第66話「慰労会」

 統一暦一二〇八年六月五日。

 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、騎士団駐屯地。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 グランツフート共和国軍との合同演習は昨日終了した。

 両国軍の連携も問題なく行えるようになり、これで共同作戦に対する不安はかなり小さくなった。


 また、ラウシェンバッハ騎士団もゲルハルト・ケンプフェルト元帥とその部下たちに直接指導してもらったことで、ある程度使えるようになった。


 また、指揮官の能力が低いため、野戦では使えないが、城壁での防衛戦であれば、十分に戦えるレベルになっている。


 更にケンプフェルト元帥からある提案を受けている。


『ロイ・キーファーを二ヶ月ほど貸そう。他にも大隊長クラスを何人か置いていく。この数日で見違えるほど変わっているから、エッフェンベルク騎士団の指揮官と共に指導すれば、短期間でも十分な成果が上がるだろう』


 ラウシェンバッハ騎士団の指揮官の指導員として、エッフェンベルク騎士団から大隊長クラスが五名派遣されていた。しかし、獣人族の指揮官たちが危機感を持っていなかったため、成果が上がっていなかった。


『助かります。ですが、よろしいのですか?』


 申し出は助かるが、ロイ・キーファー将軍は師団長であり、元帥の右腕だ。既に一ヶ月以上国を空けているし、更に二ヶ月も延長するとなると問題になるのではないかと思ったのだ。


『構わんよ。それに夏には帝国軍が動くのだ。ならば、ここで情報収集を行っている方が国に戻るより役に立つ』


 皇都攻略作戦が決まったという情報は伝えていないが、皇帝が三年以内に皇都攻略を完了させると宣言していることから想定は難しくない。


『そう言うことでしたら、是非ともお願いしたいと思います。特にヘルマンの指導に頭を悩ませていたので、キーファー将軍が残ってくださるのは非常に助かります』


 弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵は、王立学院兵学部を優秀な成績で卒業し、第二騎士団の中隊長となったが、五千人近い兵を指揮するには経験が不足している。

 そのため、経験豊富なキーファー将軍に指導してもらえることは非常に有意義だ。


『まあ、ロイが言い出したことなのだがな。奴はここが気に入ったようだ。飯も酒も上手いし、兵は真面目で士気が高く、やりがいがあるとな。奴自身も獣人たちと手合わせすることが楽しみだとも言っていたな』


 そんな感じで共和国軍からも指導してもらえることが決まった。


 そして、今日は打ち上げが行われる。

 私とイリスも準備の状況を確認するため、朝から駐屯地に来ていた。


 その準備だが、既に三日前からモーリス商会が準備を始めており、今日も朝から料理などの搬入が行われている。


「ずいぶん手際がいいね」


 隣にいるイリスに話しかける。


「代表者が若いから不安だったけど、計画書通りに完璧に進めているわね」


 モーリス商会のイベント担当部門、興行代行部の部長モリッツ・ホフマンは二十代半ばの若者だ。


 見た目は色白で眼鏡を掛けた事務員のようで、実際この仕事を任される前は経理部門にいたらしい。


 そのため、数字に強く、計画の立案を得意としており、抜擢されたようだ。しかし、思った以上に胆力があり、私だけでなく、王国の重鎮ホイジンガー伯爵に対しても物怖じせずに話せるなど、ライナルトが見込んだだけのことがあると感心している。


「それにしてもいつの間にあんなでっかい地下室を作ったのかしら」


 駐屯地の西側に幅五メートル、高さ三メートルのトンネルが作られ、その奥行きは百メートルに達している。更にアリの巣のように左右に奥行き十メートルほどの部屋が無数に作られていた。


「ヘルマンに聞いたら、冬にモーリス商会が鉱山技師を連れてきて、獣人族を雇って作ったらしいね。身体強化が使えるから、一ヶ月ほどで作り上げたらしいよ」


 ヴェストエッケ攻防戦でもレヒト法国軍の兵士がトンネルを掘ったが、身体強化が使えると、重機を使ったのかと思うほど早く穴を掘れる。


「あの地下室にどれだけの樽があるのかしら? 毎日運び込まれていたようだけど」


「頑張れば千くらいは置けそうだけど、どのくらいなんだろうね」


 計画書では二百リットルの樽が八百個用意されることになっていたが、実際にどのくらいあるのかは分からない。計画通りでも十六万リットルで、兵士一人当たり四リットルもある。


