第65話「皇都攻略作戦発動」

 統一暦一二〇八年六月二日。

 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、領主館。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 王国騎士団とグランツフート共和国軍との合同演習は終盤に差し掛かり、王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵や共和国軍のゲルハルト・ケンプフェルト元帥らは更に気合が入り、激しい訓練が行われていた。


 今日の演習を終え、私はイリスと共に領都の屋敷に戻ってきた。

 夕食を終え、寛いでいたところに、執事姿のシャッテン、ユーダ・カーンが静かに入ってくる。


「ヴィントムントから伝令が来ております。帝都で動きがあったとのことで、マティアス様に至急お知らせしたことがあると言っております」


「帝都から……では、ここに通してください」


 すぐにメイド姿のシャッテン、カルラ・シュヴァイツァーが、商人風の男を伴って私室に入ってきた。

 モーリス商会の通信の魔導具を担当しているシャッテンの一人だった。


「昨日、御前会議が行われ、皇都攻略作戦が正式に発動されたという情報が帝都から送られてきました。予想通り皇帝マクシミリアンが親征するとのことです。軍の規模は計八万。第二軍団及び第三軍団に加え、第一軍団から二個師団が参加。進軍開始は八月一日を予定。九月十日頃から攻撃を開始する計画とのことです」


「八万ですか……王国への対応について、何か情報はありますか?」


「いいえ。今のところ、一個師団をシュヴァーン河近くに送り込むという噂はありますが、正式に決まったという情報はありません」


 ゾルダート帝国ではヨーゼフ・ペテルセンが総参謀長になってから防諜体制が強化され、以前より諜報活動を慎重に行うようになったため、断片的な情報しか入ってこなくなった。その断片的な情報を積み重ねて何とか帝国の動向を探っている状況だ。


「情報の確度はどうなのかしら?」


 イリスが質問する。


「今回の情報は軍務府の役人が情報源ソースですが、内務府の役人からも食糧調達計画を入手し、整合性は確認しております。ですので、軍の規模はほぼ間違いないと考えています。ですが、時期については欺瞞情報の可能性があるとお考えください」


 情報分析室には以前から裏取りをするように頼んであるので、即座に答えが返ってくる。


「いずれにしても、夏には動くのだから急がないと危険ね。あなたはどうするつもりなの?」


「こちらが早く動き過ぎるのは、通信の魔導具の存在を教えることになるから難しい。七月に入った頃に共和国に援軍を要請しつつ、ヴェヒターミュンデに王国騎士団を移動させることは必要だと思っている」


 帝都ヘルシャーホルストから王都シュヴェーレンブルクまでは船を使ったとしても一ヶ月程度かかる。今時点で動いておいた方が楽なのだが、それをやると長距離通信の魔導具の存在が明らかになってしまうので、極力避けたい。


「早めに動いても疑われないと思うわ。即位から三年以内と皇帝が宣言しているのだから、遅くとも秋には動くことは誰もが考えるはず」


 彼女の言葉になるほどと頷く。


「確かにそうだね。先に動いても、先手を打って動いてきたと見る方が自然だ。まあ、この演習があるから、早くても七月にしか動けないけど、やれることはやっておこうか」


 演習を終えて王都に戻り、国王の承認を得てから動くと考えると、一ヶ月程度は掛かる。


「何をするかはともかく、一個師団一万が派遣されるということは、ヴェヒターミュンデに攻撃してくるわけではないわね。渡河作戦を妨害することが目的だから、積極的に動いてくることはないわ。そうなると、罠に嵌めるのも難しいのではなくて?」


 シュヴァーン河の渡河地点はだいたい決まっており、特に夏の増水期には三ヶ所に絞られるので妨害は容易だ。


 帝国軍としては、三ヶ所にそれぞれ千人規模の部隊を投入し、残りを予備兵力としておけば不測の事態にも対応できるから、彼女の言う通り積極的に動く必要はなく、罠に嵌めにくい。


「その点はやりようがあるんだが、問題は敵の指揮官だね。一個師団ということは第一軍団から派遣される可能性が高い。そうなると名将マウラー元帥がこちらに来る可能性がある。マウラー元帥を罠に嵌めることは至難の業だから、皇都への援軍が出せなくなるかもしれないな」


 ローデリヒ・マウラー元帥はフェアラート会戦で大勝利を得た名将だ。

 慎重な性格でありながらも大胆な策を行うこともでき、シュヴァーン河付近の地理にも詳しい。


「この情報であなたはどう動くのかしら?」


「明日の朝、ホイジンガー閣下に報告するけど、私が動くのはもう少し先だね。恐らく閣下が認めてくださらないと思うから。もちろん、情報分析室と軍情報部には密かに動いてもらうつもりだけど」


 翌日、合同演習の前にマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵と総参謀長ユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵に密かに報告を行った。


「まだ確定情報ではありませんが、帝国が皇都攻略作戦の発動を決めたようです……」


 昨日聞いた話をそのまま報告する。

 ホイジンガー伯爵は腕を組み、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。


「……遂に帝国が動くか……それも八万人……これでは皇都は耐えられぬな」


 オーレンドルフ伯爵がその言葉に大きく頷く。


「私も同感ですな。これまで得た情報から分かる範囲では、皇国は一枚岩になっていません。兵力に劣り、更に内部で分裂している状況で耐えられるとは、素人の私でも無理だと分かります」


