第39話「物価高騰」
統一暦一二〇九年一月六日。
ゾルダート帝国中部リヒトロット市、モーリス商会リヒトロット支店。ルディ・ピーク支店長
昨日の帝国軍兵士による強盗事件について第三軍団長であるカール・ハインツ・ガリアード元帥に抗議に行った。
元帥の態度から、帝国軍が関与していないと直感する。
冷静に考えれば、帝国軍の規律の高さは有名だし、皇帝が直々に率いている軍で末端の兵士だけでなく、隊長クラスが犯罪に手を染めることはあり得ない。
今回の件で最も利益を得るのは帝国に敵対しているリヒトロット皇国とグライフトゥルム王国だ。皇国にこのようなことを考えられる人物はいないから、マティアス様が指示されたことだろう。
そうでなければ、死人が出ていてもおかしくはなかった。私も殴られているが、派手にやられた割には治癒魔導師に診せる必要もなく、頬が腫れているだけで歯も折れていない。
私は武術の素人だが、見事な手加減だと後から思ったものだ。
そう考えるとあの指揮官は
但し、マティアス様の策であったとしても、私に情報は入っていない。
私に対する指示は、帝国軍が進駐してきたら積極的に協力することと、帝国軍が暴挙に出た場合に私を始めとした従業員の安全確保を最優先することだけだ。
元帥のところに抗議に行った後、皇帝から呼び出されたが、もし、この策がマティアス様のお考えであり、そのことを知っていたら、皇帝の前であれほど堂々とした態度ではいられなかった。だから、私に伝えられなかったのだと確信する。
もやもやしたところがないとは言わないが、マティアス様が計画されたことであれば、我々に危険はなかったはずだと考えることにした。
支店に戻ってから従業員たちを集め、今後について説明する。
「今回の損失については補償してもらえることになった。皆納得していないと思うが、帝国に協力してくれ。今なら彼らも下手に出ざるを得ない。交渉の場で上手く利用し、ガンガン儲けるのだ。それが彼らに対する意趣返しになる」
うちの従業員の中にも帝国諜報局に情報を流していた者がいたはずだし、今もいるだろう。しかし、この程度のことは言っておいても問題にはならない。逆にこのくらいのことを言っておいた方が皇帝やペテルセン総参謀長は安心するはずだ。
翌日、我が支店で集めた過去の物価に関する情報を帝国軍に渡した。
このこともマティアス様のご指示だ。恩を売りつつ、帝国に危機感を持たせるという話だが、私には何のことかよく理解できていない。
「主要な穀物の価格の推移と販売量です。我が商会はリヒトロット市では後発ですので、全体の五パーセントほどしかシェアは持っていませんが、おおよその動向は掴めるかと思います。こちらは不動産関係の資料になっております。合わせて各区域の推定人口についても……」
軍に同行していた内務府の役人に説明する。
一時間ほど説明したところで、役人は感嘆の声を上げた。
「さすがはモーリス商会だな。皇国政府の情報は全く整理されていないし、散逸しているものも多い。一から調べるのかと暗い気持ちになっていたが、これでずいぶん助かるよ」
「お役に立てたのであれば幸いです。皇帝陛下から直々にお声掛けいただきましたので、我々も全面的に協力させていただきます」
「それにしても軍の連中は何をしているのだろうな。君たちのような味方から金を奪うなど、あってはならんことだ」
役人は第三軍団の兵士が犯人だと思っているようだ。
「元帥閣下は第三軍団の兵士ではないと断言しておられましたが、何か情報があったのですか?」
「実は一個小隊の行方が分からないらしいんだ。まだ犯人と決まったわけじゃないが、金を奪って脱走したんじゃないかと噂されている」
役人は小声で説明してくれた。
この話は初耳だが、役人が知っているということはすぐに広まるだろう。
「そうですか……いずれにしても見つかることを祈っております。私としても奴らが処刑されるところを見てみたいですから」
そう言うと役人も頷いていた。
■■■
統一暦一二〇九年一月八日。
ゾルダート帝国中部リヒトロット市、旧リヒトロット皇宮内。皇帝マクシミリアン
モーリス商会襲撃事件が起きてから三日が経った。
