第34話「凡将」

 統一暦一二〇五年八月五日。

 リヒトロット皇国中部、皇都リヒトロット。エマニュエル・マイヘルベック将軍


 夜明け前、副官が慌てた様子でやってきた。


「何事じゃ」


 副官は灯りの魔導具の柔らかい光でもはっきり分かるほど、蒼褪めた顔をしている。


「ダーボルナ城から早馬がやってきました。ナイツェル将軍指揮する討伐軍が敗北したとのことです」


 倍の戦力で敗れたことに驚きを隠せず、副官に詰め寄る。


「敗北じゃと……将軍はどうした! 軍はどの程度の損害を受けたのじゃ!」


「詳細は不明でございますが、ベルリッツに生還した兵は五十名ほど。その兵の話では前後から挟撃され、全滅した模様です」


「全滅じゃと……重装騎兵と重装歩兵が主体の一万の軍が全滅……あり得ぬ……」


「ダーボルナ城より斥候隊を出し、現在確認中とのことですが、援軍の要請も来ております。このままゴットフリート皇子が攻めてくれば守り切れるか不安であると……」


 確かにその通りだと思った。


「分かった。すぐに援軍を編成する。そなたは各貴族領軍の指揮官と騎士長を大至急召集せよ。儂は陛下に報告にいかねばならぬからの」


 副官は大きく頷くと走り去った。

 儂はすぐに着替えると、皇宮に向かうため馬車に乗り込んだ。

 馬車の中でこれからのことを考えていく。


(ナブリュックも占領されたままじゃ。ゴットフリートが兵をまとめて攻めてくるかもしれぬ。ダーボルナ城で守るしかないが、水軍を引き揚げさせれば、ゼンフート村で罠に掛けられるかもしれぬ。どうすればよいのじゃ……)


 既に皇宮にも報告が来ていたようで、早朝だというのに文官たちが早足で歩きまわり慌ただしい。


 謁見の間では生気を失い、目を赤くした、皇王テオドール九世陛下が待っていた。


「マイヘルベックよ。皇都はどうなるのだ? 余はまだ死にたくない……うっ、ぐすっ……」


 四十歳を越えておるのに、顔を押さえて幼子のように泣いている。

 それまでの焦慮感が消え、情けない気持ちが沸き上がってきた。それを無理やり抑え込み、平静な顔を作る。


「ご安心ください。まだダーボルナ城が健在でございます。野戦では敗れましたが、碌な攻城兵器を持たぬ帝国軍に皇都を攻め落とすことはできませぬ」


「そ、そうなのか? だが、ナイツェルは勝利を確信して出陣したが全滅したのだ。ダーボルナ城が陥落せぬとは言えぬのではないか」


 陛下は一瞬希望を持ったが、すぐにナイツェルの自信に満ちた顔を思い出してしまったようだ。


「皇都より援軍を派遣いたします。また、こちらから打って出ることを固く禁じますので、城が落とされる恐れはございません。それにグライフトゥルム王国が我が国のために兵を動かしているという情報がございます。ゴットフリートの策を看破したグレーフェンベルク伯爵が援軍を出してくれるはずです」


 同盟軍に期待しろとしか言えない自分が情けない。


「そうだな……グライフトゥルム王国が助けてくれる……うん。それを信じよう……」


 何とか気を取り直したようだ。

 陛下の前を辞し、軍議の場に向かう。


 まだ午前七時にもなっていないが、各貴族軍の指揮官が集まっていた。

 皇都の防衛は王家直属の皇都騎士団と周辺の貴族領の軍勢、皇都の民の志願兵で構成されている。


 皇都騎士団の多くがナイツェル将軍と共に出陣したため、残っている二万の兵力の半数が貴族領軍で、皇都騎士団は五千、志願兵が五千という割合だ。


「これからどうなるのか、マイヘルベック閣下のお考えを聞かせていただきたい」


「水軍は何をしているのか!」


「ダーボルナ城にどの隊がいくのか、決まっているのでしょうか」


 私が入っていくと、口々に発言していく。ナイツェルの敗北を聞き、パニックになっているようだ。


「落ち着け!」


 儂が一喝すると、会議室は静まり返る。


「これより今後の方針を話し合う。まず儂の考えを聞いてもらうかの」


 そう言って周囲を見回した後、それまでに考えたことを話していく。


「まずダーボルナ城に援軍を送らねばならん。数は一万じゃ。これは貴族領軍に任せたいと思っておる……」


「我らに矢面に立てとおっしゃるのか!」


 貴族領軍を指揮する若い伯爵が立ち上がった。


「その通りじゃ。それとも貴公は貴族としての義務を放棄して逃げると言うのか? ならば、爵位を剥奪するよう陛下に言上せねばならんが」


 貴族には皇国を守るという義務がある。正当な理由がなければ、義務を果たさない者は貴族としての地位を失うことになるのは当然だ。


「い、いや……」


 儂の言葉で動揺し、立ち尽くしている。


「言うことがないのなら座って儂の話を聞け」


 そう言うと渋々という感じで座る。


「話を続ける。ダーボルナ城に一万の兵を送れば、守備兵は二万となる。攻城兵器も水軍も持たぬ帝国軍がダーボルナを突破することは不可能じゃ。これで皇都を守ることができる」


 そこで末席にいる皇都騎士団の二十代半ばくらいの若い騎士長が手を上げた。若くして騎士長にあるということは優秀なはずだが、平凡な顔つきで特徴があまりなく、名前を聞いた記憶がない。


