げる。閣下の部下、シェルケ男爵がラウシェンバッハを拷問に掛けようとしていた。シェルケは閣下の命令だと言ったそうだ。真のことなら、ただの抗議ではすまされぬ事態だが、閣下の口から事実を聞かせてもらいたい」
その言葉に宰相は目を見開く。
「ご、拷問だと! そのようなことは命じておらぬ。ここに連れてくるように命じただけじゃ!」
「では、なぜ地下室にいたのだ? 第一騎士団の近衛騎士も引き上げさせ、屈強な兵士二人と男爵だけがいたのだ。今一度男爵に確認してもよいが、事と次第によっては王国騎士団として正式に抗議させていただくが」
憮然とした表情で言い切る。
「王国騎士団として抗議だと……この者は学院の教員と聞いておる。騎士団とは関係ないではないか!」
そこで伯爵はテーブルをバンと叩く。
「ラウシェンバッハが王国軍士官学校の提案を行ったことをお忘れか! あの提案は騎士団として作成を依頼したものなのだ。そのような人物を抹殺しようとしたことは、騎士団に対する嫌がらせに他ならぬ!」
物は言いようだなと、伯爵の演技を見ていたが、この辺りが落としどころだと思い、会話に加わった。
「宰相閣下に申し上げます。グレーフェンベルク閣下のお言葉はすべて事実でございますが、聡明なる宰相閣下がお命じになったとは考えておりません。恐らくは不幸な行き違いがあったのでしょう」
「そ、そうだな。うむ。確かにそうだ」
宰相は安堵の表情を隠そうともしない。
「私は納得していないぞ。だが、まずは用件を終わらせることが肝要だ」
そう言ってから宰相を睨みながら話し始める。伯爵も主導権を握れたことで、本来の目的に移ることに同意したようだ。
「皇帝が送ってきた親書だが、ラウシェンバッハを我が国に処刑させる謀略だと考えている。恐らくだが、我が国が士官学校を作ろうと気づき、早いうちに潰しておこうと考えたのだろう」
「士官学校を潰すためにラウシェンバッハに謀略? 帝国がそのようなことを考えるとは信じられぬ」
これまでの経緯を知らない宰相は話についていけない。
それを無視して伯爵は話を進めていく。
「閣下もこの者が立案した計画の説明を聞いたと思うが、完成度の高いものだったとは思われぬか? そして、それを帝国の諜報員がどこかで手に入れ、帝都に送った。昨年末に帝国の手先を多数捕らえたことは閣下も覚えておられよう」
そこで宰相が僅かに考えた後に頷く。
「うむ。百人近い数の帝国の犬が捕らえられたと記憶しておる。あれだけの数が入り込んでおれば、情報が漏れたとしてもおかしくはないな……それにこの者の説明は理路整然としておった。予算があればすぐにでも実行してもよいほどに……だが、帝国が謀略を仕掛けてきたという言葉は、にわかには信じられぬ」
一月の末に宰相に士官学校と下士官育成用の教育機関の設立について、プレゼンを行っている。
「ではこう考えてはいかがでしょうか」
そう言って伯爵から話を引き取る。
宰相は私を見て先を促すように小さく頷いた。
「もし私が祖国を裏切り帝国のために働くのであれば、皇帝がわざわざ親書など送るでしょうか? 本当に教官として必要であれば、秘密裏に帝都に赴くよう指示を出すはずです。そうしなければ裏切り者として処断されるか、国外への移動を禁じられてしまいますから」
「うむ。その通りじゃな」
「私はその親書を見ていないのですが、私に対する報酬はどのように書かれていたのでしょうか?」
突然想定していない質問が来たため、宰相は僅かに目を見開く。
「年百万マルクと書いてあったと記憶しておる。部下からは王立学院の助教授の十倍以上の年収になると聞いたが、それが何か?」
百万マルクは日本円で約一億円。助教授の年収はだいたい五万から六万マルクであるため、二十倍弱ほどに当たる。
「なるほど、かなりの額ですね」