 ちなみに領都で集めたスタッフは総勢一千人。

 人件費だけで大変なことになりそうだが、すべて無償のボランティアなので、酒と料理に掛かる費用と、モーリス商会の利益が経費となる。


 酒に関しては王国騎士団の予算から出すことが決まっており、料理代をラウシェンバッハ子爵家が負担する。

 料理の予算は二百万マルク、日本円で二億円だ。


 通常の子爵家なら到底払えない金額だが、ラウシェンバッハ子爵家なら充分に支払える。それに領内にある商会から寄付を募っているので、全額を負担するわけではないし、今回の兵士の滞在で多くの消費があったため、財政に与える影響は非常に小さい。


「これほど大規模な打ち上げをしてくれるとは嬉しいことだな」


 様子を見に来たケンプフェルト元帥が笑顔で話し掛けてきた。


「今回は閣下を始め、共和国軍の方々にはお世話になりましたから」


「それにしてもマティアス殿は凄いな。軍事だけでなく、このようなこともできるのだから」


 そう言ってきたのはケンプフェルト元帥の後ろにいたキーファー将軍だ。


「準備を含め、モーリス商会が行ってくれますので、私は何もしていませんよ」


「モーリス商会にこの仕事をやらないかと提案したのは君だと聞いている。閣下、我が軍でもモーリス商会に依頼して、こういった祭りをやりましょう! 兵たちの士気は確実に上がりますよ!」


「それは貴様がやりたいだけだろう! まあ、儂もやりたいのだがな。ガハハハッ!」


 キーファー将軍は厳つい顔の偉丈夫だ、陽気な人物で、豪放なケンプフェルト元帥と馬が合うらしく、二人で笑いあっている。


 準備が終わったのは正午頃。

 会場は駐屯地の演習場だ。昨日までは王国騎士団と共和国軍の兵士たちの天幕があったのだが、それを南の草原に移動させている。


 開会あいさつは行わないことにしており、既に多くの兵士がジョッキを片手に飲み始めていた。


 一時間ほど経ったところで、マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が演台に立った。


「グランツフート共和国軍の方々、今回は我が国のために演習に協力いただき、感謝する! 今後、ゾルダート帝国の脅威が更に強まると予想されるが、我々が力を合わせれば跳ね返すことは難しくないと実感した! 今日は演習での疲れを癒すための慰労会を行いたい。では、ケンプフェルト元帥閣下、こちらに」


 そう言って、ケンプフェルト元帥を招く。


「閣下に乾杯の音頭を取っていただきたい」


「儂がか……」


 聞いていなかったので驚いているが、既に何杯か飲んでおり、陽気にジョッキを掲げる。


「では、グライフトゥルム王国軍とグランツフート共和国軍の今後の活躍を祈念して、乾杯!」


「「「乾杯!!」」」


 元帥の言葉に兵士たちが唱和する。

 王国軍の兵士もケンプフェルト元帥を敬愛し始めており、共和国軍だけでなく、王国軍からも“元帥閣下、万歳!”という声が上がるほどだ。


「兵士たちの間にも一体感が出てきたね。これなら連合軍として戦っても問題は起きにくいはずだ」


「そうね。王国騎士団とケンプフェルト閣下率いる共和国軍がよい関係になったと噂になれば、帝国だけじゃなく、王国内にもいい影響が出るわ。これも狙っていたのでしょ?」


 イリスがそう言って私の目を覗き込んでくる。


「万が一王国内で内乱が起きても、共和国軍が動いてくれる。それに今、第一王子のフリードリッヒ殿下が共和国の首都ゲドゥルトに留学されている。マルクトホーフェン侯爵がグレゴリウス殿下を玉座に就けようと画策しても、王国内の敵だけじゃなく、共和国まで敵に回ると思えば、強引な手は打てないはずだ」


「これでマルクトホーフェン侯爵が焦って帝国と通じてくれれば、それを口実に潰せるということね」


 私の考えをよく理解している。


「皇都が攻略されることは既定路線だ。侯爵は危機感を煽って、自分の勢力を伸ばそうとするだろう。恐らく帝国の軍門に下った方がいいという話をどこかのタイミングでし始めるはずだ。それを防がないと帝国に付け入る隙を与えてしまうから、今回のことは重要なんだよ」


「なら、私たちも共和国軍の人たちと飲まないとね。千里眼のマティアス殿とその妻が共和国軍の上層部と懇意だと知れ渡った方がいいのだから」


 そう言って私の腕を引っ張る。


「それは君が飲みたいだけだろ。まあ、私も飲みたいからいいのだけどね」


 そう言いながら、会場の中を歩き始めた。

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