番外編第八話「魔弾の射手ユリウス・フェルゲンハウアー」
統一暦一二一三年八月十日。
グライフトゥルム王国西部ヴァストエッケ、物見塔内。ユリウス・フェルゲンハウアー連隊長
ここヴェストエッケに来てから五年半。西の辺境は今日も平和だ。
午後四時頃、日が傾き始めると、城壁にある物見塔に海から涼しい風が吹き込んでくる。
「そろそろ上がりの時間ですね、連隊長」
部下の兵士が声を掛けてきた。
「そうだな」
そう答えるものの、本来連隊長がやる仕事ではなく、気まぐれで見にきただけで、私はいつでも引き上げられる。
「そういえば、もう十年も経つんですね」
レヒト法国軍が総攻撃を掛けてきたのは十年前の統一暦一二〇三年八月十日の夜。私が敵将エドムント・プロイス赤鳳騎士団長を討ち取った日だ。
「そうだな。早いものだ……」
ぼそりと答えながら草原を見ていると、その時のことが思い出された。
(あの時は必死だったな。まあ、マティアスの指示に従っただけだったが……)
そんなことを考えていると、彼と出会った頃のことを思い出していた。
私がマティアス・フォン・ラウシェンバッハと初めて出会ったのは一二〇〇年一月十日。
シュヴェーレンブルク王立学院高等部の入学式で、首席であったマティアスを見たのが最初だ。
第一印象は“男装している女生徒ではないか?”だった。彼の持つ優しげな雰囲気から一緒にいたイリスの方が男らしいと思ったものだ。
兵学部で学び始めた当初はあまり接点がなく、話したことはなかった。
接点がなかったのは私があまり近づかなかったためだ。
入学前、私は西部の主要都市ケッセルシュラガーで天才と言われ、高等部にも首席で合格できると信じていた。しかし、入学時の席次は第四位。マティアス、ラザファム、イリスという“王都の三神童”の後塵を拝しての合格だった。
そのため、彼らに対して意味のない隔意を持ち、必要最小限の会話しかしなかった。
もっとも当時の私は人見知りが激しく、必要最小限の会話しかできなかったので、彼らに限ったことではなかったが。
入学直後は何とか彼らを追い抜こうと努力した。
しかし、兵学部の授業では追い抜くどころか、置いていかれないようにすることすらできず、劣等感に苛まれた。
今なら理由を知っているが、当時は入学したての学生があれほど戦術や指揮に精通していることに、さすがは王都の三神童だと脱帽した記憶がある。
入学後、彼ら三人に一人の平民が加わった。ハルトムート・イスターツだ。
なぜ三人と行動を共にし始めたのか、当時は知らなかったから、マティアスたちを物好きだと思っていた。
彼ら三人は伯爵家と子爵家の長男と長女だ。つまり、この国では最上流階級の一員と言っていい。それが田舎生まれの平民であるハルトムートを友人にした。
私のような田舎騎士の三男でも異常だと思うほどあり得ないことだった。
ハルトムートはギリギリの成績で入学しており、私より遥かに知識がなかった。しかし、マティアスたちとつるむようになり、メキメキと成績を上げていく。
そこで私は危機感を持った。
マティアスとラザファムは騎士爵家の三男のライバルにはなりえない。彼らが騎士団に入れば、身分の関係ですぐに出世できるからだ。
だから、成績で負けていてもあまり気にしなかった。
しかし、ハルトムートは別だ。彼は平民であり、騎士の家に生まれた自分が負けるわけにはいかないと思ったのだ。
ハルトムートに負けたくなかった理由はもう一つあった。
彼は竜牙流という東方系武術を学び、入学までに中伝となっている。
私も鳳天流という弓術の使い手で、武術については絶対の自信があったが、ハルトムートとラザファムが同程度の腕であることが分かり、その自信が揺らいでいた。
更に座学でも負けることはプライドが許さなかったのだ。
しかし、一年の終わり頃には完全に抜かれていた。それどころか、マティアスと親しくなった他の学生も私より座学の成績が上になっていたのだ。
そこで私はマティアスに教えを請いにいった。
『戦術と指揮について教えてもらいたいのだが……』
それまでほとんど会話していなかったこともあり、マティアスは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの優しい笑みを浮かべて頷いてくれた。
『もちろん構わないよ。どういったところを知りたいのかな?』
それから学院内だけでなく、彼の家、貴族街にあるラウシェンバッハ子爵邸にまで押しかけ、話をするようになった。
『ユリウスは口下手だから兵を率いるのは苦手じゃなくて?』
イリスにそう指摘されたことがあった。
私自身感じていたことで、自分は指揮官に向かないと思っていた。しかし、マティアスはそれを否定した。
『そうでもないと思うよ。ユリウスは兵たちのことをよく見ているし、えこひいきのようなことは絶対にしない。それにラズ並みに視野が広いし、思っていた以上に慎重だ。防衛部隊の指揮官としてなら、私たちの中で一番じゃないかな』