「ヴェルナー・レーヴェンガルト騎士長です。歩兵隊を指揮していたと記憶しております」


 副官が小声で教えてくれた。


「レーヴェンガルト卿、何かあるのかの」


「はっ! 水軍がナブリュックで敵の主力を拘束しておりますが、五万の兵がゴットフリート皇子に合流すれば、ダーボルナ城を守り切れない恐れがあると考えます。そこで、ゴットフリート皇子が命令を送れないように、密かに一部隊を敵の間に回し、敵の伝令を捕らえてはいかがでしょうか」


 敵は二個軍団であり、ゴットフリートの他にもう一人軍団長がいる。


「伝令を捕らえる? それで効果があるのかの? ゴットフリートの他に軍団長がいたはずじゃ。確かテーリヒェンと言ったと思うが、その者が指揮を執っておるのじゃ。ゴットフリートからの命令がなくとも勝手に動くのではないかの」


「閣下のおっしゃる通り、テーリヒェン元帥がナブリュックで指揮を執っていますが、独断で軍団を動かす権限を持っているか疑問があります」


 軍団長は三万の兵を預かる帝国で最も高い地位にある将だ。その将に独断で動けぬという意味が分からない。


「どういうことじゃ? 軍団長が軍団を動かせぬというのは理解できぬが」


「王国からの情報に、テーリヒェンの能力が帝国軍内でも疑問視されているというものがありました。それが事実ならゴットフリートの命令がなければ、テーリヒェンは動けないはずです」


 いくらなんでもそんなことはないだろう。


「レーヴェンガルト卿の言いたいことは分かったが、ただでさえ兵が少ないのじゃ。別動隊を出す余裕はない」


 儂が否定しても更に食い下がってきた。


「伝令の阻止ですので、三十名程度の部隊を数個出せばよいだけです。この程度なら問題にはならないのではありませんか?」


「ならぬ。兵は一人でも必要じゃ」


「はっ! 承知いたしました」


 儂がもう一度拒否すると、素直に従った。


「では話を戻す。ダーボルナ城で敵を阻止する。その間にグライフトゥルム王国が援軍を派遣するはずじゃ。だから、それまで耐える。これが基本戦略じゃ。よって、こちらから打って出ることは厳しく禁ずる。よいな」


 儂が打って出ぬと言ったことで、ほとんど者が安堵の表情を見せた。ただ一人、レーヴェンガルトだけは表情を変えなかった。


(若いから仕方がないの。ナイツェルが大敗した後じゃ。あの年頃なら何とかしたいと思うのは当然であろうの……)


 それでも不満げな表情を浮かべなかったので、それ以上気にすることはなかった。


 その後、ダーボルナ城への配置で貴族領軍から皇都騎士団からも兵を出すべきだという声が上がり、一部を派遣しなくてはならなくなった。


 皇都の守りが薄くなり、不安はあるが、貴族たちが不満を持ち過ぎると帝国に寝返る恐れがある。それを防ぐために妥協したのだ。

 それでもこれで防衛体制は整った。そのことに儂は満足していた。


■■■


 統一暦一二〇五年八月五日。

 リヒトロット皇国中部、皇都リヒトロット。ヴェルナー・レーヴェンガルト騎士長


 軍議を終えて執務室に戻って来た。


「その顔はあまりよい結果ではなかったようですな」


 副官のホレス・マイヤーが話し掛けてきた。

 ホレスは私が幼い頃から付き人として一緒にいることから気心が知れている。


「その通りだよ。マイヘルベック将軍は何も分かっていない。確かに安全ではあるが、相手はあのゴットフリート皇子なんだ。篭っているだけで勝てるわけがない」


 ダーボルナ城で食い止めるという戦略自体は間違っていないが、王国軍に期待するだけというのは情けなさすぎる。


 それに帝国軍のことを何も分かっていない。

 テーリヒェン元帥が帝国軍の弱点であることは自明なのだ。そこに付け込むしか、勝利は得られないのに、マイヘルベック将軍は僅かな兵の損失を嫌い、手を打とうとしない。


「それで我々はどこに配属なんですか?」


 私が不機嫌であるため、ホレスは話題を変えてきた。


「ダーボルナ城だ。但し、全部隊ではなく、半数の五百だけだ。ダーボルナには私が行く」


 これも不満の原因だ。

 貴族たちからの突き上げを受けて、皇都騎士団を派遣することが決まったが、その編成が中途半端だった。


 私が率いるレーヴェンガルト隊には一千の兵がいる。騎兵はなく、歩兵と弓兵がそれぞれ五百ずつだが、今回はその半数ずつがダーボルナに向かう。

 これは単に皇都とダーボルナに折半しただけで、戦略的にも戦術的にも全く意味はない。


「一応前線に出られるというわけですな。少なくともここにいるよりはマシでしょう」


 ホレスはそう言って気遣ってくれるが、ダーボルナでも同じようなことが起きることは目に見えているので、憂鬱さは変わらないだろう。


(それにしても我が国はどうなるんだろうな。ナイツェル将軍もそうだが、マイヘルベック将軍も将の器じゃない。いや、皇国にいる将で多少まともなのは水軍のパルマー提督くらいなものだろう。こんなことで帝国を退けられるんだろうか……)


 不安が心の中に渦巻くが、それを無理やり押し潰して出陣の準備を始めた。

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