第75話「大賢者の悩み」

 統一暦一二一一年九月四日。

 グライフトゥルム王国北部、ネーベルタール城内。大賢者マグダ


 ネーベルタール城で朝を迎えた。

 昨日の夕方、ジークフリートと話すことはできたが、最初のうちはこれまでと同じように儂に敵意を向けたままで、ラザファムが取り成すことでようやく話ができたという感じじゃった。


 儂が聞きたかったことは国王としての、否、指導者としての心構えじゃ。

 この世界のすべての者を導くヘルシャーとして、相応しいかどうかを見たいと思った。


 第一王子のフリードリッヒは父親の現国王フォルクマーク十世と同じく、ヘルシャーとしてどころか、王としての素質も気概もない。あの者に期待できることはフォルクマークと同じく次代に繋ぐことだけじゃ。


 第二王子のグレゴリウスは専制君主としてはある程度合格点をやれるじゃろう。

 但し、あの者は、民は導くものではなく、支配するものだと思っておる。そして、自らは決して間違えないという自負が強すぎる。


 まだ若いから矯正は可能じゃろうが、あのまま王になったとすると、強力な敵国がいるうちは名君として君臨できる可能性はある。じゃが、敵の圧力が減り、平和な時代が訪れれば、間違いなく暴君となる。


 それ以上に問題なのは、あの者がヘルシャーになれば、この世界も、そしてグレゴリウス自身も不幸になるということじゃ。


 グレゴリウスは自らの手で民を管理すべきと考えておる。そして、あの者がヘルシャーとなれば、自らの無謬性を疑わず、世界は窮屈なものになるじゃろう。


 それだけならまだよい。助言者ベラーターである儂も代行者プロコンスルである四聖獣もおるから、破滅的な事態には陥らぬ。

 じゃが、グレゴリウス自身の精神が耐えられるのか甚だ疑問がある。


 あの者は自らに自信を持っておる。そして、ヘルシャーとなり力を持てば、更に己が正しいと思い込むじゃろう。


 しかし、人はヘルシャーの思い通りには動かぬ。

 これは過去に何度も繰り返されてきた事実じゃ。


 ヘルシャーであっても、人の心まで縛ることはできぬ。縛られれば反発し、必ず反旗を翻す者が出てくる。反旗を翻した者を処分しても、縛り続けようとすれば、新たな反乱が勃発し、それが繰り返されるのじゃ。


 そのような事態になれば、あの者は自らの正義に疑問を持つ。そして、その疑問を打ち消そうと足掻き、それによって精神が蝕まれていく。やがて心が耐えられなくなり、最後には自ら命を絶つ。これは歴代のヘルシャーが何人も陥っておることじゃ。


 それに引き換え、ジークフリートはヘルシャーとしての素養は十分にある。

 人を慈しむ心があり、寛容さも持ち合わせておるからじゃ。


 まだ十三歳と幼く、完全に自分の心を制御できておらぬが、周りに適切に助言する者がおれば、人々を導く、よきヘルシャーとなるじゃろう。


 しかし、ジークフリートがヘルシャーという選択肢を選ぶかは微妙なところじゃ。

 儂への反発もあるが、それ以上にヘルシャーという存在に怖れを感じるのではないかと思っておる。


 ヘルシャーは人を管理する存在じゃ。当然、管理に反する者に罰を与えることもせねばならぬ。

 優しいジークフリートに自分に反対したというだけで罰を与えることはできぬじゃろう。


 それにジークフリートがヘルシャーとなるには、少なくともこの国の王とならねばならぬ。


 力だけなら、儂や四聖獣で十分じゃ。儂だけでも国の一つや二つ滅ぼすことはできるのじゃから。

 しかし、人を導き、管理していくには力だけでは不足じゃ。


 儂と四聖獣による恐怖で縛るのであれば、数十年に一度人々に恐怖を与えねばならぬ。人が危機感を抱き続けるのは実際に見聞きした者がいる間だけじゃ。そのような周期で大虐殺を行うことなど、儂にはできぬし、そのようなことをジークフリートは認めぬ。


