第35話「狂い始めた歯車」

 統一暦一二〇五年八月六日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ゼンフート村。ゴットフリート・クルーガー元帥


 リヒトロット皇国軍一万を殲滅してから三日が経った。

 しかし、未だに敵の水軍は現れない。


 ナブリュックにいるザムエル・テーリヒェンからの情報では、敵の水軍はいろいろな手を使って攻撃しており、手こずっているとあった。


 但し、攻撃はしてくるものの、慎重さは失っておらず、時間稼ぎをしているのではないかとも伝えてきた。


(やはりグライフトゥルム王国のグレーフェンベルクから入れ知恵されたようだな。俺がここを占領しても動かなかったし、陸軍を退けても動こうとしない。王国も国境で何やらやり始めているから、それに期待しているのかもしれんな……)


 西の国境フェアラートからは数日おきに、王国軍の渡河準備が着々と進んでいるという情報が入ってくる。


 また、テーリヒェンが得た情報では二万近い軍がヴェヒターミュンデに入る可能性があり、それが事実なら皇都攻略中にフェアラートを含む、北公路ノルトシュトラーセ沿いの都市の多くが奪われる可能性が高い。


 しかし、王国が攻め込んできてくれるなら、俺にとっては好都合だ。

 シュヴァーン河を渡河しての攻撃は難しいが、帝国領に入り込んでくれるなら、有利に戦える。


 仮に三万の軍勢であったとしても、こちらには六万の兵力がある。皇国を抑えるために第三軍団を外したとしても、我が第二軍団だけで充分に勝利は得られるだろう。


(問題はテーリヒェンだな。奴は王国軍に過剰に反応している。一応伝令で動かぬように指示は出しているから問題はないが、焦って何かしでかさないとも限らん。ケプラー、エルレバッハ、リップマンという優秀な師団長がいるが、戦略的な視点を持っているのはエルレバッハだけだ。ナブリュックで燻っていると功を焦る可能性は否定できんな……)


 そう考え、伝令を出して再度引き締めることにした。


(これでテーリヒェンは何とかなるだろうが、こちらも当面は動けんな。皇国水軍を殲滅するにはこの場所しかないし、水軍の司令官も皇都が危うければ、部下たちの突き上げを食らって、いつまでもちんたらと攻撃していられないだろう。既にグリューン河には罠を張ってある。皇都に向かえば、水軍を殲滅することは容易いだろう……)


 当初は自分を囮にすることで皇国水軍を引き付ける作戦だったが、敵の陸軍を殲滅したことから、俺を無視して皇都の守りに入る可能性が高い。


 また、皇国軍は偵察隊を出さないことから、この場所で罠を設置しても邪魔されないと判断し、川の上にロープを何本も渡してある。さすがに一本で大型船を止められるほど太いロープはなかったが、止められなくとも動きを多少制限することくらいはできるだろう。


 動きを制限できれば、投石器の命中精度は上がるし、密集隊形で一気に抜けようとするだろうから、後続の船の邪魔にもなる。


 それに狭い範囲で船が密集してくれれば、焼き討ち船の効果が上がる。既に徴発した漁船には大量の可燃物が載せてあり、投石器と焼き討ち船で水軍のほとんどの船を沈めることができるはずだ。


(少なくとも十日は待たなければならんな。こちらに焦る要因はない。王国軍もどれだけ急いでも一ヶ月は掛かるのだ。ただ無為に待ち続けるのは芸がないし、兵たちの士気にも関わる。嫌がらせ程度のことはしておくとするか……)