「確かにな。マティアス、君の考えを聞かせてくれないか」


 その言葉に小さく頷き、話し始める。


「私もお二人と同じく、このままでは皇都が陥落することを防ぐことは困難だと思っています。防ぐ方法は三つあると考えています」


「三つか……」


「はい。一つには帝国軍を帝都に引き返すように仕向けることです。そのためにシュッツェハーゲン王国を動かしてはどうかと考えています……」


 シュッツェハーゲン王国はゾルダート帝国の南側に位置する王国で、ゲファール河を挟んで両国は睨み合っている。


 帝国も八万の兵を動かして更に我が国より強国であるシュッツェハーゲン王国に対応することは難しく、引き上げる選択を採らないとも限らない。


「難しいのではないかね。シュッツェハーゲン王国軍は防衛に特化していると聞いている。これまでも何度も皇国の要請を受けているが、一度も国境を越えたことがない。今回も動くとは思えんのだが」


 オーレンドルフ伯爵の言葉は正しい。


「総参謀長のお考えは正しいと思います。ですが、今回は帝都のほとんど予備兵力を残さず、皇帝も親征しています。国境付近の帝国の軍事拠点を破壊しておけば、シュッツェハーゲン王国は大した危険を冒すことなく、帝国の侵攻を遅らせることができるのです。要請する価値はあると思います」


 この他にも帝国南部の民に不満を持たせるという意味もあるが、そのことは口に出さなかった。


「分かった。二つ目の策は何か?」


 ホイジンガー伯爵が話を進めるように促してきた。


「皇都に王国軍の重鎮を送り込み、内部分裂を防ぐことです。私としましては、エッフェンベルク伯爵を代表とし、私が同行してはどうかと思っています」


 以前にも軍事顧問を派遣するということで私が赴くという話をしたが、その際は反対されている。

 今回も即座に否定された。


「カルステン殿と君を失うリスクは冒せんな。ユルゲン殿もそうは思わぬか?」


 ホイジンガー伯爵の問いにオーレンドルフ伯爵は大きく頷く。


「全く同感ですな。軍務省と参謀本部の要を失うようなことは認められません」


「ですが、このままでは戦うことなく、内部から崩壊してしまいます。強固な城を落とすには、外からの攻撃より内部から崩す方が効果的です。皇帝マクシミリアンやペテルセン総参謀長なら、必ずそこを突いてくるはずです」


「その点は同意するが、陥落の可能性が高い皇都に君たちを送り込めば、帝国への手土産にされかねん。親書を送ることで対応するしかあるまい」


 ホイジンガー伯爵は頑として認めなかった。


「分かりました。第三の策ですが、これは帝国内での大規模な陽動作戦です」


「以前行ったものと同じと考えてよいのか?」


 三年前のゴットフリート皇子による皇都攻略作戦の時に行った、大規模な撹乱作戦を思い出したらしい。


「今回は少し変えてみます。まずリッタートゥルム城からシュヴァーン河を渡河し、そのまま川沿いを東に向かいます。川沿いであれば補給は容易ですし、地形もほぼ把握できておりますので」


「うむ。リッタートゥルムから東に向かうか……エーデルシュタインを脅かすと見せるということか!」


「その通りです。一個連隊一千名を投入すれば、敵も皇都攻略に集中できなくなるでしょう」


 エーデルシュタインは皇都攻略作戦の前線基地に当たる。城塞都市であり、僅か一個連隊では攻略できないが、補給線を脅かすことは充分に可能だと考えている。


「それならやる価値はあるな。シュヴァーン河沿いなら水軍が使える。万が一敵が大軍を送り込んできても一個連隊なら殲滅される前に撤退することも可能だ」


 ホイジンガー伯爵も戦術眼はあるので、すぐに私の意図に気づいてくれた。


「必ずしも補給線を脅かす必要はありません。帝国軍を分断し、皇都攻略に集中させなければよいのですから。更にヴェヒターミュンデに王国騎士団と共和国軍を集めれば、フェアラートに二個師団、シュヴァーン河沿いに一個師団の計三万の兵を釘付けにすることもできると思います。いかがでしょうか?」


 合同演習でラウシェンバッハ騎士団の実力を見せているから、獣人族の兵士一千が後方を撹乱してくるかもしれないと帝国側が考えてくれれば、一個軍団を我が国とグランツフート共和国に対する抑えとして派遣することはおかしな話ではない。


 ホイジンガー伯爵とオーレンドルフ伯爵は共に考え込むが、すぐに顔を上げた。


「私はよい策だと思います。仮に帝国軍が食いつかぬとも、我々にリスクは少ないですし、少なくとも皇国軍の士気を上げる効果はあると思いますので」


「うむ。ユルゲン殿の言う通りだと思う。この件は王都に帰還後、御前会議で諮ることにするが、それでよいな?」


「はい。準備に時間も掛かりますし、ちょうど良いタイミングだと思います」


 こうして、帝国軍に対する基本的な戦略が決まった。

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