第4話「深謀」
統一暦一二〇五年三月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵
宰相であるテオドール・フォン・クラース侯爵の執務室で、帝国が仕掛けてきた謀略を利用し、懸案であった士官学校設立の話を認めさせた。
これですべてが終わったと思ったところで、マティアス君が待ったを掛けた。
彼は満面の笑みを浮かべて、説明を始める。
「単に帝国の謀略を防いだだけでは面白くありません」
「どういうことじゃ?」
私も宰相と同様に何が言いたいのか分からず、彼を見つめる。
「一度成功したと思わせておいて、後で失敗だったと気づかせた方がより大きな屈辱を皇帝に与えることができます」
「うむ。分からぬでもないが……」
「ですので、謀略が成功したかのように見せるため、私に対して王都からの無期限追放という処分を行ってはいかがでしょうか。その上で士官学校の計画は可能な限り秘匿し、決定時点で大々的に公表するのです。そして、その時点で私を許せば、皇帝は騙されたと知り、より強い屈辱を感じるのではないかと愚考いたします」
宰相は納得したかのように笑みを浮かべている。
「確かにそうじゃな。我が国に手を出してきたことを後悔させる方がよい」
宰相は納得したが、私は彼の考えを掴みかねた。そのため、曖昧に頷くことしかできない。
確かにその方がより帝国にダメージを与えられるが、そんなことのためだけに、このような提案をしたとは思えなかったためだ。
また、彼が王都から離れると、相談が難しくなる。
ゴットフリート皇子の動向も気になるし、士官学校を設立するなら、計画を立案した彼の意見は最も重要なものになるだろう。
しかし、彼は私に小さく頷き、目で同意するように促してきた。
意図は分からないが、彼が無駄なことをするとは思えず、賛同した。
「計画を確実に進めていただけるなら、小職も賛成です」
こうして士官学校設立の方針が決定し、マティアス君の無期限の王都追放が決まった。
宰相の執務室を出た後、騎士団本部に向かった。
団長室に入ったところで、私はマティアス君に真意を確認する。
「最後のあれはどういう意味があったのだ?」
マティアス君はいつも通りの笑顔で答えていく。
「一つには計画を公にすれば、マルクトホーフェン侯爵が介入し、我々の思い通りに進まなくなることを懸念しました」
確かにあり得ると頷く。
「その点は考えなかったな。確かに今日はいなかったが、あと半月もすれば王都に戻ってくる。その頃ならこの話も落ち着いているだろうし、侯爵も気にしないだろう。だが、まだ理由はあるようだが、それは何かな?」
マティアス君はいつも通り微笑んでから説明していく。
「二つ目は帝国を気にしたからです。失敗したと分かれば、新たな別の手段で謀略を仕掛けてくる可能性があります。ですが、上手くいったと思ってくれれば、急いで次の手を打ってくることはないでしょう」
「それはそうだな」
確かにそれもある。
帝国は彼を危険だと認識し、謀略を仕掛けてきた。
それを見事に切り返せば、新たな謀略を仕掛けてくることは容易に想像できる。
「それに私が王都を追放されたと知れば、帝国が接触してくる可能性があります。私のことをどこまで知っており、どこまで真剣に引き抜こうとしたのかは分かりませんが、人材の登用に積極的な国ですから、何らかの接触はあると考えています」
「あり得るが、危険ではないのか?」
「私には
危険は少ないかもしれないが、あえて危険を冒す理由が分からない。
「接触してきたらどうするのだ?」
「その者を通じて情報を得ることもできますし、逆に偽情報を掴ませて混乱させることもできます。やりようはいくらでもありますよ」
相変わらず、恐ろしいことをさらりと言うと思ったが、これで納得できた。
「もう一つ目的があります」
納得できたと思ったのにまだ理由があるらしい。
「それは何かな?」
「この追放期間を利用して、帝国との国境であるヴェヒターミュンデ城とリッタートゥルム城周辺の状況を見ておきたいと思っています。策を立てる時に自らの目で見ておくことは重要ですから」
確かに王都を離れて領地であるラウシェンバッハで謹慎するように見せかければ、ヴェヒターミュンデ城とリッタートゥルム城に行っても、学院を休んでいくより目立たない。
そこまで考えていたのかと半分感心し、半分呆れる。
「しかし、君には相談したいことが多くあるのだが」
「ラウシェンバッハや街道の移動中はともかく、ヴィントムント市、ヴェヒターミュンデ城、リッタートゥルム城には長距離通信用の魔導具があります。ですので、間は空くと思いますが、連絡が全く取れないわけではありませんよ」
ヴィントムントからリッタートゥルム城に向かうには四百五十キロメートルほど移動する必要があり、一ヶ月程度連絡が取れなくなるが、数ヶ月単位でないため、何とかなるだろう。