そう言って頷くが、すぐに小さく首を横に振る。
「ですが、私は近い将来ラウシェンバッハ子爵家を継ぐ身。領地はここ数年で発展しており、財政状況は非常に健全です。その領地を捨てさせるには、いささか安すぎると思われませんか?」
そこで宰相にも思い当たったのか、大きく頷いた。
「確かにその通りじゃ」
俗物の宰相には金銭での価値で説明した方が納得しやすいだろうと思ったが、その通りになった。
実際には家臣たちの俸給やインフラ整備にも税金を使う必要があり、普通の子爵家であれば、個人としての可処分所得が百万マルクを下回る可能性は充分にある。
しかし、ラウシェンバッハ子爵領はモーリス商会の進出によって、大きく税収を上げており、百万マルクでは全く割に合わない。
「それに帝国には貴族制度がありません。国王陛下から与えられた名誉ある子爵位という身分まで失うのです。領地経営に失敗し困窮しているのなら分からないでもありませんが、私にメリットがなさすぎる提案なのです」
ここで伯爵に目で合図を送る。
「ラウシェンバッハの言っていることが正しいことは、閣下もお分かりのことと思う。そうなると帝国の意図がどこにあるかということが問題だと思われぬか」
「うむ。確かに気になるが、伯爵に思い当たるところがあるということかな?」
そこで伯爵は大きく頷いた。
「先ほども申し上げたが、帝国は我が国にラウシェンバッハが提案した士官学校が作られることを嫌っている。つまり、この計画は敵が嫌がるほど有効なものと言えるでしょう。だから、計画の立役者である彼を排除しようとした。逆に言えば、彼が提案した以外のものを作ったとしても、帝国が恐れるものにはならぬということではないかということですな」
「つまり、先日の提案を帝国がどこかで知り、それを恐れて邪魔しに来たと……」
「タイミング的には充分にあり得るでしょうな。彼の名が知られるようになったのは一昨年のヴェストエッケの戦い以降。その後、彼の周囲を探る者たちがいたことも確認できております。昨年のどこかで帝国の工作員が計画書を手に入れ、帝都に送っていたとしてもおかしくはないでしょうな」
宰相は徐々に伯爵の言葉に傾いている。
「もっともなことじゃな」
「ここでラウシェンバッハの計画を実行すれば、帝国にとって痛手になることは間違いない。皇帝を動かしたにもかかわらず、失敗したのですから、この謀略の立案者と皇帝本人は大きく面目を失う。ですので、このラウシェンバッハの計画の実行を決断すれば、多くの者が閣下を賞賛することは間違いないでしょう」
伯爵はそう言って真面目な表情で頷いている。
「皇帝の面目を潰し、更に王国軍の強化を図ることができる……」
そこで私が止めを刺しにいく。
「それにマルクトホーフェン侯爵閣下も反対はされないでしょう」
私の言葉に宰相が視線を向けてきた。
「士官学校の卒業生は王国騎士団だけに入るとは決まっていません。配下の若い騎士たちを士官学校に送り込めば、自領の騎士団の強化を図ることができるからです」
更に伯爵も後押しをした。
「あの強力な帝国軍を持つ皇帝が恐れる学校で学ばせるのです。これまでマルクトホーフェン侯爵領からは、王立学院の兵学部の首席を何人も出しております。より高度な教育を受ける機会が増えただけなら反対するはずがありません」
その言葉で宰相は決断した。
「伯爵の言う通りじゃ。すぐにでも陛下に言上しよう」
「では、ラウシェンバッハへの処分は不要と考えてよろしいですかな?」
「無論じゃ」
宰相が大きく頷いたが、私がそれに待ったを掛ける。
「お待ちください」
「何かな?」
宰相は当然だが、伯爵も予想していなかったのか驚きの表情を浮かべていた。
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