番外編第九話「狼人族エレン・ヴォルフ」
統一暦一二一三年八月十一日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、獣人族入植地ヴォルフ村。エレン・ヴォルフ連隊長
騎士団での演習を終え、家に帰ってきたところだ。
今日は俺の二十七歳の誕生日ということで、妻レーネと二人の子供エミールとフリーダが祝ってくれるため、家に戻ってきたのだ。
ラウシェンバッハ騎士団の副団長兼第一連隊長ということで、いろいろと忙しく、久々に家でゆっくりと過ごすつもりだ。
副団長兼連隊長になって五年以上経っているが、今でも俺でいいのかという疑問を持ち続けている。
もちろん、マティアス様が決められたことが間違っているとは思っていないが、団長のヘルマン様も指揮で悩んでおり、二人でよく愚痴を零し合っている。
ただ、最近では少し自信が付いてきた。それはハルトムート殿が騎士団の演習に顔を出してくれるようになったからだ。
『エレンはもう少し視野を広げるべきだな。前線での指揮は大隊長や中隊長に任せ、全体を見ながら命令を出すべきだ。さっきも右翼側が押し込まれていたが、左翼側で攻勢を掛けているから見逃していた。攻めている時は敵が崩れるまで前線に任せてもいいが、攻められているところは全体を見ている指揮官が適切に対処しないと、全体が崩されてしまう可能性があるんだ……』
マティアス様が指揮の天才と絶賛し、将来名将と呼ばれるようになると断言されているだけあって、ハルトムート殿の指摘は実に的確だ。ヘルマン様も同じように指導されており、ラウシェンバッハ騎士団の司令部は少しずつだが、能力を上げている。
俺としては助かるのだが、ハルトムート殿が左遷されたと聞いた時、強い怒りが込み上げた。それを命じたのがマティアス様を暗殺しようとしたマルクトホーフェンだと聞いたからだ。
俺たち
十二年前にこの地に来る前はまだガキだった俺でも感じていたほど、将来に希望がなかった。そんな俺たちに希望を与えてくださったのが、マティアス様だ。
そのマティアス様を暗殺しようとし、お身体を滅茶苦茶にされたと聞いた時にはすべてを投げ捨てて王都に行き、アラベラとマルクトホーフェンを殺そうと思ったほどだ。
もし、マティアス様がお亡くなりになっていたら、俺たち獣人族は王都に乗り込んで二人を殺し、更に二人を操っている皇帝マクシミリアンを殺すため、帝都に向けて進軍したはずだ。
意識が戻ったマティアス様が自重するようにとおっしゃられたから我慢したが、ラザファム様が嵌められ、ハルトムート殿まで左遷されたと知り、何とかできないかとヘルマン様に相談に行っている。
ヘルマン様は俺の言葉を聞くと、『今は絶対に動くな』と命じられた。
俺は不満だった。ヘルマン様はハルトムート殿とも仲がいいからだ。俺が不満を持っていると気づかれたのか、ヘルマン様は理由を説明してくれた。
『私も最初は不満だった。だが、これは兄上の策の一環だ』
『マティアス様の策なのですか?』
『そうだ。だが、私も詳しくは聞いていない。ただ、マルクトホーフェンやアラベラを油断させ、兄上が回復する時間を稼ぐそうだ』
マティアス様がそうお考えであるのならと無理やり納得したが、ハルトムート殿から直接聞くと、納得する理由を教えてくれた。
『マティは左遷された方が、俺が成長でき、更にラウシェンバッハ騎士団も強化できると考えたようだな』
確かにハルトムート殿が来てくれたお陰で我々も成長できている。
『それに今後はお前たちにも共和国に行ってもらうつもりだ。特に大隊長以上はケンプフェルト元帥に直接指導してもらう。そのために俺が自由に動けた方がいいと、マティは考えたんだ。相変わらず、突拍子もないことを考える奴だよ』
『俺たちも共和国に行くんですか?』
『そうだ』
理由が分からなかった。
『ハルトムート殿の指導でも充分だと思うのですが?』