 二十キロメートル先にあるベルリッツ市に対し、一個連隊で攻撃を仕掛けることにした。


 翌日の八月七日、ベルリッツに到着した。

 ここも城塞都市ではなく、北にハルトシュタイン山脈、南にグリューン河、東西に川沿いを走る街道がある。街道の入り口に簡単な柵があるだけで、ほとんど無防備だ。


「敵は出てきませんな」


 護衛のデニス・ロッツが暢気な声で言ってきた。


「三千人ほどの守備隊がいるはずだが……それよりも人の気配が全くない。もしかしたら、ここを放棄したのか?」


 斥候隊を出して確認すると、俺の予想通り、町に人はほとんど残っていなかった。


 残っていたのは三十人ほどの浮浪者で、そいつらに聞くと、ゼンフートで運よく生き残った兵士が皇国軍全滅を伝え、すぐにここから避難することを決めたらしい。

 住民の避難が完了したのは昨日だということだ。


「なかなかやるじゃないか。僅か三日で避難を完了させるとはな」


 役場や兵舎を漁り、書類関係を押収した。

 調べてみるが、大した情報はなく、ゼンフート村に戻ることにした。


■■■


 統一暦一二〇五年八月八日。

 リヒトロット皇国中部グリューン河流域、ナブリュック市対岸。ザムエル・テーリヒェン元帥


 皇国水軍との小競り合いは既に十日を過ぎている。

 ほとんどマンネリ化した戦いで、敵の軍船が近づいてきたら投石器で攻撃し、夜になったら夜襲に備えるという繰り返しだ。


 水軍の軍船は上流と下流を行き来しているが、商船は一隻も通っていない。軍船はオールを出して漕ぐことで速度を上げられるが、商船は帆と水の流れに頼っているため、速度が上がらず、投石器で沈められるからだ。


 このことは商人たちも分かっており、一部の商船が強引に突破しようとしたが、投石器の攻撃を受けて沈められるか、諦めて引き返すかしている。


 皇都への補給を断つという任務は達成できているが、ダラダラとした戦いに兵たちの士気が下がり、隊長たちが士気を維持するのに苦労している。


 それよりも気になるのはグライフトゥルム王国軍の動向だ。

 商人から入った情報では三万近い兵が国境に向かったという。しかし、八月に入ると商船がナブリュックに来ることがなくなり、商人からの情報は途絶えている。


 その代わり、フェアラート守備隊からの伝令が数日おきに来ている。

 その情報では王国軍が渡河準備を始め、浮橋を架ける準備はほぼ完了したという報告が一週間ほど前に入っていた。


 ゴットフリート殿下には適宜情報は共有しているが、殿下から来る指示は現状を維持せよというものだけだった。


 しかし、本日、別の命令が届いた。

 それは王国軍の動きに不審な点があり、第三軍団はいつでも動けるように準備せよというものだ。


 師団長を集め、その命令を伝える。


「クルーガー元帥より王国軍に不審な動きありということで、第三軍団は出撃準備を行うよう指示があった。各自、準備を始めてくれたまえ」


 私の命令に第一師団長のウーヴェ・ケプラーが疑問を口にした。


「クルーガー元帥がそのような命令を出されたのですか?」


「その通りだ。今の状況が続くなら、ナブリュックは第二軍団に二個師団で充分に守れる。水軍もゼンフート村に向かえば、第一師団で対応できるから、第三軍団はここに残っているより、王国軍に対する方がよいというご判断のようだ」


 そう言いながら伝令が持ってきた指示書を渡す。

 ケプラーはそれを見ながら頷くが、未だに納得した様子がない。


「確かに正式な指示書ですが、クルーガー元帥らしくないですな。元帥が本当にこうお考えなら、ご自身で動かれるはず」


「我ら第三軍団を信頼してくださっているのだろう。ナブリュック攻略も予定より早く完了させたし、その後も問題は一切起きていないからな」


「確かにそうかもしれませんが、念のため、確認の伝令を送ってはいかがですか? まだ出撃準備の段階ですから」


 私への信頼が疑われているようで不愉快だったが、彼の提案を受け入れることにした。


「よかろう。念のために確認しておく。だが、いつでも出撃できるように準備は怠るな」


 その日から我が軍団は生き生きとし始めた。

 無為に時を過ごすより、派手な戦いができる方が兵たちもよいらしい。

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