『でも、えこひいきしないだけじゃ、兵たちは付いてこないわよ』
私が思ったことを、イリスが聞いてくれた。
『徴兵された農民兵はともかく、常備軍の兵士は話が上手い指揮官より、信頼できる指揮官を望んでいる。実際、演習に参加している第二騎士団の兵士の評判はいいみたいだよ』
マティアスは騎士団改革で第二騎士団の団長だったグレーフェンベルク閣下と付き合いがあり、その伝手で情報を得ていた。
『このままでいいのだろうか?』
私が聞くと、マティアスは大きく頷いた。
『無理に変わる必要はないと思うよ。口数が少ないだけで必要な情報はきちんと得ているし、与えているんだから。人付き合いだって、現に私たちと普通にやっていけているんだから気にするほどじゃないよ』
彼の言葉で気が楽になった。
それでも実際に中隊を指揮するようになってからも悩み、彼に相談している。その時も適切な助言を受け、隊を率いていく自信が付いたことは今でもはっきりと覚えている。
彼らと一緒にいたことで、私は第五席という席次で卒業でき、“恩賜の短剣”を賜ることができた。
騎士団に入った後、よく言われたことがある。
『“
この評価が間違っているとは思わない。一年後輩の首席はヴィージンガーだ。彼に後れを取ることはないだろうから、首席になっていた可能性は高いと自分でも思っている。
しかし、私は“
もしマティアスたちと出会わなかったら、この歳で連隊長になることはなかっただろうし、騎士爵を叙任することもなかった。
これは断言できる。
ラザファムとハルトムートに指揮で負けたくないと思い、必死に学んだ。それよりもマティアスと出会ったことが私の成長に大きく影響を与えたことは間違いない。
彼は目的を見失わないことが重要だと常々言っていた。
当時の私はそのことの本質を理解していなかった。いや、学生時代だけじゃなく、騎士団に入ってからもだ。
確かに彼の作った指揮官用の教本にも同じことは書いてある。しかし、彼と話をし、彼のやることを間近で見たことで、彼が何を言いたかったのかを理解できた。
特にヴェストエッケの戦いでは戦術とはこういうことなのだと思い知らされた。
それだけじゃなく、仲間として私を信用してくれ、重大な局面での仕事を任せてくれた。これによって私は部下や上司、同僚を信頼することの重要さを実感できたのだ。
プロイス騎士団長を狙撃する任務を任された時、私と同等か、それ以上の弓の使い手が第二騎士団やエッフェンベルク騎士団にいた。それでも私を指名してくれたのだ。
戦いが終わり、“
『あの時私を指名したのはなぜなんだ? 友人だからか?』
友人である私を引き上げるためではないかと気になっていたからだ。
『友人を引き上げるためというのは理由じゃない。君を選んだ理由は純粋に成功率が一番高いからだ』
『それはおかしい。私より腕のいい弓使いは何人もいるんだぞ』
『そうだね。純粋な弓の腕ならそうかもしれない。まあ、私には達人級の微妙な差は分からないけどね』
そう言ってほほ笑んだ。
『ならどうしてなんだ?』
『君が一番信頼できると判断したからだね。あの状況で冷静に敵将を射ることができるのは私が知る限り、ユリウス・フェルゲンハウアーしかいなかった。他の人では功名に走ったり、緊張で失敗したりする可能性を否定できなかったけど、君なら私の考えを百パーセント理解した上で実行し、必ず成功させてくれると思ったんだ』
彼は私の能力や性格を完璧に把握しており、それで信頼してくれたのだ。
今でも思うが、私にそれができるだろうかと。
連隊長になった今、部下の大隊長たちを彼のように信頼し、任務を任せられるのかと、いつも自問している。
この先、王国がどうなるのか、私には分からない。
グレーフェンベルク閣下が亡くなり、マティアスが倒れた。更にラザファムとハルトムートが左遷され、王国軍は以前より確実に力を落としている。
帝国や法国がすぐに攻めてくる可能性は低そうだが、この状況で戦争になったらどうなるのか、それが不安だ。
それに王国内もきな臭くなってきた。
フリードリッヒ殿下が立太子され、マルクトホーフェン侯爵が怒り狂ったという話が伝わってきている。
この状況で内戦になった時、私はどう動けばいいのか、不安にならないと言えば嘘になる。
イリスからの手紙では、マティアスは順調に回復しつつあるとあったが、彼の回復が間に合わない可能性もある。
そうなった時、私に適切な指示を出してくれる者がいない。そのことが不安なのだ。
そんなことを考えていたが、部下の声で現実に引き戻された。
「連隊長も一杯飲みにいきますか?」
「そうだな。交代が来たら一緒に街に繰り出すか」
そんな話をしながら、十年前のようにマティアスたちと飲みたいと思っていた。
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