『俺はケンプフェルト閣下の足元にも及ばんよ。それにお前たちが獣人族以外を指揮した方が戦術の幅が広がるからな』
『俺たちが
『そうだ。ラウシェンバッハ騎士団の獣人族戦士はいずれも一騎当千の
なるほどと思った。
共和国軍との演習でも得るところは多かったが、直接指揮を執れば、どの程度の能力を基準と考えればいいのか、身体で覚えることができる。
まだ、共和国には行っていないが、冬前には行くことになるだろう。
マティアス様はそこまでお考えだったのだ。
そんなことを考えていると、妻レーネが大きな肉の塊を持ってきた。
「あなたの好きな子羊よ。香辛料をたっぷり使ったバラ肉をじっくりと焼いたから、お酒にも合うと思うわ」
そう言って赤ワインのボトルを置いた。
レーネも
「父ちゃん、おめでとう!」
「おめれと!」
四歳になる長男のエミールが二歳の長女フリーダと一緒に、草原で摘んできたらしい花束を差し出した。
「ありがとう。二人で作ったのか?」
「「うん!」」
二人の子供を抱き上げる。二人は俺が抱き上げたことで楽しげに叫び、家の中は更に明るくなった。
子羊を家族で食べ、子供たちが眠りに就いた後、レーネと二人でワインを飲む。
「美味しいわね」
「先代様からいただいたものだからな」
マティアス様が始められた醸造所と蒸留所だが、操業を開始して既に五年以上経っている。当初は麦を使ったエールやビール、それらを蒸留した蒸留酒が多かったが、リヒトロット皇国の皇都リヒトロットからワイン造りの職人を呼び寄せ、ワインも作っている。
詳しくは知らないのだが、二年ほど前からワインを作り始め、今年の春にようやく売り物にできるほどの量ができたらしい。
その中でも品質の良いものが子爵家に献上され、先代のリヒャルト様からそれをいただいたのだ。
「お酒も美味しいし、食べ物にも困らない。子供たちも病気で命を落とすこともないし、教育まで受けられるわ。本当にここは天国よね。十三年前には考えられなかったわ」
レーネが言う通り、俺たちヴォルフ族がここに来たのは十二年前の春。その前に住んでいたレヒト法国の東方教会領では、家族で誕生日を祝うなど考えられなかった。
あの頃は生きていくだけで精一杯であり、子供が生まれても次の年まで生き残れるのか分からなかったし、聖堂騎士団の連中がいつ奴隷狩りに来るのかと常に不安を抱えていたからだ。
「そうだな。だから希望を与えてくださったマティアス様に、何としてでも恩を返さないといけない」
俺の言葉に妻もそれまでの柔らかな表情から真剣なものに変える。
「そうね。私もいつでも自警団の一員として戦えるように準備しているわ。他のみんなも同じよ」
獣人族入植地では女であっても妊娠中でなければ、自警団の訓練を受けている。それだけじゃなく、子供たちも幼い頃から戦士としての訓練を始め、十歳になれば
そのため、ラウシェンバッハ子爵領の獣人族は五千人の騎士団に加え、一万五千人近い戦士を送り出すことができる。
しかし問題があった。
「それは心強いんだが、率いる指揮官がいないことが問題だな」
五千人のラウシェンバッハ騎士団だけでも指揮官の能力が不足し、実力を発揮できないと思っている。そこに一万五千の兵が加わったら、更に指揮官不足に悩まされることになるだろう。
「そこはあなたたちが頑張るしかないわよ」
レーネはそう言って笑っている。
「確かにその通りだな。だが、来年中には何とかしなくてはならん。マティアス様が行動を起こされる時に、我々が満足に戦えないということはあってはならんからな」
イリス様からマティアス様が回復されるであろう再来年には、マルクトホーフェンらを排除すると伝えられている。
「そうね。では、今日は英気を養って、明日からまた頑張ってね」
その後は子供たちの話をしながら、ゆっくりと時間を過ごした。
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