「しかし、事前に教えておいてほしかったな」
私がそういうと、彼は小さく頭を下げた。
「宰相閣下の反応が読めませんでしたので。もし、私に対する印象が悪かった場合、このことを口にすれば、本当に処分されてしまいます。それに士官学校設立の話が上手くいかない可能性もありました。ですので、上手くいくと思った時だけ提案しようと考えていたのです」
その可能性はあると頷く。
「確かにシェルケ男爵が暴走してくれたお陰で、最初から主導権を握れた。あれがなければ宰相もあれほど簡単にこちらの考えを聞くことはなかっただろう。そう考えると、私を含め、君の掌の上で踊っていたということだな」
正直な感想だ。
宰相であるクラース侯爵の家臣の性格を把握し、対応者が暴走しやすい人物だと見極めると、すぐに手を打っている。
そのお陰で交渉は容易に進められたし、最良の結果を得られたが、私自身も踊らされたという印象は拭えない。
私の思いに気づいたのか、マティアス君は少しだけばつの悪そうな表情を浮かべた。
「今回の目的は私が処罰されないことと、士官学校設立を宰相閣下に認めさせることです。それ以上のことを最初から狙うと、目的すら達成できなくなる可能性がありました。情報管理と帝国への対応は、今日でなくともよかったわけですから」
「そうだな。最初から知っていたら、私ならそこを目指したはずだ。そうなると、無理な交渉になり宰相がへそを曲げた可能性もある」
その後、今後のことについて協議を行った。
「士官学校のことは計画書に則って進めれば、それほど問題ないと思います。唯一の懸念は、宰相府の情報管理がいい加減なことです。マルクトホーフェン侯爵に漏洩すれば、介入を招くことになりますから。その場合は閣下に対応をお願いすることになると思いますが、基本的には利敵行為となると強く主張すれば、侯爵も強くは出られないでしょう」
「そうだな。それより帝国軍の方が気になる。ゴットフリート皇子が皇都攻略に乗り出すのはいつ頃だと考えているのかな」
最大の懸案は二個軍団を掌握したゴットフリート皇子が、いつ皇都リヒトロットに向かうかだ。
「軍団の指揮命令系統が大きく変わりましたから、掌握にはある程度時間が掛かるはずです。それに少しずつ備蓄を増やしているでしょうが、今は食糧が不足しています。恐らく小麦の収穫時期に入る七月以降に、皇都付近に向けて進軍するのではないかと考えています」
第三軍団は皇都攻略のために元々エーデルシュタインにいたが、第二軍団は帝都での食糧不足を緩和させるために、穀倉地帯に近いエーデルシュタインに入った。
穀倉地帯に近いと言っても、グリューン河の水運が使えないため、陸上輸送となり大量輸送が難しい。そのため、大規模な軍事行動が起こせるほどの備蓄はないと予想されていた。
「と言っても、相手はゴットフリート皇子ですから、我々の意表を突いてくる可能性は否定できません」
彼の言う通りだ。
これまでも意表を突く戦いを何度も行っている。
「油断しないというのは大前提だが、どうしたらよいだろうか。一応、牽制のためにフェアラートを攻撃することは承認されているが、下手に手を出して、我が国が標的にされることは避けねばならんが」
皇国支援のため、フェアラートを攻撃することは先日の御前会議で決定されている。
「五月頃に演習を兼ねて、ヴェヒターミュンデ城とリッタートゥルム城に、第三騎士団と第四騎士団を派遣してみてはどうでしょうか。演習ということを大々的に公表し、帝国に気づくようにさせれば、牽制になりますし、もし敵が先手を打ってきても対応が容易になると思いますが」
第三騎士団と第四騎士団には長期遠征の経験がない。それに我が第二騎士団が王都に残っていれば、マルクトホーフェン侯爵が直接的な行動を起こす可能性は減るし、万が一レヒト法国がヴェストエッケを攻めてきても対応できる。
「五月ということは、それまではゴットフリート皇子も動かぬと君は見ているのだな」
私の確認の問いにマティアス君は苦笑を浮かべる。
「動かない確率は高いと思いますが、確実ではありませんよ。ですが、第三軍団の軍団長テーリヒェン元帥が軍団を掌握するには三ヶ月程度は必要だと思っています。元々師団長で長く留め置かれた人物ですから何らかの問題があるでしょうし、第一師団長のケプラー将軍とは馬が合わないという情報もありますから」
帝国軍の将の情報がスラスラ出てくることに一瞬驚くが、彼ならば当然だと思い直す。
「世の中に確実なことなどないのだから、そこは割り切りということか……」
更に協議を行い、ある程度の方針がまとまった。
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