 国を一つ治めておれば、力の他に法による支配も可能となる。

 グライフトゥルム王国が宗主国となり、各国を治める形になれば、見せしめのようなことをすることなく、話し合いによって人々を従わせることはできる。


 問題はジークフリートが兄を押し退けて王になるかということじゃ。

 昨日の話からも王にはならず、兄を助けると言っておった。


 ジークフリートがこの国の王となり、更にヘルシャーとなる可能性があるとすれば、マティアスの存在じゃ。


 あの者は軍改革でも見せたように、目的を達成するためには冷徹さが必要だと理解しておる。


 マティアスの教えを受け、優しさの中に冷徹さを持つことができれば、ジークフリートが人々のために立ち上がり、よきヘルシャーとなる可能性は十分にあると思っておる。


 問題はジークフリートとマティアスが邂逅できるかということじゃ。

 病と阿呆アラベラのお陰で、彼の身体は想像以上に弱っておる。塔での療養を勧めたが、一年や二年で完全に回復することはなかろう。


 それにマティアスが塔に行けば、国王フォルクマークは孤立する。

 前伯爵カルステン・フォン・エッフェンベルクも体調が優れぬし、軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵も精神的に参ったままじゃ。


 その二人が回復してもマティアスほどに期待はできぬ。

 それに王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵は政治に疎い。マティアスの後任のヴィンフリート・フォン・グライナー男爵ではマルクトホーフェンに対抗はできぬじゃろう。


 国王がいつ王太子を決めるかは分からぬが、第一王子のフリードリッヒは十六歳、これまでの慣例であれば、第一王子が十八歳で立太子されることが多かった。そう考えると、あと二年しかない。


 このことはマルクトホーフェンもアラベラも分かっておる。そうなると、国王を脅してグレゴリウスを王太子にと迫るじゃろう。

 国王がいつまでそれに耐えられるかじゃが、あの者であればすぐにでも屈しそうじゃ。


 あの考えなしのアラベラが強引にことを進めれば、国王を弑することも十分に考え得る。そうなった場合、マルクトホーフェンも身を守るために兵を挙げるはずじゃ。

 その時、ジークフリートがどう動くかがカギとなるじゃろう。


 ジークフリートは正義感が強いし、有能なラザファムがおる。

 そう考えると、二年以内に動きがありそうじゃが、マティアスの身体が元に戻らねば、ジークフリートを失うこともあり得る。


「こんな時にマティアスがおったらの……」


 思わず独り言が口を突いた。


 そこでジークフリートとの会話を思い出した。

 昨日、彼が珍しく儂に質問してきたのだ。


『大賢者様はラウシェンバッハ子爵とも親しいとラザファムから聞きました。また、建国王の双翼の一人、軍師アルトヴィーンと一緒に戦ったと本に書かれています。千里眼のマティアスと軍師アルトヴィーンはどちらが凄い軍師だとお考えですか?』


 アルトヴィーン・ザックスとは、千年ほど前のグライフトゥルム王国建国時に共に奔走しておる。当然よく知っておるが、ラザファムからマティアスの話を聞き、軍師というものに興味を持ったようじゃと笑みが零れた。


『難しい質問じゃの。アルトヴィーンは戦場において様々な策を献じて勝利に貢献しておる。同じ策を二度使ったことがない多彩さは異才と言ってよい。マティアスじゃが、戦場ではもちろん、流言一つで帝国を翻弄するなど謀略にも長けておる。どちらも凄いと思うが、千年前にマティアスがおれば、王国の建国が五十年は早まったであろうと儂は考えておるがの』


 正直な思いじゃ。

 もし、フリーデン崩壊後の混乱期にマティアスがおれば、大陸の混乱は早期に収まったはずじゃ。あの者の能力があれば、オルクスどもを混乱させた上で分断し、殲滅したであろうから。


『凄い……一度会って話がしてみたい……』


『いずれ機会はあるじゃろう。それまではそこにおるラザファムに話を聞いても面白いのではないかの。何と言っても共に戦場にあった戦友なのじゃから』


『分かりました。ラザファム、あとで話を聞かせてほしい』


 ジークフリートは儂の前であるのに珍しく笑みを浮かべていた。これが彼本来の表情なのじゃろう。


 二人が出会い、マティアスがジークフリートを認めれば、儂の悲願が達成される可能性が出てくる。しかし、儂が恣意的に進めるのはことわりに反することじゃ。


『マティアスに会って、どのような話をしたのか、儂も知りたいものじゃ。あの者は儂を飽きさせぬからの』


 儂はジークフリートと会話ができたことに満足していた。

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