第三軍団長のガリアードは捜査に力を注いでいるが、市内で暴動が起き始めており、治安は日に日に悪化している。
第三軍団の一個小隊が姿を消した。そして、すぐにその小隊がモーリス商会を襲ったのではないかという噂が流れる。
我が軍は関与していないと発表した直後に噂が流れたため、我々が隠蔽しようとしているのではないかと民衆は疑っている。
余と総参謀長のヨーゼフ・ペテルセンが噂を打ち消すために手を打っているが、後手に回っていた。
ガリアードも治安回復のために寝る間を惜しんで対応しているが、彼は優秀な戦術家であっても治安維持は専門外であり、有効な手を打てていない。
「ラウシェンバッハが糸を引いているようですな」
ペテルセンがいつも通りワイングラスを持ちながら、リヒトロット市の地図を見て呟く。
彼の言う通り、暴動の発生場所は我が軍の警備の薄い場所を狙ったものであり、偶発的なものとは言い難い。
「情報操作でも後れを取っている。何とかせねばならぬのだが……」
小隊が行方不明になった件だけでなく、リヒトロット市民に人気が高かった水軍提督イルミン・パルマーを暗殺したことも蒸し返され、我が軍の兵士は暗殺者集団“
そのため、兵士と話をしただけでも裏切り者と呼ばれるようになり、市民から情報を得ることすら難しくなりつつあった。
唯一得られた有益な情報は、暴動を指揮しているのがヴェルナー・レーヴェンガルトではないかというものだ。
レーヴェンガルトはダーボルナ城で防衛戦の指揮を執った後、皇都に召喚されたが、脱出せずに市内に潜伏したらしく、下町で姿を見たという情報が入っていた。
「この複雑な市内で優秀な指揮官に撹乱されては手の打ちようがないですな」
ペテルセンにしては珍しく弱気だ。
彼の言う通り、古い町であるリヒトロット市は建物の増改築によって複雑な作りになっており、地元の者でも別の地区に行くと迷うといわれているほどだ。
我が軍の兵士が地図を作ったものの、人ひとりが通れるような狭い路地までは掌握できておらず、暴動の首謀者らしき者を追いかけて、行き止まりになっている場所に追い詰めたものの取り逃がしている。
「腰を据えて対応せねばならぬようだな」
「おっしゃる通りですな。性急な対応をしてはますます敵に付け入られます。恐らくここで強引な手に出れば、それを突く手を打ってくるはずです。つくづく思いますが、ラウシェンバッハは厄介な敵ですな」
ペテルセンの言う通り、ラウシェンバッハは厄介すぎる。
奴自身はこの場にいないというのに、現地で指揮を執る我々の方が翻弄されているのだ。
「しかし、あまり時間は掛けられぬな。物価の高騰が続けば、民衆の不満は更に高まる。暴動を鎮めねば商人たちも店を開けることはなかろう。あのモーリス商会ですら、そろそろ限界だと言っているらしい」
暴動は我が軍の兵士に投石を行う程度だが、民衆だけでなく兵士たちにも苛立ちが募っており、大規模な衝突になることが多い。今のところ死者はほとんど出ていないが、このような状況で店を開けているのは協力を約束したモーリス商会くらいだ。
また、我が軍の兵士が強制的に物品を徴発するという噂が流れており、商店以外の工房まで休業し始めた。これにより、市民生活に支障が出始めているところだ。
元々皇国軍が撤退した際に物資を持ち出し、食糧の在庫が少ない状況だった。モーリス商会が渡してきた物価の資料を見ると、我が軍が進駐する前でも穀物類の価格は一年前の二倍以上になっており、それに加え、今回の店舗の閉鎖で更に物価が高騰し、民衆が不満を抱いている。
「外出制限をするしかありませんな。暴動を起こす不埒な者たちがいる限り、平穏な生活は戻ってこないと民衆に理解させましょう」
「それは悪手ではないか? 民衆とレジスタンスを分断する考え自体は賛成だが、恐らくラウシェンバッハはそれを見越して手を打ってくるぞ」
「その可能性はありますな……ならば、軍の物資を放出して物価を一時的に抑えてはいかがでしょうか。民衆の不満は行きつくところ、飢餓への不安なのですから」
「それしかあるまい」
こうして軍の食糧を放出し、物価の安定を図ることにした。
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